住まいのことについて話をする際、必ず出てくるのが「賃貸が得か? 持ち家が得か?」という議論である。
前回紹介した『ほんとうの定年後』(講談社新書)では、老後の住居費負担が軽減するという理由で「持ち家は賃貸より良い選択」と断言していたが、その一方で、賃貸のほうが壮年期から老年期に移行するライフスタイルの変化に柔軟に対応できるというメリットを重く見る人もいる。
要するにこれは、決着のつかない議論なわけだが、今回紹介する日下部理絵氏の『60歳からのマンション学』(講談社α新書)を読めば、新たな視点で住まいというものを考えることができそうだ。
60歳を過ぎて、「終の棲家」をマンションにしようとする人が増えているというが、その選択はどれだけ有効なのか? ちょっと覗いてみることにしよう。
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かつて日本には、賃貸アパートから始まって、分譲マンションを購入し、戸建てに買い換えてアガリとなる「住宅すごろく」と呼ばれるものが存在していた。
だが、著者の日下部氏は、その住宅すごろくが今の時代になって、常識と呼べるものではなくなったと指摘する。
それは、地価は必ず上昇し、転売するたびに資産を増やせるという「土地神話」が崩壊したからなのだが、その結果として、住宅すごろくの途中の分譲マンションをアガリとしたり、戸建てを売って分譲マンションに乗り換えようとする60代以降のシニア層が増えているというのだ。
子育て世代の人たちにとっては、子どもに部屋を提供できるような広い住まいが望ましいが、子どもが独立して家を出ていけば、広さはメリットにならない。掃除も楽にできてコンパクトに暮らせるマンションを「終の棲家にしたい」と考えるのは、確かに自然な選択のように思われる。
だが、本書を読んでみると、マンション住まいが60歳以降の人たちすべてに理想的かというと、そうでもないことがよくわかる。
安全・安心・快適な暮らしは、黙っていれば誰もが手に入れられるものではなく、マンション暮らしを選択した住民自身の努力でそれを勝ちとっていかねばならないのだ。
本書は8つの事例をもとに、理想的な暮らしを獲得する方法を探っていく。以下、その内容の一部を見ていくことにしよう。
まず、「事例1」で紹介されるのは、夫に先立たれ、終の棲家のつもりで購入した分譲マンションから賃貸マンションに住み替えようとしている73歳の和田信子さん(仮名)の事例だ。
住み替えの動機は、その分譲マンションが「ペット飼育不可」の物件だったからだ。
マンションは戸建てと違って、自分の都合でペットを飼える場所ではない。それでも住み替えをせずにペットを飼おうと思うなら、「ペット飼育不可」というルールを変更するしかないのだ。
それでも信子さんのマンションでは、「ペットを飼いたい」という意見は多く、都合のいいことに管理組合の理事会で検討中とのことで、信子さんは日ごろ参加していなかった総会に出席してみた。そこではこんな意見が交わされていた。引用しよう。
組合員1「いままで通り、ペット飼育不可がいいです。私の家族で重度のペットアレルギーを持つものがいるんです。わざわざ、ペット禁止だというから築古だけどこのマンションを購入したのに。お願いします。このままペット禁止がいいです」
組合員2「私はペット飼育に大賛成です。子供が飼いたいと言っており、子供の教育のためにも飼いたいです」
組合員3「私は外部に居住しており、賃貸に出しているのでどちらでもいいですが、正直なところ、ペット飼育可のほうが賃料が高くなり資産価値が上がると思います」
お互い、顔を合わせての意見のぶつかり合いとなると、かなりヒリヒリとする議論が交わされたことが想像される。
ペット飼育可にするには、管理規約の改正が必要で、組合員総数と議決権総数のそれぞれ4分の3以上の承認が必要なのだが、結果としてはペット飼育について「どちらでもいい」と思っていた組合員が家族にペットアレルギーを持つ人に対する同情票を投じて決議案は否決されてしまった。
そうなのだ。分譲マンションは、自分のものでありながら、すべてに自分の意見が通るわけではない。信子さんのようなひとり暮らしの高齢者だけでなく、子育て世帯や投資目的で物件を所有している人など、年齢や目的も異なる住民の合意形成が成立しなければ、何もできないのだ。
信子さんが「賃貸マンションに住み替える」という道を選ばざるを得なかったのは、そういうことが背景にあった。
本書を読んで初めて知ったが、ペット飼育可のマンションが主流になったのは2000年代以降で、それ以前に建てられたマンションのなかにはペット禁止のところも多いという。
現在ではほとんどの分譲マンションがペット飼育可だが、その背景には、1997年に国土交通省が中高層共同住宅標準管理規制の改正で、ペット飼育を「規約で定めるべき事項」と定めたことがある。
「ペット飼育」は、「生活音(騒音)」、「違法駐車・違法駐輪」に続いて「マンション三大トラブル」のひとつと言われているのだ。
ペット問題だけではない。住み替え先の賃貸マンションを探す際にも、信子さんの前に「年齢の壁」が立ちはだかった。
その問題は、気に入った物件の契約申込書を提出した際に露見した。その申込書を見た途端、不動産屋の担当者の顔色が変わるのが伝わってくる。
「お若く見えるので気が付きませんでしだが、正直申し上げますと65歳を超えますと賃貸マンションを探すのは一般的に困難を極めます。ただし、本物件は分譲賃貸ですのでオーナー様のご意向次第かと存じます」と言われ、オーナーの判断を待つことになった。
そして、「今回は見送りさせてください」という回答を受けとるのである。
国交省のデータによると、大家(オーナー)の約6割が60歳以上の高齢者に拒否感を持っていて、賃貸借契約の約97%において、何らかの保証を求めているという。
近年では連帯保証人を立てる代わりに、保証料を払って保証会社のサービスを利用するケースが増えているというが、賃貸保証料の相場は1カ月の家賃の50%だとされる。入居後も1~2年ごとに更新保証料が必要になるのでバカにならないコストである。
ただし、この本の美点は、ほとんどの事例を「悲劇の主人公」にしていたずらに不安をあおるのではなく、「自ら努力して困難を克服する人」として描き、トラブルを乗り越える方法を具体的に示している点にある。
信子さんの場合、UR賃貸という抜け道を見つけて「年齢の壁」を克服している。
事例を通じて、さまざまなトラブル克服法を解説してくれるのもこの本の特色だが、UR賃貸については、「民間の賃貸住宅に比べて物件数が少ないので選択肢が限られている」というデメリットも含めて次のように解説している。
その点、UR賃貸であれば、まず年齢だけで貸してくれないということはなく、本人確認のみで保証人や保証料は不要。礼金・仲介手数料なし、更新料も不要と、費用面での負担が少なく高齢者にとってありがたい物件である。また、特別募集住宅(住んでいた人が物件内で亡くなった住宅)なら入居から1年または2年間、家賃が半額に割り引かれることがある。
ここで話はちょっと寄り道にそれるが、出版業界では本作りのテクニックとして、「本の冒頭にはもっとも引きの強いネタを置く」という手法がある。これは、「書店で立ち読みをして品定めをする人の多くは、最初の数ページを読んで購入するかどうかを判断する」という、迷信のような説によるものだが、本書について言えば、「事例1」の信子さん以外にも、読み応えのあるエピソードと解説が書かれていることは保証できる。
本書を読むことで、目から何枚もウロコがとれ、「マンション住まい」についての知識を改めさせられることも多かった。
例えば、一般的には「成功者の証」とした語られるタワーマンション(タワマン)だが、眺望のよさや資産価値の高さなどのメリットをはるかに上回るデメリットがあることを改めて知らされた。
確かにタワマンの眺望のよさは誰にも文句のつけられないものだが、早い人では「3日で飽きる」というし、全面ガラス張りの部屋は日射しが強烈で温室状態になるという(逆に階数が高くなるにつれて害虫がいない環境になり、窓を開けてすごせるというが、部屋によっては携帯電話の電波が届くにくくなるケースも)。
オール電化の物件だと、料理好きの人にはガスでの加熱ができずにレパートリーが少なくなるし、宅配ボックスが1階にしかなかったりすると5~10分待ちのエレベータの登り降りはかなりのストレスになる。
また、分譲マンションについてまわるのは、10~15年に1度の周期で行う大規模修繕があるが、タワマンの大規模修繕の事例はまだ少なく、建設を担当したゼネコンや、その子会社などの一部の業者しか選ぶことができず、安く施工してくれる業者を選ぶ余地もない。
大規模修繕は1回目より2回目、2回目より3回のほうが費用がかかるというが(3回目は2回目の約1.5倍かかるとか)、タワマンの場合、その負担は普通のマンションよりかなりの高コストとなるのだ。
日下部氏は、購入を薦めない金食いタワマンとして、次の特徴を挙げている。
■細長いなど戸数が少ないタワマン
→戸数が少ない分、管理費や大規模修繕費の積立金がかさむため
■デザイン性が高いなど歪な形状をしている
→低層、中層、高層の異なるメンテナンス計画を用意する必要があり、費用がかさむ
■戸数の割に維持費がかかるスパやプール、カラオケ施設などがある
→「食べ放題」サービス同様、元をとるのは意外に大変
■タワー式などの機械式駐車場があり、しかも空きが多い
→機械式駐車場はメンテが困難で、空きリスクの高い「金食い虫」
■24時間有人管理でスタッフ数が多い
→スタッフの人件費ほどバカにならないものはない
とにかく、8つの事例紹介と「事例からわかること」の解説を通じてわかるのは、マンションを理想的な終の棲家にするには、待ち構えているトラブルの種をひとつ一つ除いていく胆力と正しい知識が必要だということだ。
本書は、さまざまなトラブルを未然に防ぎ、それを克服する方法を知る上での道しるべになってくれるだろう。
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