文化人類学はおもしろい、という確信があった。
「奥地」とか、「秘境」と呼ばれる土地に学者が分け入って、西洋を中心に築かれてきた文明・文化とは異なる環境で生きてきた人たちの生き方を垣間見させてくれる。「多様性」という今の時代のキーワードを語る上で、重要なヒントをもたらしてくれる学問だ。
そんなこともあって、「これからの時代を生き抜くため」と「文化人類学入門」というふたつの言葉の結びつきは一見、違和感がありそうで、実は納得感があるように見えた。
だが、この本の冒頭で、西洋の文明・文化と異なる人々の生活を「未開」ととらえ、西洋が発展してきた進化の「途上」にあるとする考えのもとに構築してきた文化人類学が、その成り立ちを反省して「マルチスピーシーズ人類学」という分野に発展していることを改めて知らされた。
マルチ(複数)なスピーシーズ(種)を扱う「マルチスピーシーズ人類学」は、「これからの時代を生き抜くため」に大いに有効な知見を与えてくれる考え方と言えるだろう。その入門書として、本書は非常に有益な書である。
著者の奥野克巳氏は、立教大学で2008年に全国に先駆けて新設された異文化コミュニケーション学部の教授をつとめる人類学者。東南アジアのボルネオ島の狩猟民プナンのフィールドワークを通じて著した『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房)などの著書で知られている人だ。
まず、第1章の「文化人類学とは何か」で語られるのは、15世紀以降、未知の世界とその文化を知るという欲望から生まれたこの学問が、19世紀になって西洋列強国による植民地主義を正当化することに利用されてきた文化人類学の歴史だ。
ダーウィンによる生物進化論の影響を受けて、文化や文明もまた進化するという考え方のもと、西洋文化が進化の頂点にあると位置づけられ、それ以外の劣った文化・文明を持つ人々を教え導き、啓蒙することを使命とすることが目的化されたのだという。
その流れは、20世紀になって大きく変貌する。人類学者のブラニスラウ・マリノフスキらが現地の生活に浸りきって、その社会の全貌を内側から解明しようとするフィールドワーク(参与観察)という手法を取り入れることで。
20世紀の文化人類学は、異なる文化を同じ地平に置き、その優劣を問わず、いずれの文化も固有の価値を有しているということを認めて、その多様なあり方を描き出すという新しい視点を手に入れたのだ。
というのが、第1章の大まかな内容だが、その結論として第5章で紹介されるのが、2010年以降に新たに登場した「マルチスピーシーズ人類学」という考え方だ。引用しよう。
マルチスピーシーズ人類学がもくろんでいるのは、人間だけが地球上で主人公として君臨するのではなく、人間を含み、人間以外の存在から構成される世界がまずあって、その一部として人間が生き、死んでいくという考え方を重視することです。そして、そのような考え方に基づいていかに世界を見ることが可能かを、民族誌をつうじて探求することにあります。
つまり、人間は単独で生きているのではなく、他の動物や植物、微生物、ウイルス、森や山河といった自然物などとともにこの世界を作りながら生きてきたという視点から物事を理解しようというのである。
「西洋文化とそれ以外の文化」の垣根を乗りこえたのが20世紀だったとするなら、21世紀は「人間とそれ以外の自然」の垣根をぶちこわそうというわけだ。
文化人類学がそんなことになっているなんて知らなかった。驚きである。
というわけで、ダイバーシティ(多様性)からマルチスピーシーズ(複数種性)に生まれ変わった文化人類学の「入門書」として、本書では他の研究をふまえたさまざまな成果が語られるが、やはり魅力を感じるのは奥野氏自身がフィールドワークをしたボルネオ島の狩猟民プナンについての記述だ。
例えば、プナンの人たちには「けちであってはいけない」という強固な社会規範があるというが、そのことを説明するうえで、次のようなエピソードが語られる。
私が春夏の年2回のペースでプナンの居住地を訪れる際には、世話になっている受け入れ先(ホスト)の男性の家族に時計やポーチバッグなどの土産物を持っていきます。しかし、私の贈り物はすぐに、それらを欲しがる別の誰かの手に渡ります。珍しい物を見て、人から欲しいと乞われて分け与えることもありますが、何も言われなくとも人に分け与えることもあります。そして、それを受け取った人はさらに、また別の人に分け与えるのです。
おもしろいのは、プナンの人たちのこうした気前のよさは、自然発生的な感情ではなく、実は独占したいという感情との葛藤から生み出されているということだ。
というのも、奥野氏がある日、1人のプナンの子どもに飴玉を与えたところ、その子どもは飴玉を握りしめ、他の子どもに与えず独占しようとしたという。すると、その様子を見た母親が「分け与えられた食べ物を独り占めしてはいけないよ。隣にいる誰かに分け与えなさい」と諭したというのだ。
プナンの人たちの間でこうした社会規範が生まれた理由を奥野氏は次のように説明する。
「いま」分け与えておくと、「あと」で手元に何もない時に分け与えてもらうことができます。そのように決めておけば、お互いに支え合って、みんなで生き延びることができるでしょう。
それは、個人所有を前提として、貸すとか借りるというのではありません。プナンの心には、あるものはみんなで分かち合うという「シェアリング」の理念が、植えつけられ、育まれているのです。
その結果として、プナン語には、何かをもらったときに相手にかける「ありがとう」に相当する感謝の言葉がないのだという。その代わりにプナンの人たちが使うのは、「ジアン・クネップ」という日本語に訳すと「よい心がけ」という意味になる言葉だ。
つまり、もの分け与えた人に気前のよさを讃える言葉しかないというのだ。
プナンの人たちが「けちであってはいけない」という社会規範を持っていることについて、奥野氏は次のように感想を述べている。
個人所有を奨励する私たちの社会と、個人所有を否定するプナンの社会を、「進歩」という歴史観で並べてみると、個人所有に重きを置かないプナンたちは「遅れている」とみなされてしまうでょう。実際のところ、そのどちらに優劣があるのかを決めることは不可能です。しかし、現代日本の社会の歪みを考えた時には逆に、プナンの社会はなんと豊かなのかと感じることもしばしばあるのです。
私たちの社会にはあって、プナンの人たちにないものは、「ありがとう」という言葉の他にもたくさん紹介されている。
例えば、トイレ。
プナンの居住地には州政府が衛生政策と称して作ったトイレはあるが、そこは狩りに使う吹き矢やライフル銃などの物置になっていて、彼らはもっぱら居住地から少し離れた森のなかの「糞場」で用を足すのだという。
プナンは、糞場を通り過ぎる時、これは、昨日食べ過ぎた誰某(だれそれ)のものであるとか、腹を下している誰某のものであると意見を述べ合うことがあります。「あれだけ猪肉を食ったのに、熊の肉のようにひどいにおいだ」などと、誰かの糞便を品評するのです。
(中略)
そのようにして、居住空間の近くにまき散らされた糞便は、他の狩猟キャンプのメンバーの目にさらされ、品評の対象となるのです。糞便のにおいや色つやは、メンバーの食と健康の指標なのです。
こうした社会を、「息の詰まる窮屈な社会」と解釈することもできるが、「人と人が支え合って充足している社会」とも解釈できる。それが奥野氏の言う、「優劣で測ることのできない」ということだ。
プナンにはまた、精神病や心の病といった言葉も存在しないという。
プナンは、独りで思い悩んだり、あれこれ考えあぐねたりするようなことがありません。そうしたプライバシーが保たれた時間も空間もないのだと言えます。のべつ誰かがそばにいますし、誰かが自分のことを気にかけています。思い悩む暇がないほど、個が集団に溶け込んでいるとも言えます。ヒゲイノシシが獲れたら、真夜中の3時であろうが叩き起こされ、食事をするように強いられます。そうした点が、ことによると心の病が「ない」ということに関係しているのかもしれません。
プナンは狩猟採集民だが、私たちが何となく持っているイメージに照らし合わせると、彼らが常に食料不足に怯え、あくせくと森に入って獲物を探しているように想像してしまうだろう。「進化」的な歴史観では、狩猟採集のあとに農耕や牧畜が始まり、飢えに苦しむ心配のない、安心・安全で「高度」な社会になったと見てしまうのだが、それは大きな間違いだということも説明される。
マーシャル・サーリンズというアメリカの人類学者が明らかにしたことですが、実は狩猟採集民が狩りや採集を行うのは、非常にごくわずかで、それ以外の時間は休んだり、ゆったりと過ごします。ところが、農耕や牧畜になると四六時中、作物や家畜の世話をしなければならなくなり、むしろ忙しいのです。狩猟採集のほうがその都度、必要な摂取カロリーを満たす分の獲物を手に入れればいいわけですから、そんなに働く必要がないわけです。サーリンズは狩猟採集で暮らした石器人こそ、「原初の豊かな社会」を生きていたと唱えて、私たちの認識を逆転させました。
目のウロコが何枚あっても足りないほど、この本は新たな知見に満ちた本だった。まさに「これからの時代を生き抜くため」に必読の書と言えるだろう。
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