現代は、飽食の時代である。
『火垂るの墓』で描かれているような命にかかわるレベルの食糧難を経験している人は、すでに80歳を超えていて、もはや多くの日本人にとって「おとぎ話」の域に達しつつある。
そんななか、さまざまな方面から日本人の「食の危機」を訴える本が次々と出版されている。なかでも目を引いたのが、久松達央氏の『農家はもっと減っていい』である。
著者の久松氏は農家の出身ではなく、都市部に住むサラリーマン家庭に生まれた人。大手繊維メーカー勤務を経て、1998年に農業に新規参入。現在、茨城県土浦市を拠点にしている久松農園では、年間100種類以上の野菜を有機栽培し、卸売業者や小売店を経由せずに個人消費者や飲食店に直接販売するという、型破りな形態の農業を実践している。
「農業の『常識』はウソだらけ」という副題にある通り、現状の日本の農業のいびつな構造をあぶり出し、大淘汰時代に入った市場を生き残る「小さくて強い農業」を提唱している。
今回は、この本をきっかけにして、日本、ひいては世界の農業がどんなことになっているのかを見ていくことにしよう。
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農林水産業が5年ごとにおこなっている大規模調査を農林業センサスというが、本書の冒頭で久松氏は、このデータから「販売農家107万戸のうち、8割が売上500万円以下の零細農家」という事実を指摘している。
500万円以下というのは「利益」ではなく、「売上」なので、そこから農業生産にかかるさまざまなコスト(種苗費、肥料費、農機具費など)を差し引けば、金額はもっと少なくなる。つまり、こうした農家のほとんどは他に主収入のある兼業農家か、高齢者だけでほそぼそと農業を続けている家、なのだ。
明らかに赤字経営の零細農家が、それでも農業を続けているのはなぜか? 久松氏はその理由を「惰性」と表現する。引用しよう。
零細な家族経営は、個人の資産形成と不可分の設備で運営されています。先代が建てた納屋で、助成金を使って購入した古い機械を大事に使いながら、食う分だけの田んぼを年金補填で続けている、といったケースが山ほどあります。街場で言えば、家賃のかからない「軒先商売」を何となく続けている小さなお店に似ているかもしれません。能動的に続けているというよりは、辞めるきっかけを持てないでいる、という消極的な選択です。
日本の農家、特にコメを作っている稲作農家が、政府からの助成金や補助金をもらっているおかげで「儲かる農業」への経営意欲を失っているという話は、いろいろなところでよく聞く話だ。
また、久松氏によれば、耕作者が安定して農業を続ける権利を保護するために設けられた農地法が、農業をしていない「農家」の「特権」になってしまっているという。
その人たちは、もし子供が地元に帰ってきたら家を建てるかもしれないし、そうでなかったら誰かに宅地として売ればいい、という「出口戦略」を持っています。いざとなれば宅地に化ける権利があるがゆえに、農地が農業の生産手段として有効に利用されずに塩漬けになることを制度が後押ししてしまったわけです。
後継者不足で耕作放棄地が増えていく現状を嘆く声をよく聞くが、そもそも日本の農地は計画的に開発されたものではなく、農業に向いていない場所を無理やり開発した土地だった、ということも珍しくないのだという。つまり、「農地ももっと減っていい」のだ。
さて、こうしたことが久松氏の『農家はもっと減っていい』の主張の背景にある「日本の農業」の現状である。赤字経営の零細農家を多数抱えた日本の農業は、年齢層のピークが70代に達しており、「大量離農時代」がすぐにもやってくることが予想されているが、久松氏はそうした状況を「当たり前のこと」としてシニカルな目線で眺めているように見える。

ただ、『農家はもっと減っていい』は、単に古くて時代の変化の流れにのれない日本の農業を批判するだけの本ではない。そこのところは、落語でいう「まくら」に過ぎず、農家の「大淘汰時代」のよそで起こっている、もうひとつの重要な潮流について語っている。実はそこからの部分が本題なのだ。
その潮流とは、圧倒的多数の零細農家のそばで登場してきた、ひと握りの大規模農家の存在である。
ひと握りの大規模農家については、前出の農林業センサスのデータに照らし合わせると、次のような事実がある。
まるで、グローバリズムを語る文脈のなかで「スーパーリッチと呼ばれる1%の超裕福層が、その他69億人の富の2倍以上を保有している」などと語られる言いまわしを連想してしまうが、久松氏は「黒船のようにやって来た大規模農業の脅威」を批判する人に対して、こう反論している。
知っておいていただきたいのは、批判する人たちが「大規模農家」と呼んで一方的に敵視する経営体の多くは、売上高1億円から数億円程度の、一般の世界では中小零細と呼ばれる小さな経営体だということです。稲作を例に取ると、メガファームと呼ばれる100haの大面積をこなす農業法人は栽培技術においても経営マネージメントにおいても、農業界のJリーガーのようなトッププレイヤーです。それでも、業界内でのチャレンジの大きさとは裏腹に、売上はたったの1億円しかありません。
つまり、地域の支えや政府からの助成金や補助金に頼ることなく、リスクを背負いながら次代に向けた経営に取り組む農業者の挑戦を評価することなく、闇雲に批判するのは欺瞞である、というのだ。
おもしろいのは、「リスク覚悟で未来を切り拓く経営者」という点で久松氏は「大規模農家」と共通しているが、あえて同じ道を目指すのではなく、「小さくて強い農業」という独自の路線を追求していることだ。久松農園の年間売上は5000万円程度というから、「たったの1億円」の大規模農家の半分に過ぎない。
本書で語られる久松農園の特色をピックアップしてみよう。
久松農園を例に取ると、美味しい品種を旬の時期だけつくり、鮮度良くお客さんに届ける、という美味しい野菜づくりのロジックがあります。季節ごとに移り変わる多品目の野菜をシーズンに少量ずつつくる、という家庭菜園のような農業をしています。
久松農園では、多くの人に売れそうなもの、をつくるのではなく、まず自分たちが食べたい野菜をつくり、それをお客さんにおすそわけする、という順番でつくるものを選びます。
マーケット業界では、顧客のニーズを優先することなく、つくり手がいいと思うものをつくって売るという考え方を「プロダクトアウト」というが、これからの時代は顧客が望むもの、売れるものだけを作り、提供するという「マーケットイン」型のビジネスモデルにシフトしている。
もちろん、これまで圧倒的にプロダクトアウト型だった農業も、マーケットイン型になっていかないと産業としての未来はない、ということはよく言われていることだ。
にもかかわらず、久松農園はそのような流れと逆行する、古くさいように見える「プロダクトアウト」戦略を採用しているのだ。
もちろん、そこには久松氏独自の計算がある。「価格競争の土壌に乗らない」、「皆がいいと思うものに手を出さない」、「セールスポイントを曖昧にする」など、久松氏はアクロバティックな奇策を惜しげもなく開陳し、「小さくて強い農業」の可能性を指摘している。
ここではくわしく紹介できないが、これから農業に参入しようと思っている人にとっては「秘伝書」とも言える価値のあることが書かれている。
とにかく感心するのは、その熱量である。
第6章「新規就農者はなぜ失敗するのか」では、現状の日本の農業がいかに新規参入に不利なのかを指摘し、脱落していく新規就農者の実例を紹介しながらその難しさを語る。そして、最後の第9章「自分を『栽培』できない農業者たち」では、異業種から新規参入した自身の失敗談を赤裸々に語っている。
第4章「難しいから面白い ものづくりとしての有機農業」と、第7章の「『オーガニック』というボタンの掛け違い」については、世間の多くの人が抱いている「有機栽培」というもののイメージを覆させられる考えが表明されていて、目が開かれた。
新書というと200ページ前後が標準というイメージがあるが、本書は375ページの分量で、しかも隅々まで濃い内容がつぎ込まれている。著者の久松氏が、現在の知見のすべてをつぎ込もうと、渾身の力を込めて執筆したのであろうことが伝わってくる良書だった。
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