『父を焼く』というショッキングな題名の漫画を読んだ。
だが、冷静になって考えてみれば、親を亡くした者はすべて、「父(母)を焼く」という経験を有しているものだ。かく言う私もそうだった。
作画を手掛けた山本おさむ氏は、ろう学校を舞台に描いた名作漫画『どんぐりの家』で知られる人間ドラマの名手である。ずっしりと重い読後感を受けとめつつ、この作品をレビューしていこう。
まずは、この漫画のストーリーの背景を紹介しよう。
主人公の三上義明は、55歳。家電量販店で働きながら、夫婦共稼ぎでひとり娘を大学に行かせ、就職してひとり立ちをさせたばかり。それを機に、彼は自らの老後を意識するとともに23年前、突然孤独死した父・義雄のことを回想する。
父の義雄は不運の人だった。高校をいちばんの成績で卒業して馬の獣医師資格を得るも、戦争が終わって軍馬の必要がなくなり、職を得ることができなかった。この最初のつまづきが尾を引くかのようにして「恋人の自殺」「左目の失明」「結婚後、最初の子を1カ月で亡くす」という不幸にみまわれる。
その結果、義雄はアルコールに逃げるようになり、第2子の義明が産まれて以後、まともな定職につかずに妻に暴力をふるうDV男になってしまった。そうした事情から義明は、高校を卒業してすぐに故郷の岩手県を逃げるように去って上京したのだ。
だが、それで親子の縁が完全に断ち切れたわけではない。
例えば家電量販店の契約社員となって1年目、義明が住む風呂なしの四畳半アパートに岩手県F市の生活福祉課の女性が訪ねてくる場面がある。
両親が生活保護を受けることになり、彼に金銭的な援助ができるかどうかの確認をする必要があるという。民法では直系血族および兄弟姉妹は、お互いに扶養をする義務がある旨が定められていて、義明は毎月10キロの米を実家に送ることを約束させられる。
そんな義明が父の孤独死の報せを受けたのは、33歳のとき。すでに母親は糖尿病を悪くして2年前に亡くなっており、ひとり暮らしをしていた父の義雄は、自宅の寝床で死後数日経って腐乱した状態で発見された。
その布団にはおびただしい数のハエがたかり、ミイラのように包帯が巻かれた遺体にはウジが湧いていた。そのグロテスクな描写は、「漫画」という形でしか表現できないリアルさで誌面に迫ってくる。
そして物語は、三上親子の壮絶な出来事を回想しながら、55歳になった義明が23年間、自宅アパートの天袋に保管していた両親の骨壺を樹木葬で合祀するところで終わる。
読後感は、決してスッキリするものではない。特に、主人公の義明と「30代前半で父と死別」「現在、50代なかば」「大学を卒業した我が子がひとり立ちしたばかり」という共通の経験を持つ私にとって、身につまされる話だった。
だが、老後のとば口に入って、自らの「死」について思いを巡らす心境については、共感させられた。そして、最後の最後で語られる「今が血反吐を吐くような厳しい時代だという事は分かっている。でも俺達は悲観せず生き抜こうと思う」という義明の決意には大いに励まされた。
ちなみにこの『父を焼く』は、小学館の「ビッグコミックス」の新レーベル「ビッグコミックス フロントライン」から発表された第1段の作品で、今後も老い、介護、看取り、終活、終の棲家といった題材を扱った作品をコミックス化していくという。
すでに第2弾となる齋藤なずな『ぼっち死の館』と、第3弾の山本おさむによる『もものこと 愛犬と老人の最期の日々』が出版されている。
「ビッグコミックス」は30代以上の男性をターゲットにした「青年誌」だが、そのような呼称ではシニア層に届けきらない時代になってきたことを受けて、70代以上の読者に向けて創設したレーベルだという。
「ビッグコミックス」というと、30代に熱心な読者だった私は、弘兼憲史の『黄昏流星群』の連載が始まったときに「あれ?」と思った記憶がある。「青年誌なのに、なぜシニア向けの漫画を始めるのか」と。
調べてみると、『黄昏流星群』が最初に掲載されたのは1995年の11月。今から28年前の話である。だが、今思えば「ビッグコミックス」は、そんな昔から「シニア」の読者を想定していたということになる。
1995年というと、総人口に対する65歳以上の人口割合(高齢化率)が14%を超えて14.6%になった年である。昨年2022年には、これがほぼ2倍の29.1%になった。
当時、「日本ではやがて、全人口の3人に1人が65歳以上になる」という新聞記事を読んで、「その3人に1人の老人って、オレら世代のことじゃねぇか!」と驚いたことをよく覚えている。
「ビッグコミックス フロントライン」のようなシニアレーベルの登場は、必然の流れだったのだ。
というわけで、シリーズ第3段にあたる『もものこと 愛犬と老人の最期の日々』のほうも気になって読んでみた。
主人公の刈田有三は81歳。かつかつの年金で生活をするなか、「肺がんで余命1年」と医師に告げられる。そのとき彼の脳裏を貫いたのは、それまで心のやすらぎを与えてくれた愛犬もものこと。
すでに妻を亡くし、天涯孤独の身になっていた刈田には、里親になってくれそうな人脈もない。NPO法人を訪ねて里親募集をしてもらうが、12歳の高齢犬はもらい手が少なく、「あまり過剰な期待はなさらないように」とクギを刺されてしまう。
いよいよ病状が悪化し、救急車で病院に運ばれた刈田は、病院を抜けだして置去りにされた愛犬を探しに行くのだが……。
という具合に、こちらも『父を焼く』と同様、貧しく孤独な日々をおくる老人のリアルな日常が描かれる。だが、物語は病院のエピソードをきっかけにして、思わぬ人物との出会いが彼を窮状から救う形で展開していく。
そうなのだ。この作品もまた、「老い」の悲惨さを描くだけでなく、その悲惨さに向き合い、懸命に生きようとする主人公の奮闘ぶりとその希望を描くことに主眼が置かれているのである。
今回、この2冊の漫画を読んだことで、「ビッグコミックス フロントライン」という異色の新レーベルから、シニア市場を賑わすヒット作がいつしか生まれるのではないかという予感を確かにした。
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