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インタビュー 定年 片岡鶴太郎

【俳優、画家・片岡鶴太郎】人生後半を思いきり楽しむ、「老いては『好き』にしたがえ!」の流儀

片岡鶴太郎さんは、つねに新しいことにチャレンジし続けている「挑戦者」である。 芸人として売れっ子の道を歩んでいた30代に突如、ボクシングに挑戦してプロライセンスを取得。それと同時に、仕事の比重を芸人から俳優へと移していった。かと思えば40代からは絵の道に手を広げ、個展をひらくほどの人気を博すように。 さらには50代後半でヨガを始め、インド政府公認のヨガインストラクターになるほど道を究めた。2017年6月、インストラクター就任の発表記者会見で体重43キロの痩身で現れた彼の姿を見て、衝撃を受けた人は多いだろう。 そんなふうに1度だけの人生を、5回分、6回分も楽しんでいるように見えるのが鶴太郎さんという人である。 そんな鶴太郎さんが上梓した『老いては「好き」にしたがえ!』(幻冬舎新書)には、人生100年時代を生き抜くヒントに満ちている。この本を読むと、人生の節目、節目で彼がもがき苦しみながら「新しいことへのチャレンジ」をしていった経緯がわかる。 2023年の12月21日で69歳になる鶴太郎さんのこれまでの人生をふり返っていただくと共に、70代以降の生き方についてのビジョンをうかがってみよう。 『老いては「好き」にしたがえ!』 著者:片岡鶴太郎 発行:幻冬舎新書 定価:900円(税別) 人として売れるには、「弟子入り」という道しかなかった ―鶴太郎さんが芸人を志したきっかけは、何だったのですか? 最初は、芸能界に対する漠然とした憧れがあって、はっきりと形になったものではありませんでした。実際に行動を起こしたのは高校卒業後のことなんですが、女優の清川虹子さんのご自宅に押しかけて門前払いをくらったり、俳優の松村達雄さんのもとを訪ねたりしました。いずれも「弟子入り」をお願いしたんですが、松村さんには「演劇の世界に弟子をとるという制度はないからね。もし俳優になりたいのであれば劇団に入りなさい」と諭されてしまいました。「弟子入り」にこだわったのは、1日24時間365日、芸能の水に浸りたかったからです。今のように各芸能プロダクションがいろんな養成所を構えていて、プロになるための道を作ってくれるような時代じゃなかった。誰かの弟子になって、その道に進んでいくのが唯一の方法だったんです。結果的に私の希望に応えてくれたのが、声帯模写を得意とする片岡鶴八師匠で、これをきっかけにものまね芸人としての道を歩むことになりました。 ―でも、そこから売れっ子の芸人になるには、かなりの紆余曲折があったようですね。 そうですねぇ。鶴八師匠の弟子として過ごしたのは、3年ほどでした。住み込みの弟子として師匠の身のまわりの世話からカバン持ちをする生活を期待していたんですが、師匠からは「うちは狭いからそういうのは面倒だ。通いで来てくれ」と言われてしまいました。その後は、隼ジュンとガンリーズというコントグループの一員になったり、四国の大衆演劇一座の舞台に立ったり、文字通りの紆余曲折です。隼ジュンとガンリーズは「キャバレーの王様」という異名があるほど、キャバレーやホテルの巡業で絶大な人気を誇るグループでした。 ―ここでようやく“人気”という言葉が出てきましたが……。 でも、テレビで売れる芸人を目指していた自分には違和感があって、2年ほどたったころに逃げ出すような形で脱退してしまったんです。そこで東京にはいられなくなって、四国の大衆演劇一座のお世話にすがったわけです。その一座とは半年でお別れして、東京に戻って芸能プロダクションに所属することができたんですが、主な舞台は錦糸町のサパークラブ。深夜0時から朝5時まで営業していて、キャバレーやクラブで働くホステスさんがアフターで利用するようなお店で、そこのステージで司会をしたり、ものまね芸を披露する仕事です。 ―やっぱり「売れる」道筋が、なかなか見えてきませんね……。 自分でもそう思って、一念発起して挑戦したのが、「東宝名人会」のオーディションです。1934年から2005年まで1200回以上、開催された演芸公演で、この舞台を踏むことは、芸能の世界で名前を認めてもらう重要なステップだったんです。 一夜にして売れっ子に。そうなるまで9年かかった ―結果的に鶴太郎さんはこのオーディションに合格して、テレビにも出演するような芸人の道を歩むことになるわけですね。 そうです。24歳のとき、フジテレビのお笑い番組からお声がかかりました。『お笑い大集合』という番組で、タモリさん司会の『笑っていいとも!』の前身にあたる番組です。この番組のプロデューサーをつとめた横澤彪さんは若いころ、同じくフジテレビの『しろうと寄席』のアシスタントディレクターをつとめていたんですが、実は私、小学5年生のときにこの番組に出演したことがあるんです。横澤さんはそのときのことを覚えてくださっていて、「鶴太郎って、あのときの荻野くん(私の本名です)でしょ?」と声をかけてくれたんです。 ―横澤彪さんというと、1980年に『THE MANZAI』を起ちあげて、ツービートや島田紳助・松本竜介、ザ・ぼんち、B&Bといったスターを世に出す漫才ブームの立役者として有名ですね。 すごかったですよねぇ、漫才ブーム。ただ、ブームのメインストリームにいたのは漫才師の人たちですから、私のようなものまねの「ピン芸人」は、ブームの端っこのところで指をくわえて見ているしかありませんでした。ただ、その1年後の1981年に『オレたちひょうきん族』がスタートするんです。漫才ブームでブレイクしたコンビをバラして、みんながピンになってコントやパロディを演じるスタイルのバラエティ番組です。この「コンビをバラしてピンにする」というのは非常に画期的な試みで、私のような芸人にもテレビのメインストリームで活躍する場が与えられたんです。 ―鶴太郎さんご自身、「売れた」と実感したのは、いつごろですか? それに関しては明確な記憶がありまして、それが番組内の「ひょうきんベストテン」というコーナーで、マッチ(近藤真彦さん)に扮してゲスト出演したときです。後に番組内で「ビビンバ」の愛称で知られることになるディレクターの荻野繁さんに持ちかけられたネタで、近藤真彦さんのものまねは、私のレパートリーにはありませんでした。でも、「似てる似てないなんて関係ないから。マッチは元気がいいから、元気がよすぎてセットを壊しながら暴れに暴れて最後に死ぬ。これで行こう」という無茶苦茶なノリで生まれたネタです。ですから、やっている本人も「本当におもしろいんだろうか」と半信半疑でした。 ―でも、そのネタが見事にハネるわけですね。 そのことを実感したのは、そのマッチのネタが放送されて数日後、『笑ってる場合ですよ!』というお昼の生放送のバラエティ番組に出演したときでした。この番組は、先ほど述べた『お笑い大集合』と同様、『笑っていいとも!』の前身にあたる番組で、エンディングで5分くらいのゲストコーナーがあるんです。私は1カ月に1度くらいのペースでこのコーナーに呼ばれていたんですが、マッチ放送後に出たときの反響には、すさまじいものがありました。それまでは、「鶴ちゃーん」という声援もまばらにかかる程度だったんですが、このときは客席から「キャー!マッチ!!」という怒濤のようなどよめきが起こったんです。 ―アイドル並みの騒ぎですね。 サブコントロールルームから、横澤さんが駆け下りてきて、「鶴ちゃん来てるよ!来てるよこれ!絶対逃しちゃダメだよ」と興奮ぎみに語ってくれたのを覚えています。自分の感覚としては、一夜にしてまわりの世界が一変してしまったような感じでした。テレビの影響力のすごさを実感しましたね。このとき、私は27歳。鶴八師匠に弟子入りして、9年の月日が経ってました。 ポッチャリ型の芸人からスリムなボクサー体型に肉体改造 ―30代前半の鶴太郎さんはレギュラー番組を10本も抱え、文字通り、全国区に名前を知られる売れっ子になるわけですが、32歳のとき、突如としてプロボクサーのライセンス取得に挑戦しています。これには、どんなきっかけがあったのでしょう? 周囲の人たちにとっては「突如として」と見えていたかもしれませんが、自分としてはちゃんとした理由があるんです。テレビで売れたことへのうれしさはありましたが、レギュラー番組が10本になると寝る間もないほどの忙しさに追われて、ストレスが溜まっていきます。でも、充分な休養をとる暇もないので、すき間の時間で好きなものをお腹いっぱい食べ、酒を飲み、女性と遊ぶという毎日で、不健康そのもの。おかげで、身長161センチにして体重65キロの、ブクブクとむくんだ体型になっていました。ちょうどそのころ、明石家さんまさん主演の恋愛群像ドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)に出演する機会をいただいて、俳優という仕事に魅力を感じていた時期でもありました。 ―いわゆる“転機”、ですね。 でも、当時の私のポッチャリ体型では、似たような役のオファーしか来なくて、「いろんな役を演じられる俳優になるには、肉体改造をするしかない」と思っていました。その数年前に見た映画『レイジング・ブル』で、主演のロバート・デ・ニーロが鍛え上げられた現役時代のプロボクサーと、引退後の27キロも太った姿を同時に演じるという俳優魂に触れて、「海外の一流の俳優は、そこまでやるのか!」と衝撃を受けたことも大きかったですね。ボクサーはお笑い芸人と同様、子どものころからの憧れの存在でしたから、そのプロライセンス取得に挑戦することは、それまでの自堕落な生活をリセットしてくれる、絶好なチャンスだと思ったんですね。 ―でも、ボクシングのプロライセンスに挑戦するには、売れっ子芸人としての多忙な仕事を大幅にセーブしなければ不可能ですよね。周囲から反対はありませんでしたか? 実際、所属事務所からは「2年先までスケジュールが埋まっているんだよ。なぜ、その仕事をセーブしてまでボクシングに専念しなければいけないの?」と問い詰められました。それでも私は「2年先まで仕事があったとしても、3年先の保証はありませんよね。ボクシングのプロライセンスの取得には年齢制限があります。今、挑戦しないと、チャンスはもうやって来ないんです」と主張して、思い通りにさせてくれるように頼んだのです。現在、プロボクサーのライセンスの受験資格は32歳なんですが、当時の規定では33歳でした。私がボクシングへの挑戦を始めたのは32歳のときでしたから、1年しか準備期間がなかったわけですが、役者とボクシングのダブルチャレンジというのは私にとって、挑み甲斐のある挑戦だと思いました。 人生に行き詰まった40代を救ってくれたのは絵を描くことだった ―ボクシングのプロテストに合格すると同時に、ものまね芸人から俳優へ仕事の比重を移すことに成功した鶴太郎さん。大きな人生の転機だったと思いますが、その後、絵画という新しいことへのチャレンジが始まります。どんなきっかけがあったのでしょう? 33歳でボクシングのライセンスをとり、世界チャンピオンの鬼塚勝也選手のセコンドについて二人三脚で防衛戦に臨む日々は、充実していました。ところが1994年、鬼塚選手は6度目の防衛戦で世界タイトルを失い、以前から網膜剥離であったことを明かして現役を引退したんです。それと時を同じくして、私の俳優としての仕事にも変化がありました。長く主演をつとめていた金田一耕助シリーズ、海岸物語シリーズが終了して、潮目が変わっていくのを感じたんです。では、次に何をするべきか、いろいろ考えてみるんだけど、答えが見つからない。間もなく40歳の不惑の年をむかえるというのに、惑ってばかりの日々が始まりました。 ―その惑いのなかから、「絵を描く」という道に行き着くわけですね? 半年くらい、ジタバタした結果ですけどね。周囲にいる40代の人に「不惑の年ってどうですか?」と聞いてみたり、京都のお寺に坐禅を組みに行ったりしても、答えは見つかりませんでした。そうこうするうち、2月のある寒い日、早朝5時に仕事に出かけようと自宅を出たとき、隣家の庭に植えられた木に咲いた、赤い花が目に留まったんです。それまで植物に興味を持ったことなんて一度もないのに、そのときはなぜかその花の存在が気になったのです。以来、前を通りがかるたびにその花を観察するうち、その家の奥様と立ち話をする機会があって、ヤブツバキという椿の花だということを知りました。それと同時に、その感動を何かで表現したいと思って、絵に描くことを思いついたんです。 ―それまで絵を描いた経験は、あったんですか? いえ、まったくありません。それどころか、美術館で絵を鑑賞したこともありませんでした。でも、「椿の花を描けるようになりたい」という気持ちが心のなかから消えることはありませんでした。私は、こうした心の印を「シード(種)」と呼んでいます。普段は潜在意識のなかにあって、その存在に気づかないけれど、ふとした瞬間に「発芽したい」というサインを送ってくるんです。こういうときは、サインが示すままに行動するのがいちばんです。なぜならそれは、「自分が本当にやりたいと思っていること」であり、「魂の歓喜」につながることだからです。 ―なぜ、椿の花にそれほど惹かれたのでしょう? さぁ、どうなんでしょう。誰に見られることもなく、健気に咲いているところに心動かされたのかもしれません。本当の美しさというのは、そういうことなんじゃないかと。それに比べて自分は、人の目ばかりを気にして、人に見られていないと何もできない。そんな自分の非力を感じて、椿の花に憧れの気持ちを持ったのではないでしょうか。そこで、隣家の奥様に1本の椿の花をいただいて、目の前にかざしながら絵を描いてみました。 心のなかの「シード(種)」が絵を描くことで発芽した ―実際に絵を描いてみて、すぐに手応えはありましたか? とんでもない!最初に描いた絵は、目を覆いたくなるほどのひどい出来でした。その後も何枚も何枚も別の紙に書き直すんだけど、最初に花を見たときの感動に近づいていく感じが少しもしないんです。そこで、花を描くことはいったんあきらめて、サンマやイワシとかの魚を描くことにしました。私は、何かの技術を身につけるには「反復練習」がいちばんの近道だと思ってきました。最初のうちはうまくできなくても、毎日毎日繰り返して取り組むことで、何かが見えてくるようになる。ボクシングを始めたときも、そうでした。それまで運動らしいことをしてこなかったものだから、縄跳びすらまともに跳べませんでした。トレーナーにコツを聞くと、「鶴太郎さん、縄跳びにコツなんてありません。ひたすら跳ぶしかないんです。跳んでいるうちに、何かが見えてきますから」と言われて、ひたすら反復練習をしました。その「何かが見えてくる」という手応えは、1か月後にやってきました。絵を描くのも、これと同じ方法でいくしかないと思ったんです。 ―反復練習をするにしても、上達が遅ければ途中で心が折れてしまいます。鶴太郎さんは、それでもなぜ、絵を描き続けることができたんですか? このときは、「自分には絵の才能なんてないんだ」とあきらめたとしても、またもとの鬱々とした日々に逆戻りするしかないという焦燥感がありました。無謀な挑戦に思えても、それにしがみつくしかないという状況だったのです。その一方で、絵を描くことで、自分の心のなかのシードから確実に芽が育っているという実感もありました。絵を描いている間は心が躍って、好きな酒を飲むことも忘れて作業に没頭することができましたからね。 暗中模索のなか、独学で絵を描く喜びに目覚めていった ―絵の対象を花から魚に変えたことで、どんなことが起こりましたか? とりあえず絵の道具をそろえようと画材屋さんに行ったとき、「油とか水彩とか、いろいろありますが、どうしますか?」と聞かれて、私は直感的に「墨がいい」と答えていました。「バターと醤油とどっちがいい?」と聞かれて、醤油を選んだような感覚です。その時点で、写真のように見たままそっくりの絵を描くのではなく、見る人の想像力をうながすような味のある絵を目指していたのがわかります。例えばサンマは、お腹のところがメタリックに光っていて、背中には鮮やかな濃紺で彩られています。それでもじーっと眼をこらしてサンマを見てみると、肉眼で見た色とは別の色が見えてくるんです。ある意味で、心の眼とでもいうんでしょうか、ああ、ここは朱色だな、とか、ここには緑が見えるな、という具合。そんなふうに見た目にはない色を絵に加えたりすることに、最初のころは抵抗感がありました。絵についてアカデミックな教育を受けたわけでもない私がそんなことをするのは、とんでもない間違いなんじゃないかと。でも、これを自分の満足のいく形に表現してみないと先に行けないなと思って試してみると、何となく自分の思い描いていた「味のある絵」に近づいていく手応えがあったんです。 ―心のなかのシードから、芽が吹いた実感が得られたわけですね。 そうですね。ただ、そうやって私が描いた絵が、多くの人に評価されるかどうかはわからないまま、正直に自分の感じるままの絵を描き続けていました。そんなある日、ある百貨店の美術部長という肩書きの名刺を持った方がやってきて、絵を見てくれる機会がありました。内心、びくびくしながら「こういうのは、絵として反則なんでしょうか?」と聞いてみると、こんな答えが返ってきました。「この絵は、鶴太郎さんにしか描けないオリジナリティのある作品です。このまま描き続けていただいて、個展を開きましょう」と。その言葉を聞いた途端、目の前に立ちはだかっていた戸がパーンと開けるような気がしました。 ―初の個展「とんぼのように」は1995年、鶴太郎さんが40歳のときに開催されました。百貨店主催の個展というと、絵の販売が前提となるので事実上、鶴太郎さんの画家としてのプロデビューの年となりますが、そのことについてどう思いましたか? 個展の開催が決まってからは、ドラマの収録の現場にも画材を持ち込んで、1年間で120枚の作品を描き続けました。それはプロの画家になるための努力ではなくて、それまで暗闇のなかで半信半疑で描いてきた絵を白日のもとで自由に表現できるんだという喜びのためやっていたことだと思っています。初めての個展は、おかげさまで大成功。売り出した絵はすべて完売しましたが、その後、自分の絵を売ることにはあまり積極的ではないんです。幸いなことに、私の絵を非売品として展示してくれる美術館を建ててくれるというお申し出を受けて、現在では不定期での個展を開催するかたわら、美術館に展示する作品を制作するに至っています。 片岡鶴太郎作品を扱う美術館の一覧はこちら 50代でやってきた「男の更年期」。救ってくれたのは……? ―40代は画家としての活動を開花した年代でしたが、今回の著書『老いては「好き」にしたがえ!』によると、50代前半は「男の更年期」に入り、鬱々とした日々を過ごしていたそうですね。 ええ、そうなんです。絵を描くようになって10年も経つと、「鶴太郎さんは絵を描く人なんだね」というイメージが世間に浸透していて、注目度は低くなっていきます。役者としても、自分にしか演じられないような役にチャレンジしようにも、そういう役に挑戦できるチャンスがなかなかやってこない。50代というのは、そういう中途半端な年齢なんですね。そんな八方ふさがりな状況のなかで、自分の立ち位置がわからなくなって、ふとした隙に心の袋小路に入ってしまったように思い詰めている自分に気づきました。「やばい、やばい」と思い直して、再びボクシングジムに通って身体を動かして、ぐっすり眠れるような生活サイクルを作ろうとしたんだけど、あらゆる透き間で「やっぱりダメだ」というサイクルに入っていく。今思えば、「男の更年期」だったんでしょうね。心身のバランスが崩れて、何をしてもネガティブな方向に心が向いていくんです。そんな状態が2年も続きました。 ―どうやってそれを克服されたんですか? ある日、「昭和29年生まれの午年の会を作りたいと思っているんだけど、参加しませんか?」というお誘いをいただいたんです。会のメンバーは、当時の小泉政権下で自民党の幹事長をしていた安部晋三さん、今は神奈川県知事ですが元フジテレビのニュースキャスターだった黒岩祐治さん、一般の方では銀行の頭取の方など、年は一緒だけど生まれも育ちも職業も違う、バラエティ豊かな集まりでした。大勢が集まる場は苦手だったので最初は抵抗がありましたが、自己紹介のあとにいろんな話を聞くと、自分と同じような悩みや葛藤を抱えている方が多くて驚きました。組織のなかで、上にはまだ活躍する世代が大勢いて、下には勢いのある若者が突き上げてくる、そんな状態にあって自分の立場に行き詰まりを感じていた。そうした悩みを打ちあけ合うなかで、「そうか、悩んでいるのは自分だけじゃなかったんだ」と気づけたのは本当にありがたかった。救いになりました。鬱々としている時期というのは、閉じこもりがちになりますが、私の場合、積極的に外へ出ていって人と会ったことが良かったと思っています。 ヨガと出会って、新たな心の「シード」が芽吹くのがわかった ―57歳のときには、ヨガを始められています。これにはどんなきっかけがあったんですか? 先輩の秋野大作さんと仕事でご一緒する機会があって、「最近、セリフ覚えが悪くなって……」と悩みを打ちあけたところ、「瞑想がいいよ」というアドバイスをいただいたんです。まずは1日6時間を2日間かけて基本的な考え方や修法を学んだあと、20分の瞑想を実践していくんだけど、最初のうちは、まったくできませんでした。身体が痛くなって集中できないし、それに慣れたあとも途中で眠ってしまったりして、ただの二度寝で終わってしまうこともしばしばでした。だからこれも、得意の反復練習で取り組むしかないと思って、根気よく続けていくことにしました。ヨガの境地というものを体験してみたい、その先にはきっと「魂の歓喜」があるはずだという予感がありました。 ―その手応えを感じられるようになったのは、いつごろのことでしょう? 始めて2か月くらい経ったときでしょうか、瞑想中にすごい体験がありました。自分が床にあぐらをかいているという身体感覚がなくなっていって、背中のあたりから気持ちのいい感覚が滾々(こんこん)と湧いてきたんです。おそらく、医学的に分析すれば、脳から大量のドーパミンが分泌されているような状態だったのでしょう、全身が幸せに包まれたかのような多幸感がありました。なんて幸せなんだろう、と。 ―すごい手応えですね。 もう一度、あの感覚を味わいたいと翌日、翌々日と試してみても、二度目の体験はなかなかやってきませんでした。それでもずっと続けていくうちに、すーっとその境地入るスイッチのようなものを見つけることができました。そこまで達するのに、数カ月かかったでしょうか。 何事も始めるに遅いということはない ―ヨガに目覚めたことで、鶴太郎さんの生活にどんな変化がありましたか? ボクシングは52キロ級でしたから、1日2食で体重を維持していましたが、ヨガと出会ってからは1日1食になって、体重も43キロになりました。1日のルーティーンには9時間をかけています。そうするとどうなるかというと、仕事の始まる9時間前に目覚めるように就寝時間を調節する必要があるんです。例えば、ドラマの撮影が朝5時からだとすると、前日の夜8時が私の起床時間ということになります。 ―9時間もかけて、どんなルーティーンをこなすんですか? 目覚めてすぐは、ドラマや映画の撮影中ならセリフの反復練習をします。寝起きだから口がまわらなかったりするんだけど、これをベストな状態でできるようになるまで続けます。その後は、歯磨きに20分くらいかけて口を洗浄し、あとは掃除や花に水をやるなどの雑用をして、やおらヨガの体制に入ります。まずは、ストレッチとマッサージを組み合わせた準備運動に1時間から2時間かけます。特にマッサージは、手と足の指を中心に入念に行います。指先というのは末梢神経と毛細血管が密集していますから、マッサージで血行をよくすることでヨガの質があがるんです。毎日これをやっているから、手はジジイの手とは思えないほど、ツヤツヤしています。足の裏も、赤ちゃんみたいにキレイです。 そこまでやって、ようやくヨガの本番。これが、3時間くらい。最後はだいたい2時間半かけて朝食を食べて、ルーティーンが終わります。そんな生活をもう、10年以上続けていますが、そのおかげで完璧な健康と、充実した毎日を送っています。 ―最後に質問です。鶴太郎さんは2023年12月で69歳になります。70代を目前にした今、心のなかにまだ芽生えていないシードは、あると思いますか? こればかりは、今の自分にはわかりません。ボクシング、絵、ヨガ、この3つはどれも自分の意思で始めたことですけど、「向こうからやってくる」というパターンもあるからです。例えば、2022年のNHK朝ドラ『ちむどんどん』に出演したときのことです。三線を演奏するシーンがあって、しかも、テンポの速い「唐船(とうしん)ドーイ」という曲を弾かなければならなかったんです。楽器をやったことなど一度もない、60代の私に対する要求としては、ムチャぶりに近いんですが、「やってみよう」と取り組みました。例によって、反復練習で何とか弾けるレベルまで修得しましたが、そこまでやって辞めるのはもったいないと思って、今も弾き続けています。 ―60代になっても、まだ新しいことに挑戦できるんですね。 私はそう思っています。始めるのにもう遅い、なんて年齢はないんだと。まったく弾けなかった曲ができるようになったときの喜びには、他では得られない喜びです。くじけそうになったときや、ちょっとは弾けてうれしかったときなど、それまで積み重ねてきた感情がイッキに歓喜に変わるんです。だから、ちょっとくらいムチャぶりだと思っても、「やってみよう」と挑戦することは大事なことだと思うんです。もちろん、ちょっと試してみて、「やっぱり合わなかった」と思えばやめてもいい。人生100年時代と言われている今、そんな試行錯誤をする時間の余裕は、たっぷりあるのではないでしょうか。 撮影/八木虎造

2023/08/31

人生100年時代 定年 日本社会の変容

【評論家・勝間和代】人生100年の新時代にふさわしい生き方アップデート術

少子化問題、若者の雇用問題、ワークライフバランスなど、社会をよりよくするための提言活動をはじめ、ITやテクノロジーを駆使したライフハック術の伝道者として活躍している勝間和代さん。 2023年3月に上梓した『100歳時代の勝間式 人生戦略ハック100』(KADOKAWA)では、「人生100歳時代」に対応した、右肩上がりの人生戦略を提案している。 そこで今回は、「勝間和代はいかにして勝間和代になったのか?」というテーマを足掛かりにして、今後の新しい時代をしなやかに生き抜く方法について、じっくり話をうかがった。 不確実性に満ちた現代の迷い子たちの目を覚ます、渾身のインタビューだ! 『100歳時代の勝間式 人生戦略ハック100』 著者:勝間和代 発行:KADOKAWA 定価:1550円(税別) 公認会計士資格は、志望したなかでいちばんコスパのいい資格だった ―勝間さんは少女時代、どんな子だったんですか? 普通におとなしい子だったと思いますよ。折り紙とかお絵かきとか読書をするのが好きで、ゲームも人並みにやってました。 両親を含め、親族も製造業などの堅い仕事に就いていましたから、一攫千金を狙うような大それた夢を抱くでもなく、自分も周囲と同じような堅実な仕事に就くのだなと漠然と考えていました。 ―当時、最年少の19歳で国家資格である公認会計士試験の第一次、および第二次に合格して会計士補の資格を得たのは、そのことに関係があるんですか? 会計士のほかにイメージしていたのは、医師、教師、弁護士の3つ。そのなかで会計士を選んだのは、勉強時間、合格率、合格後の収入の確保のしやすさといった点でいちばんコストパフォーマンスのいい資格だと思ったからです。 医師と教師は、コスパで言えば対極にあるものですよね。資格取得のコストは医師が重く、教師は軽い。でも、医師の仕事は基本的にハードワークだし、教師はやり甲斐はあるけど低賃金で働かなくてはならないイメージがありました。弁護士については、最難関と言われる司法試験に挑むほどのモチベーションがなかったというのが正直なところです。 その一方、公認会計士の資格試験については、数学のスキルに関する問題が多かったので、私には向いている資格だと思いました。簿記や原価計算など、企業財務に関する理解力を問う問題は、数学が得意だった私にはさほどの苦もなく解けてしまうんですよ。私のまわりの理系の人でも、公認会計士の試験に合格している人はけっこう多かった印象があります。 日本企業に就職するつもりはなく、外資系一択でした ―その後、勝間さんは大学在学中に結婚して、なおかつ、お子さんを出産されています。そのころの大学生にとって「ワーキングマザーである」という状況は、就職するうえでかなり不利に働いたと思いますが、どうでしたか? 日本の企業で働こうと思ったら、おそらくそうなっていたでしょうね。だけど私は会計士の資格を持っていたのでその選択肢はなく、外資系企業に就職することだけを考えて、ゼミの教授が推薦してくれた会社に就職しました。 外資系企業というと、今では多くの学生が就職を希望しますが、当時は日本に進出して間もないころで規模も小さく、日本の一流企業に就職できない、二流以下の学生の就職先と見られていました。 でも、そのおかげで、新人にも責任のある仕事をまかせてくれるので、いい経験を積むことができました。能力が認められればスキルアップも容易だったし、ワーキングマザーへの待遇も寛容でした。「子どもが熱を出したので早退させてください」なんて、日本企業で正社員として働くなら、間違っても言えない空気があったと思いますが、外資系企業では、ごく当然のことのように認めてくれましたからね。 ―外資系企業で働くには、英語のスキルが必須だったと思うんですが、どうだったんですか? 私は中学から附属校に通っていたので、大学受験を経験していないんです。おかげで学生時代のTOEICの点数は、当時の大学生の平均点より少しだけ上の420点でした。さすがにこれでは働く上で支障が出るだろうと、1年半くらい、真面目に勉強して900点くらい取れるようになりました。実際、仕事の上で本格的に英語を使うようになるのは、3回におよぶ転職のなかで経営コンサルタントや証券アナリストなど、顧客と接する機会を得てからのことですけどね。 今はどうかわかりませんが、スキルを磨くための教材や研修費用など、外資系企業は気前よく負担してくれましたので、私自身はお金をほとんどかけずにいろいろな勉強をすることができました。 ―勝間さんの社会人としてのすべり出しは、非常にコスパのよい、順調なものだったんですね。 ええ、そうですね。そうかもしれません。 少数派だったワーキングマザー仲間には多くのものを学んだ ―勝間さんは1997年、ワーキングマザー向けウェブサイト「ムギ畑」を設立し、子育てしながら働く女性を支援する活動をはじめます。どんなきっかけがあったんですか? これも今の人には信じられないことかもしれませんが、インターネットが普及する前、パソコンを通じてテキスト情報を共有する「パソコン通信」というサービスがありまして、私はそこで、子育てしながら働く女性の掲示板に参加していたんです。 仕事で出張するとき、子ども預けるのに安心なベビーシッターさんの情報とか、転職先選びの情報などを交換したりして、今でいうSNSのような交流をしていたんです。 すると、いつしか専用の掲示板が欲しいという話になりました。パソコン通信というのは、電話回線を使って「1分10円」くらいの利用料でアクセスしていたんですが、それより費用をかけずに集まれる場が欲しい、と。そこで、プログラムを書くスキルのあった私が運営者を引き受けることになったんですね。 当初、会員は2~30人くらいでしたが、2019年に役目を終えてサイトを閉鎖したときの会員数は4500人を超えていました。 ―男女雇用機会均等法が改正されて、雇用や昇進などに男女差をつけることが禁止されたのが1999年のこと。当時はワーキングマザーの人数も少なかったでしょうから、とても貴重な交流の場だったんですね。 ええ、「ムギ畑」の初期のメンバーは私より年上の方が多く、教えられることが多かったですね。 例えば、旦那さんと死別されて、4人の子育てをしている方がいて、「旦那の生命保険の保険金がおりたので、アメリカに移住して留学する」という話を聞いたときは「すごいなぁ」と感心しました。 「私も3人の子どもがいるけど、日本の大学院なら通えるかも」と触発されて、早稲田大学大学院に通ってファイナンス研究科を修了しました。あのママさんとの出会いがなければ、大学院に挑戦することはなかったと思います。 初期のメンバーには、今では名だたる企業の社外取締役をされていたり、評論家やアドバイザーとしてメディアに出ている方など、パワフルで有能な女性がたくさんいて、いろいろな面で影響を受けましたね。 1日の労働時間は、8時間制から6時間制に移行できる ―勝間さんは、政府に請われてワーク・ライフ・バランスなどの政策決定のアドバイザーをつとめられています。ワーキングマザーの待遇改善は2000年以降、ずいぶん進んだと思いますが、勝間さんはどう評価していますか? 確かに改善した点は多々ありますが、まだまだ改善しきっていないなというのが正直な印象です。特に、企業で働く人たちの長時間労働には、改善の余地がたくさん残されていると思います。私は、人間らしい生活を送るには「1日の労働時間は通勤時間を合わせて6時間」だと思っているんですが、世間には相変わらず「8時間労働、残業アリ」の企業が多いですよね。 ―でも、「1日6時間」というのは、短すぎませんか? そんなことはないですよ。現にフィンランドやノルウェーなどの国では、すでに1日6時間制が根づいています。 スマートフォンやリモートツールなどを駆使して能率をあげれば、1日6時間でも今の生産性を充分維持することができると思います。 ある研究によると、顧客や市場のニーズを満たし、社会の価値につながる仕事をするのに必要な労働時間は、週に12~15時間だということがわかっています。もし、それが本当なら、1日8時間で週40時間働いている人は、その半分以上の時間を無駄に過ごしていることになります。 長年、培ってきた文化を人は容易に捨てられない ―長時間労働は、少子化の原因のひとつとも言われていますね。 その通りです。政府は少子化対策として、子育て世帯に給付金を支給したりしていますが、的外れな政策だと思いますね。少子化は、お金の問題ではなくて、時間の問題なんです。 もうひとつ、私が少子化の原因だと思うのは、子どもと親を分離して考えない、日本をはじめとする東アジア特有の考え方です。 ―子どもと親を分離して考えない、とはどういうことですか? 本来、親が子どもに対して負っている扶養義務は、成人するまで衣食住の保証をすることで、子どもが社会人になれるほど成長したあとは、子育ての責任から解放されてしかるべきなんです。 でも、子どもが不祥事を起こしたりすると、親も一緒に謝罪するのが日本社会なんです。つい最近も、首相がメディアの前で謝罪している場面がありましたよね? ただこれは、日本の文化である家父長制が根っこにあるからで、一概にいいとか悪いとか言えないことでもあります。 ―時代は変化しているのに、人々がその変化に合わせて考え方を変えられないのはなぜでしょう? 家父長制にメリットを感じている人も多くいるので、なかなか捨てられないということがあるのでしょう。 ただ、私は今の日本の未来について、あまり悲観していません。2022年に入って、海外の物価があがって日本は円安になっています。バブル崩壊後の「失われた20年」の最大の原因は円高でしたので、この状態が続けば出生率は上がっていくと思っています。 雇用が拡大して賃金があがるということが大きなポイントで、これがうまく進めば少子化に歯止めをかける有力な材料のひとつになると思います。 投資は予測ではなく、時間を味方にして儲ける ―さて、勝間さんの近著『100歳時代の勝間式 人生戦略ハック100』(KADOKAWA)について、お話をうかがいましょう。これまで見てきた通り、時代の変化に合わせて従来の生き方、考え方を捨てて、人生100歳時代に向けてアップデートするのはむずかしいことだと思いますが、その際に何が大事だと思いますか? 人はお金や仕事に困っていたり、人間関係のトラブルや健康不安などを抱えているとき、ひとつの答えや解決策を求めてしまう傾向があります。怪しげな人の口車に乗せられて騙されてしまうのは、そういうときです。新型コロナウィルスのパンデミックを前にして、全世界の多くの人たちがそういう状態に陥りましたよね。 そうならないためには、物事の多くは簡単に答えが出るわけではなくて、世界は抽象的なものだと認識することが大切です。こうした不確実性を受け入れる能力を「ネガティブ・ケイパビリティ」といいます。 ―物事をポジティブな面だけでなく、ネガティブな面からも見ることが大事ということですね。勝間さんというと、ポジティブ志向な人というイメージがありますので、なんだか意外に感じます。 私は以前から、ポジティブ志向は好きではないんですよ。 世の中の出来事にはいい面と悪い面があって、もし悪い局面に出来事が傾いたとき、いかに対処するかを2案、3案とあらかじめ考えておく必要があります。 お金についても、私は長年一貫して、収入の2割で毎月、投資信託を購入し続ける「ドルコスト平均法」という中長期運用を推奨していますが、これも一緒の「ネガティブ・ケイパビリティ」です。 収入の2割は黙っていても溜まっていきますから、購入期間が長ければ長いほど、「転ばぬ先の杖」としての効果は高くなります。 ―銀行預金ではなく、投資信託の積み立てにあてるというのがミソですね。 そうです。仮に月々5万円を積み立てるとして、銀行預金なら1年で60万円、10年で600万円にしかなりませんが、ドルコスト平均法による運用なら10年で1200万円になります。さらに言うと、20年で4倍、30年で8倍と、複利式に増えていくんです。実際、私も30代なかばくらいから始めた積み立てが、50代なかばの現在、ちゃんと4倍になっています。このように、時間を味方につければ、株に手を出したことのない一般人でも、容易にお金を殖やすことができます。 ―個別株を購入して儲けようとする必要は、ないんですか? 素人が相場を読もうとしてはいけません。なぜなら、相場は読めないからです。 そのことは、株式アナリストとして働いていた私の経験からも言えることです。個別株に投資するというのは、宝くじやパチンコなどのギャンブルよりはマシだけど、お金をドブに捨てるような行為に等しいと思ったほうがいいです。 「それでもやりたい」というのであれば、趣味の範囲で投資をするのがいいですね。もちろん、積み立て分の収入の2割に手をつけるというのは、絶対にやってはいけません。 ―となると、デイトレードのような短期売買についても、同様のことが言えますか? もちろん、デイトレードで数億円単位を儲けている人を私は知っていますが、1日中、パソコンに張りついていなければ儲けを挙げられません。言ってしまえば、パチプロのようなもの。人生には、もっと有効な時間の使い方があるんじゃないかと思いますね。 友だち付き合いは、最高の娯楽。資産として大事にすべき ―人生100年時代に向けて、「お金」以外に大事なものはなんですか? 私は「コミュニティ」、すなわち友だち付き合いだと思います。私が特にお薦めしたいのが、自分より年下の友だちをつくることです。 理由は、ふたつあります。ひとつは、新しい情報とか、新しいアイデアというのは若い人が持っているということ。年をとると、自分でも気がつかないうちに考え方が保守的になっていき、新しい時代に柔軟に対応するのがむずかしくなりますよね。 ―もうひとつは… 年上や同年配の友だちは、いずれ人数が減っていくということ。寿命が長くなったからといって、高齢者から亡くなっていくのが常ですから、友だちがたくさんいてもメンバーが高齢者ばかりなら、そのサークルは縮小均衡に陥っていきます。 私は、友だち付き合いは最高の娯楽だと思っています。なぜかというと、友だちには利害関係がないから。仕事の付き合いにはお金がからんできますし、夫婦や親子関係などのつながりにも縁を切らないことを前提とする縛りがあるので意外と利害関係にあるものです。 それに比べて友だち付き合いは、そうした利害とは無縁なので気楽です。つかず離れずのほどよい距離感で20年、30年でも仲良くしていられるから、最高の娯楽になるんです。 ―そのような友だちをつくるには、どんな手段がありますか? 趣味を足掛かりにすると、手っとり早いですね。私の場合、ゴルフや麻雀、ゲームに自転車など、大好きな趣味をするなかで交友関係を広げています。 利害関係がないのが友だちの良いところですから、お金の貸し借りと、仕事の紹介はしないほうがいいですね。 こうした友だちとの関係は、お金で買うことができませんので、自らいろいろなところへ顔を出してコツコツと人脈を築いていくしかありません。人生100歳時代において友だちは、必要不可欠の財産だと言ってもいいでしょう。 何が何でも「健康ファースト」。健康はお金で買えない ―お金で買えないもの、という意味では「健康」にも同じことが言えそうですね。 その通りです。高齢者になったとき、お金はたくさんあるけど健康じゃない人と、お金は普通にあるけどめちゃくちゃ健康な人のどちらが幸せかと言えば、間違いなく後者ですよね。健康は、日々の積み重ねの賜物ですから、運動と食事、睡眠の質を高める努力が欠かせません。それに加えて、自分なりの健康阻害リスクを把握しておくのも大事なことです。例えば私の場合、50歳を超えてから「痩せない」ことを意識するようになりました。女性は男性に比べて骨粗鬆症になるリスクが高く、そのほかにも自己免疫疾患やがんのリスクにも気を遣う必要があります。そのためにも、ポピュラー・サイエンス本などを読んで最新の医学の知識を仕入れています。なかには怪しい本もありますが、100冊以上も読めば、そこに書いてあることを信じていいかどうかを判断できる批評眼が養われてくるものです。 ―健康を維持するには、「続けること」が重要だと思いますが、つい3日坊主になってしまう人も多いと思います。何か工夫はありませんか? 健康に気をつけることを習慣化するのがいちばんですね。 その意味で私は、スポーツジムについては懐疑派なんです。「続ける」というのは厳密に言うと「死ぬまで続ける」ということですから、ジムで筋トレしたり、身体を鍛えたりすることは、その範疇に入りません。 フェイスリフトなどの美容整形も、それと同じこと。頬のたるみやシワを取ることは「健康」には結びつかないことなので、興味がないんです。 ―健康維持には、「頑張り過ぎない」というのが大事なようですね。 そうですね。「健康」というのは、どれだけ頑張っても死に近づくにつれて少しずつ目減りしていくものなので、その目減りのペースを遅くしていくしかないんです。 テクノロジーの手を借りるというのも、ひとつの手段として有効です。私はスマートウォッチを使って日々の睡眠時間や睡眠の質を計っていますが、アプリには睡眠中の呼吸や身体の動きを検知してくれたり、いびきを録音して睡眠時無呼吸症の有無を確認できるものもあるので、いろいろ試してみるといいですね。 とにかく「健康」は、国が保障してくれるわけでも、医師が提供してくれるものでもありません。一緒に暮らしている家族だって、できることには限界があります。つまり、「健康」を維持するために何かをできるのは自分だけですから、これも貴重な財産だと思って大事にすべきだと思います。 金銭的報酬と精神的報酬のベストバランスを考えよう ―「働き方」についても、人生100年時代に向けたアップデートが必要そうですね。 人生80年が一般的だった時代は「20年学んで、40年働き、20年休む」というのが人生のモデルケースでした。でも、人生100年時代には「20年休む」が「40年休む」になるんです。 そうなると、貯金が充分にあって、年金だけで楽に生活していけるとしても、単に「安心な暮らし」を意味するのではなく、「膨大なヒマをいかに過ごすか」という難題に立ち向かわねばならない状態ということになります。 ですから、「40年働く」を念頭に、気力・体力が許す範囲でできるだけ長く伸ばしていくことをお薦めします。 ―悠々自適な生活というのは、簡単に実践できるものではないんですね…。 仕事を辞めると、認知機能が低下するスピードが速まって、物覚えが悪くなったり、怒りっぽくなると言われています。その意味では、仕事は最高の脳トレであり、アンチエイジングなんです。 これは趣味についても同じことが言えますが、80歳、90歳になっても続けられそうな仕事は何だろうと、考えながら働くことをお薦めします。 ―80歳、90歳になっても続けられる仕事というと、どんなものがあると思いますか? コロナ禍以降、在宅ワークがすっかり定着しましたが、自宅でできる仕事は年をとっても続けやすいでしょう。 ただ、1日中、誰ともコミュニケーションをとらない仕事は、あまりお薦めできません。人と話すという行為は、声を出すことと一緒に呼吸を深くすることにもつながりますので体力維持に役立ちます。表情筋のトレーニングにもなるので、顔のたるみやシワの予防にもなります。 あと、大事なのは自分が働くことで誰かを喜ばすことができるということを実感できる仕事を選ぶということ。 私は報酬には、「金銭的報酬」だけでなくて「精神的報酬」という面があって、自分にとってのベストバランスがあると考えています。 精神的報酬とは、自分が社会のためになるモノやサービスを提供して、利用するお客さんに喜ばれたり、やり甲斐を実感するようなこと。金銭的報酬がそれほど多くない仕事でも、精神的報酬が充分に得られる仕事なら、続けるモチベーションにつながります。 一方、金銭的報酬がいくら高くても、精神的報酬が低ければストレスが溜まりやすく、長く続けていける仕事にはならないのです。ちなみに、私は会社員時代はずっと金融業界で働いてきましたが、ここでの仕事は「金銭的報酬は多いけど、精神的報酬は少ない仕事」の典型だと思います。 ―「好きなことを仕事にする」というのが実現できれば、理想的なんでしょうね。 おっしゃる通りですね。「ワーケーション」という言葉がありますよね。ワークとバケーションを組み合わせた造語で、バケーションを楽しみながら同時に仕事をするという意味です。 「仕事」と「遊び」は別物で、一緒にすべきではないと考える人もいるかもしれませんが、2つを融合させてどっちも楽しめる環境を作るのは不可能ではないと私は思っています。 例えば、私が好きなのが「温泉ワーケーション」です。大好きな温泉に入ったあと、リモートで取材を受けたり、執筆などの仕事をして、ちょっと疲れたらまた温泉に入る、ということを繰り返すんです。温泉地では滞在時間がある程度長くなると、ヒマを持て余しぎみになりますが、仕事がうまい具合にスパイスになって両方を楽しめるようになるんです。 「明日死んでも後悔しない生き方」こそが最大の準備 ―勝間さんは15年後には70歳に、25年後には80歳になります。どんな生活を送っていると思いますか? 不確実性の時代ですから、15年後、25年後といったら、今では想像もつかない世の中になっているのは当然だと思います。 例えば「お金」にしても、ある時点で紙の紙幣や硬貨がなくなって、仮想空間にしか存在しないものになっているかもしれません。 私はベーシック・インカム(すべての国民や市民に一律の金額を恒久的に支給する基本生活保障制度)は、早かれ遅かれ、日本社会を維持していくために導入しなければならない制度だと思っていますが、これが実現すれば「生活保護」という言葉はなくなっているでしょうし、「仕事」という言葉の意味も、今とは大きく変わっているでしょう。 ―総務省の通信利用動向調査によると、スマートフォンの世帯保有率は10年前の2010年には9.7%に過ぎませんでしたが、2020年には86.8%になったといいます。我々はすでに10年後の未来を想像できない「一寸先は闇」の世界に生きているのですね。 本当にそうですね。ただ、いろいろなことが目まぐるしく変化していっても、それでも変わらない普遍的なものというのは存在するものだと思っています。 例えば私は、これまで生きてきた人生で得られた知見を世界に向けて発信する仕事をしています。その発信の手段は、「ムギ畑」を運用していたパソコン通信からはじまって、地上波のテレビやブログ、そして今はYouTubeやオンラインサロンなどのSNSに移っていますが、やっていることの本質は、それほど変わっていないように思います。 ふり返ってみると、書籍は2007年に出版した『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』(ディスカヴァー21)が初めてのベストセラーになって以降、ずっと続けている発信ツールです。今回の『100歳時代の勝間式 人生戦略ハック100』が何冊目の著書なのか、もはや私本人にもわかりませんが、全著作の累計発行部数はとうに500万部を超えています。 ―勝間さんにとって、世界に向けて情報発信するということは、「好きなこと」のひとつなのでしょうか? かつて地上波のテレビによく出演していたころは、スポンサーの意向に合わせて内容を替えなければならなかったり、言いたいことが言えなかったりしてストレスを感じることがありましたが、今はそういうストレスは皆無です。言いたいことを適切なツールを選んで発信できるので、何も問題はありません。その意味で、今の仕事は「好きなこと」のひとつだと断言できますね。ある面では、「誰かがやらなければならない」という使命感のようなものが支えになっていることもありますけど、できることなら、80歳、90歳になっても、この仕事を続けていきたいですね。そのためにも「お金」や「友だち付き合い」「健康」「働き方」などについて、時代の変化に対応する柔軟な考え方を持っていたいものです。ただ、ちゃぶ台を返すようですが、未来に向けてどれだけ周到に準備をしていても、「2年後に突然死」する可能性はゼロではありません。死を前にしたとき、「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔することのないよう、今を充実して生きるのも大事なことだと思っています。結局のところ、「明日死んでも後悔しない生き方」こそが最大の準備なのかもしれませんね。 ―興味深いお話、どうもありがとうございました!

2023/07/06

定年 富裕層

『あなたの隣の億万長者』─「あこがれの富裕層の生活の実態を知る」に効く1冊

書店の自己啓発や経済・マネーの棚を眺めていると、1冊や2冊、ともすれば3冊、4冊ほど目にする「億万長者」をタイトルにした本。 今の自分に満足しておらず、チャンスさえあればドカンと当てたいと思っている人に刺さるフレーズなのだろう。 最近では株やFX、暗号資産などの取引で資産1億円を築いた投資家を「億り人(おくりびと)」と呼ぶそうだが、そんな風潮もあって、億万長者本はちょっとしたトレンドになっている気がする。 今回紹介する本も、そうした種類の本には違いないが、興味を惹かれたのは「元国税専門官がこっそり教える」という前半のタイトルである。 著者の小林氏は、過去10年間で相続税調査などにたずさわり、2年連続で東京国税局長から功績者表彰を受けたという経歴を持つ人。それだけに、「億万長者」の実像を客観的に語ってくれるのではないかとの期待があった。その内容を紹介していこう。 『元国税専門官がこっそり教える あなたの隣の億万長者』 著者:松永正訓 発行:ダイヤモンド社 定価:1650円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 「1億円超の資産を持つ人」とはどういう人か? 本書で定義される「億万長者」は、文字通り「1億円超の資産を持つ人」である。 一般的に「金持ち」と言われる人は、死亡した際、相続税を払う義務が生じるほどの資産を持つ人を指すことが多い。数100万円、あるいは1000万円くらいの資産は基礎控除の範囲内となり、課税の対象にならない。 ところが法改正によって、平成27年1月から課税対象の範囲が広がったことは記憶に新しい。 具体的には、「3000万円+(600万円×法定相続人の数)」となり、相続を受けるのが妻ひとり子ひとりならば4200万円、妻ひとり子ふたりならば4800万円の資産にも相続税が発生する。 その結果として、相続税の申告対象者は全死亡者世帯の4%から8%、約2倍にまで増えたのだ。 ただ、本書の著者の小林氏が相続税調査に携わっていたのは、改正前のこと。バブル期に不動産の時価が高騰していたときの「5000万円+(法定相続人の人数×1000万円)」という基準をもとにしていた時代なので、そこで出会った人たちの多くが「1億円超の資産を持つ人」だったことは間違いないだろう。 富裕層の暮らしぶりは意外にも質素だった! 小林氏がおこなっていた相続税調査とは、相続人への聞きとりをして、預金通帳や土地の権利書などに目を通して、申告内容に漏れがないかをチェックすることを言う。 本の冒頭で語られるのは、そんな人たちの意外な実状だ。引用しよう。 はじめての相続税調査で富裕層の自宅を訪問するまでは、「億万長者だから、きっと派手な生活をしているだろう」と、不謹慎ながら豪勢な生活ぶりに触れることにワクワクしていたのですが、実際に調査に入ると、その期待はあっさりと裏切られました。拍子抜けするほど、普通の暮らしぶりだったのです。 税務署内には伝統的に「相続税は最後の砦」という言葉があって、「もしこの機会にとるべき税金をとらなければ、税金を回収するチャンスは永遠に失われてしまう」との覚悟のもと、相続税申告に関する資料に目を光らすという。 資料を確認する際は、必ずその置き場に案内してもらって「現物確認」をするのだが、その間、ほかの部屋もさりげなく覗いて骨董品や金庫などの隠し財産がないか、見てまわっていたそうだ。しかし、広い家は多いものの、普通の家よりもむしろスッキリとした印象を受けることが多かったそうだ。 その後、何度も相続税調査をおこなっても、富裕層の質素な暮らしぶりに対する印象は変わることはなかったという。小林氏は、その理由について、こう分析する。 一般の人からすれば、お金はあればあるほどいいと思いがちですが、そうとは限らないのです。たとえば食費を2倍かけたからといって、人生の幸福度が2倍に高まるわけではありません。食べられる量には限りがありますし、質素な食事でも十分に満足できる人もいるでしょう。私が思うに、富裕層はお金をかけるべき物事を見極め、必要以上の食費など、効果の見込めない支出は控えています。 服装にしても、高そうなブランド品を身につけている人はほとんどおらず、ユニクロや無印良品などのようなカジュアルなファストファッション風の服装が多かったのだという。 なんだか肩すかしをくらったような気分になるが、それが「1億円超の財産を相続した人たち」の普通の姿だったのだ。 富裕層の職業には「定年」がない 相続税の申告書には、「職業」を記入する欄があって、税務職員はその情報を必ず気にしていたという。 ところが、日本の職業別平均年収トップに名をつらねる「医師」や「パイロット」などのエリート職についている人は少数派で、その多くが中小企業経営者や個人事業主だったという。 こうした人たちの共通点は、「定年がない」ことだと小林氏は指摘する。実際に小林氏は、地域に密着したマッサージ師や工務店の職人など、一見して富裕層とは結びつかない職業に就いていた人の相続税調査を少なからずおこなったという。 同じ「社長」という身分にしても、上場企業と中小企業では事情が違う。 労務行政研究所の調査によると、上場企業の社長の年間報酬は平均で約4676万円という高水準だが、上場企業のトップは「雇われ社長」が多く、短期間で交替するため、実はそれほど多くの資産を持っていない可能性があると小林氏は言う。 一方、中小企業の社長は任期が終わっても再び社長として選任されることが多く、長期にわたって報酬を受けることができます。しかも上場企業と違って、株主が親族だけでほぼ固められていることが多いので、自分の給料を自由に決められます。会社が儲かっていれば、その利益を役員報酬という形で直接懐に入れられるのです。 こうした中小企業の社長の強みは、「自社株(未公開株)」という青天井の資産を持っていることだという。なるほど、言われてみれば、至極もっともなことである。 「働いて稼ぐ」から「投資で稼ぐ」へのシフト もうひとつ、小林氏が指摘している富裕層の共通点は、「投資に熱心」だということ。 投資のリターンは、投資にかけられる元手資金に比例します。同じ年利の金融商品であれば、100万円を投資する人より、1000万円を投資する人のほうが10倍のリターンを得ることができるからです。さらに、富裕層が一般の人より投資で儲けを得やすいのは、投資手段が豊富であることも一因です。一般の人が投資できない金融商品でも、富裕層は簡単にアクセスできます。 富裕層の所得は、「働いて稼ぐ」から「投資で稼ぐ」にシフトして以降、飛躍的に増大する。 例えばスイスのプライベートバンクに口座を開設すると、「プライベートバンカー」と呼ばれる担当者が顧客の投資目標などに合わせてオーダーメイドで資産を運用してくれるという。 一般に公開されている株式ファンド(投資信託)のみならず、限定された投資家からの資金を運用するヘッジファンドや未公開株、デリバティブ(金融派生商品)などの特殊な方法を活用しながら資産を増やしてくれるのだ。 富裕層が会費数百万円の高級会員制クラブに通う理由 収入が多いことに加え、ある程度の金融知識を持っていることも富裕層の条件のひとつだ。その結果、彼らは入会金数百万円の高級会員制クラブにも惜しげなく金を使う。 高級社交クラブは限られた人しか利用できない場所ですから、利用者同士が気軽につながることができ、大きなビジネスにつなげやすくなります。このように見えない価値にもしっかりお金を使うことが、富裕層の共通点なのです。 以前、金持ち相手にプライベートジェットを販売する営業マンが会費300万円のスポーツクラブに入会して、シャワー室で「裸の営業トーク」をするという都市伝説めいた話を聞いたことがあるが、その話の信憑性が高まった気がした。 そのほかにも、本書には富裕層のさまざまな節税対策についても言及している。 「生命保険を相続税と遺産分割に活用する」「1000万円ずつ複数の口座でお金を管理する」「生活のためではなく投資のために借金する」「家族に毎年100万円のお小遣いをあげる」「富裕層は教育費に糸目をつけない」など、富裕層の人たちの資産の殖やし方が語られる。 元国税専門官という経歴を持つ人だからこそ得られた、リアルな視点である。それが、「信念を持ちなさい」とか、「毎年財布を新調しなさい」といった怪しげなアドバイスに満ちた自己啓発本と一線を画す、本書の美点だろう。

2023/03/17

孤独死 定年 高齢者の一人暮らし

『60歳からのマンション学』─「終の棲家をマンションで暮らしたい人」に効く1冊

住まいのことについて話をする際、必ず出てくるのが「賃貸が得か? 持ち家が得か?」という議論である。 前回紹介した『ほんとうの定年後』(講談社新書)では、老後の住居費負担が軽減するという理由で「持ち家は賃貸より良い選択」と断言していたが、その一方で、賃貸のほうが壮年期から老年期に移行するライフスタイルの変化に柔軟に対応できるというメリットを重く見る人もいる。 要するにこれは、決着のつかない議論なわけだが、今回紹介する日下部理絵氏の『60歳からのマンション学』(講談社α新書)を読めば、新たな視点で住まいというものを考えることができそうだ。 60歳を過ぎて、「終の棲家」をマンションにしようとする人が増えているというが、その選択はどれだけ有効なのか? ちょっと覗いてみることにしよう。 『60歳からのマンション学 』 著者:日下部理絵 発行:講談社α新書 定価:900円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 分譲マンションは果たして「終の棲家」にふさわしいのか? かつて日本には、賃貸アパートから始まって、分譲マンションを購入し、戸建てに買い換えてアガリとなる「住宅すごろく」と呼ばれるものが存在していた。 だが、著者の日下部氏は、その住宅すごろくが今の時代になって、常識と呼べるものではなくなったと指摘する。 それは、地価は必ず上昇し、転売するたびに資産を増やせるという「土地神話」が崩壊したからなのだが、その結果として、住宅すごろくの途中の分譲マンションをアガリとしたり、戸建てを売って分譲マンションに乗り換えようとする60代以降のシニア層が増えているというのだ。 子育て世代の人たちにとっては、子どもに部屋を提供できるような広い住まいが望ましいが、子どもが独立して家を出ていけば、広さはメリットにならない。掃除も楽にできてコンパクトに暮らせるマンションを「終の棲家にしたい」と考えるのは、確かに自然な選択のように思われる。 だが、本書を読んでみると、マンション住まいが60歳以降の人たちすべてに理想的かというと、そうでもないことがよくわかる。 安全・安心・快適な暮らしは、黙っていれば誰もが手に入れられるものではなく、マンション暮らしを選択した住民自身の努力でそれを勝ちとっていかねばならないのだ。 本書は8つの事例をもとに、理想的な暮らしを獲得する方法を探っていく。以下、その内容の一部を見ていくことにしよう。 マンションは、すべてが多数決で決まる民主主義の世界 まず、「事例1」で紹介されるのは、夫に先立たれ、終の棲家のつもりで購入した分譲マンションから賃貸マンションに住み替えようとしている73歳の和田信子さん(仮名)の事例だ。 住み替えの動機は、その分譲マンションが「ペット飼育不可」の物件だったからだ。 マンションは戸建てと違って、自分の都合でペットを飼える場所ではない。それでも住み替えをせずにペットを飼おうと思うなら、「ペット飼育不可」というルールを変更するしかないのだ。 それでも信子さんのマンションでは、「ペットを飼いたい」という意見は多く、都合のいいことに管理組合の理事会で検討中とのことで、信子さんは日ごろ参加していなかった総会に出席してみた。そこではこんな意見が交わされていた。引用しよう。 組合員1「いままで通り、ペット飼育不可がいいです。私の家族で重度のペットアレルギーを持つものがいるんです。わざわざ、ペット禁止だというから築古だけどこのマンションを購入したのに。お願いします。このままペット禁止がいいです」 組合員2「私はペット飼育に大賛成です。子供が飼いたいと言っており、子供の教育のためにも飼いたいです」 組合員3「私は外部に居住しており、賃貸に出しているのでどちらでもいいですが、正直なところ、ペット飼育可のほうが賃料が高くなり資産価値が上がると思います」 お互い、顔を合わせての意見のぶつかり合いとなると、かなりヒリヒリとする議論が交わされたことが想像される。 ペット飼育可にするには、管理規約の改正が必要で、組合員総数と議決権総数のそれぞれ4分の3以上の承認が必要なのだが、結果としてはペット飼育について「どちらでもいい」と思っていた組合員が家族にペットアレルギーを持つ人に対する同情票を投じて決議案は否決されてしまった。 そうなのだ。分譲マンションは、自分のものでありながら、すべてに自分の意見が通るわけではない。信子さんのようなひとり暮らしの高齢者だけでなく、子育て世帯や投資目的で物件を所有している人など、年齢や目的も異なる住民の合意形成が成立しなければ、何もできないのだ。 信子さんが「賃貸マンションに住み替える」という道を選ばざるを得なかったのは、そういうことが背景にあった。 60歳を過ぎるとますます借りにくくなる「年齢の壁」 本書を読んで初めて知ったが、ペット飼育可のマンションが主流になったのは2000年代以降で、それ以前に建てられたマンションのなかにはペット禁止のところも多いという。 現在ではほとんどの分譲マンションがペット飼育可だが、その背景には、1997年に国土交通省が中高層共同住宅標準管理規制の改正で、ペット飼育を「規約で定めるべき事項」と定めたことがある。 「ペット飼育」は、「生活音(騒音)」、「違法駐車・違法駐輪」に続いて「マンション三大トラブル」のひとつと言われているのだ。 ペット問題だけではない。住み替え先の賃貸マンションを探す際にも、信子さんの前に「年齢の壁」が立ちはだかった。 その問題は、気に入った物件の契約申込書を提出した際に露見した。その申込書を見た途端、不動産屋の担当者の顔色が変わるのが伝わってくる。 「お若く見えるので気が付きませんでしだが、正直申し上げますと65歳を超えますと賃貸マンションを探すのは一般的に困難を極めます。ただし、本物件は分譲賃貸ですのでオーナー様のご意向次第かと存じます」と言われ、オーナーの判断を待つことになった。 そして、「今回は見送りさせてください」という回答を受けとるのである。 国交省のデータによると、大家(オーナー)の約6割が60歳以上の高齢者に拒否感を持っていて、賃貸借契約の約97%において、何らかの保証を求めているという。 近年では連帯保証人を立てる代わりに、保証料を払って保証会社のサービスを利用するケースが増えているというが、賃貸保証料の相場は1カ月の家賃の50%だとされる。入居後も1~2年ごとに更新保証料が必要になるのでバカにならないコストである。 ただし、この本の美点は、ほとんどの事例を「悲劇の主人公」にしていたずらに不安をあおるのではなく、「自ら努力して困難を克服する人」として描き、トラブルを乗り越える方法を具体的に示している点にある。 信子さんの場合、UR賃貸という抜け道を見つけて「年齢の壁」を克服している。 事例を通じて、さまざまなトラブル克服法を解説してくれるのもこの本の特色だが、UR賃貸については、「民間の賃貸住宅に比べて物件数が少ないので選択肢が限られている」というデメリットも含めて次のように解説している。 その点、UR賃貸であれば、まず年齢だけで貸してくれないということはなく、本人確認のみで保証人や保証料は不要。礼金・仲介手数料なし、更新料も不要と、費用面での負担が少なく高齢者にとってありがたい物件である。また、特別募集住宅(住んでいた人が物件内で亡くなった住宅)なら入居から1年または2年間、家賃が半額に割り引かれることがある。 「成功者の証」タワマンの意外と気づかれていないデメリット ここで話はちょっと寄り道にそれるが、出版業界では本作りのテクニックとして、「本の冒頭にはもっとも引きの強いネタを置く」という手法がある。これは、「書店で立ち読みをして品定めをする人の多くは、最初の数ページを読んで購入するかどうかを判断する」という、迷信のような説によるものだが、本書について言えば、「事例1」の信子さん以外にも、読み応えのあるエピソードと解説が書かれていることは保証できる。 本書を読むことで、目から何枚もウロコがとれ、「マンション住まい」についての知識を改めさせられることも多かった。 例えば、一般的には「成功者の証」とした語られるタワーマンション(タワマン)だが、眺望のよさや資産価値の高さなどのメリットをはるかに上回るデメリットがあることを改めて知らされた。 確かにタワマンの眺望のよさは誰にも文句のつけられないものだが、早い人では「3日で飽きる」というし、全面ガラス張りの部屋は日射しが強烈で温室状態になるという(逆に階数が高くなるにつれて害虫がいない環境になり、窓を開けてすごせるというが、部屋によっては携帯電話の電波が届くにくくなるケースも)。 オール電化の物件だと、料理好きの人にはガスでの加熱ができずにレパートリーが少なくなるし、宅配ボックスが1階にしかなかったりすると5~10分待ちのエレベータの登り降りはかなりのストレスになる。 また、分譲マンションについてまわるのは、10~15年に1度の周期で行う大規模修繕があるが、タワマンの大規模修繕の事例はまだ少なく、建設を担当したゼネコンや、その子会社などの一部の業者しか選ぶことができず、安く施工してくれる業者を選ぶ余地もない。 大規模修繕は1回目より2回目、2回目より3回のほうが費用がかかるというが(3回目は2回目の約1.5倍かかるとか)、タワマンの場合、その負担は普通のマンションよりかなりの高コストとなるのだ。 日下部氏は、購入を薦めない金食いタワマンとして、次の特徴を挙げている。 ■細長いなど戸数が少ないタワマン  →戸数が少ない分、管理費や大規模修繕費の積立金がかさむため ■デザイン性が高いなど歪な形状をしている  →低層、中層、高層の異なるメンテナンス計画を用意する必要があり、費用がかさむ ■戸数の割に維持費がかかるスパやプール、カラオケ施設などがある  →「食べ放題」サービス同様、元をとるのは意外に大変 ■タワー式などの機械式駐車場があり、しかも空きが多い  →機械式駐車場はメンテが困難で、空きリスクの高い「金食い虫」 ■24時間有人管理でスタッフ数が多い  →スタッフの人件費ほどバカにならないものはない とにかく、8つの事例紹介と「事例からわかること」の解説を通じてわかるのは、マンションを理想的な終の棲家にするには、待ち構えているトラブルの種をひとつ一つ除いていく胆力と正しい知識が必要だということだ。 本書は、さまざまなトラブルを未然に防ぎ、それを克服する方法を知る上での道しるべになってくれるだろう。

2023/02/10

定年 年金

『ほんとうの定年後』─「まだ誰にも知られていない、定年後の実態を知る」に効く1冊

「定年」というのは、ルーツをさかのぼれば江戸時代の隠居制度(家督を次代に譲って社会生活から遠ざかる)までいってしまうらしいが、1933(昭和8)年の内務省調査によると、その年齢は、50歳とする企業が60%弱、55歳とする企業が35%だったという(336社のうち140社がそのような定年制を採用していた)。 戦後の日本人の一般家庭を舞台にした『サザエさん』の波平さんが54歳なのは有名だが、これは「定年年齢にさしかかった、枯れた昭和のサラリーマン」を体現するための設定年齢だったのだろう。 ひるがえって、定年年齢が50代から60代までに伸びたのはいつごろからなのか?  あらためて調べてみると、高年齢者雇用安定法(高齢法)の改正によって「60歳定年」が企業の努力義務になったのが1986(昭和61)年、「60歳未満の定年が禁止」されたのが1994(平成6)年。その流れの中で、一定の年齢に達した社員が、課長や部長などの役職から退く「役職定年制度」(一部では「やくてい」と呼ばれているらしい)が登場している。 そして、2013年の高齢法改正では「65歳までの雇用確保措置」が義務化した。雇用確保措置とは、「定年の65歳までの引上げ」「65歳までの継続雇用制度の導入」「定年制の廃止」のいずれかの措置を事業主に課すことをいう。 さらには、2020年の高齢法改正では、「70歳までの就業確保措置」が事業主の努力義務とされた。つい、3年前の出来事である。 つまり、「60代定年」の歴史はそれほど古くないのである。「70歳定年」の経験者については、まだ微々たる存在に過ぎない。その結果として、多くの人がその生活の実態をイメージできない、未知の存在になっているということになる。 最近、「定年」にまつわる本が多く出版されているのは、そんな定年後の生活の実態を可視化してほしいというニーズが高まっているからだろう。 そんななかで注目されている、坂本貴志氏の『ほんとうの定年後』をレビューしていこう。 『ほんとうの定年後「小さな仕事」が日本社会を救う 』 著者:坂本貴志 発行:講談社現代新書 定価:920円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 大多数の人の「定年」は、みんなが思ってる以上に豊か 最初に断っておくが、この本の文章は非常に読みづらい。論文調で、砂を噛むような退屈な文体である。その理由は、はっきりしている。というのもこの本は、リクルートワークス研究所のアナリストである坂本氏が同所の研究プロジェクトを通じて書いた論文がもとになっているからだ。論文調なのは、もともとが論文だからなのだ。 にもかかわらず、私がこの本をお薦めしたいのは、多くの人にとって未知の存在である「定年」の実状を誰にもわかりやすい形で提示してくれているからである。 しかも、本が始まって4ページ目に、ズバリ結論から述べている。引用しよう。 定年後の仕事の実態を丹念に調べていくと浮かび上がってくるのは、定年後の「小さな仕事」を通じて豊かな暮らしを手に入れている人々の姿である。さらに明らかになるのは、このような定年後の「小さな仕事」が必要不可欠なものとして人々の日々の暮らしの中に埋め込まれており、かつそれが実際に日本経済を支えているという事実である この本が語っている定年後の生活の「典型」は、これ以上でも以下でもない。 若いころからの投資の恩恵で働くことなく左手ウチワで暮らしている金持ち父さんでもなければ、年金だけでは食っていけず、低賃金労働に身を投じてぢっと手を見ている貧乏父さんでもない。 定年後の「典型」は案外、のんびりしていて、けっこう豊かであるという、夢のある話なのだ。素晴らしいではないか。 月収10万円でも案外、豊かに暮らしていける 坂本氏は、定年者の「典型」をあぶり出す手段として、ふたつの方法を用いている。 ひとつは、コロナ前の2019年の統計データを用いて定年後の実態を検証する「第1部 定年後の仕事『15の事実』」と、7人の定年者のインタビューを通じて個別事例を紹介する「第2部 「『小さな仕事』に確かな意義を感じるまで」である。 そして、「第3部 『小さな仕事』の積み上げ経済」では、第1部と第2部で明らかになった定年後の実態を前提として、少子高齢化が進む日本社会がどのように変わっていかねばならないかを提言している。 第1部で示される「15の事実」をここで列挙してみよう。 事実1/年収は300万円以下が大半 事実2/生活費は月30万円弱まで低下する 事実3/稼ぐべきは月60万円から月10万円に 事実4/減少する退職金、増加する早期退職 事実5/純貯蓄の中央値は1500万円 事実6/70歳男性就業率45.7%、働くことは「当たり前」 事実7/高齢化する企業、60代管理職はごく少数 事実8/多数派を占める非正規とフリーランス 事実9/厳しい50代の転職市場、転職しても賃金は減少 事実10/デスクワークから現場仕事へ 事実11/60代から能力の低下を認識する 事実12/負荷が下がり、ストレスから解放される 事実13/50代で就労観は一変する 事実14/6割が仕事に満足、幸せな定年後の生活 事実15/経済とは「小さな仕事の積み重ね」である 「事実1」で国税庁の民間給与実態統計調査のデータをもとに明らかにされるのは、「60歳以降の就業者の年収の中央値は280万円(平均値では357万円)で、60代後半には180万円まで下がる(平均値だと256万円)」ということ。 このことは、次に続く「事実2」、および「事実3」にもつながっている。 実は、人生のうちでもっとも生活費を必要とするのは、30代後半から50代前半にかけての年代である。家族の食費に子どもの教育費、住宅費、税・社会保障費と、とにかくお金がかかる。そのあたりは、現在56歳で3人の子どもを養育中の私にも納得できる話だ。 だが、50代後半以降は、そうしたお金がかからなくなり、「生活費は月30万円まで低下する」し、「稼ぐべきは月60万円から月10万円に」なるのである。 なるほど、でも、3人目の長女が20歳になるのは、私が60歳のときだから、月10万では辛いなぁと個人的には思ったりして。でも、バブル崩壊を経験し、これから定年を迎えるサラリーマンにはおおむね、2つの事実は納得できるものなのではないか。 興味深いのは、「年をとって収入が下がっても、使うお金も少なくなるので大丈夫」という状態を維持できているのが、悪名高い「年功序列」を基本として組み立てられている日本の雇用慣行にあると坂本氏が指摘していることだ。 データからは、特定の時期に個人が受け取る収入は、その時期に必要になる家計支出額に応じて決まることわかる。人生で最も稼ぎが必要な時期があって、それに応じて高い報酬が支払われる日本型の雇用慣行は、こうしてみると実によくできた仕組みともいえる。 理屈上、給与は各従業員の能力やパフォーマンスによって決まるべきであるが、実際の従業員の給与はそのように決まってはいないのである。 日本型雇用慣行は時代遅れだけど、実はよくできた仕組み 「年功序列」の悪名の高さは多くの人にとって、周知のことだろう。とにかくここ最近、これを擁護する人の声をトンと聞かない。 もちろん、坂本氏も「少子高齢化による中高年社員の増加、転職の一般化などから、日本型雇用慣行は制度疲労を起こしており、時代にそぐわないものになった」ということは認めている。 現代人が『サザエさん』の波平さんの設定年齢が54歳であることに対して、「えっ!?」と驚いてしまうのは、「年寄り」の概念が昔と今とでは大きく違ってきたからだ。 医療技術の進歩や食糧事情、生活環境などが昔から比べて大きく改善されて現代においては、60歳を過ぎても20代後半から40代の壮年世代と張りあえるほどのバイタリティを持っている人は多い。そんな社会にあって、「年齢」を一律の基準として50代後半に役職の座から引きずりおろし、有無を言わせず収入減を押しつけ、60代後半で会社から追い払うというのは、いかにも理不尽だ。 だが、坂本氏はこう反論するのである。 定年制など現行制度の功罪を考える際には、この制度によって何が達成されているかを考える必要がある。まず、組織で健全な新陳代謝が行われているのは、まぎれもなく定年制のおかげである。こうした仕組みを通じて現在の役職者の任が解かれた結果として、仕事において大きな責任を負い、社会に大きな影響を及ぼしたいという意欲あふれる次世代の人たちが実権を握れるようになる。強制力をもった制度があったからこそ、現役の役職者もまた、こうしたプロセスのなかで組織内における地位を築けてきたはずである。 そうして考えてみると、日本型雇用慣行のカウンターとして導入されたジョブ型「職務給」や、職務の難易度や責任の度合いを等級に分けて報酬を決める「職能給」、仕事による結果のみを評価する「成果給」が脚光を浴びながら、そんなに馴染んでいかなかった理由も理解できるような気がするのだ。 未知なる「定年」に怯える必要はない では、月10万円の稼ぎによってもたらされる「豊かな暮らし」というのは、どんなものなのか? 第2部で紹介される、7人の実例の特徴について、坂本氏はこうまとめている。 定年後の人々の状況は実に多様であり、定年前と全く変わらずに仕事ができる人もいれば、病気を患うなどして仕事をすることすらままならない人もいる。こうしたなか、あえて定年後のキャリアの平均的な姿を描けば、体力と気力を中心に仕事に関する能力が緩やかに低下し、これに合わせて仕事のサイズが小さくなる。しかし、そうしたなかでも、目の前にある小さな仕事に対して確かな意義を感じていく。このような姿がむしろ定年後のキャリアの典型なのである。 それでも「本当か?」と疑う人は、本を手にとってよく読んでほしい。少なくとも私は大いに納得した。 未知なる「定年」という未来に必要以上に怯えることはないし、かといって過大な期待も必要ない。そんな心構えを身につける書として、本書は格好の手引き書になるだろう。

2023/02/03

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介護付き有料老人ホームとは│提供されるサービス・費用・入居条件などを解説

介護付き有料老人ホームは、介護スタッフが24時間常駐している介護施設。介護サービスや身の回りの世話を受けられます。 この記事では、介護付き有料老人ホームの種類及び入居のための条件や必要な費用、サービス内容などを詳しく説明しています。 https://youtu.be/oK_me_rA0MY 介護付き有料老人ホームの特徴 介護付き有料老人ホームとは、有料老人ホームのうち、都道府県または市町村から「特定施設入居者生活介護」の指定を受けた施設です。24時間介護スタッフが常駐し、介護や生活支援などは施設の職員により提供されます。 主に民間企業が運営しているため、サービスの内容や料金は施設ごとに異なります。また、入居基準も施設により異なり、自立している方から介護が必要な方まで幅広く受け入れている施設も。選択肢が幅広いため、自分に合った施設を選ぶことができます。 看取りまで対応している施設も多数あり、「終の棲家(ついのすみか)」を選ぶうえでも選択肢のひとつとなります。 全体の概要をまとめるとこのようになります。 費用相場 入居時費用 0~数千万円 月額利用料 15~30万円 入居条件 要介護度 自立~要介護5※1 認知症 対応可 看取り 対応可 入居のしやすさ ◯ ※施設の種類によって異なります。 特定施設入居者生活介護とは 特定施設入居者生活介護は、厚生労働省の定めた基準を満たす施設で受けられる介護保険サービスです。ケアマネジャーが作成したケアプランに基づき提供される食事や入浴・排泄など介助のほか、生活支援、機能回復のためのリハビリなどもおこなわれます。指定を受けてこのサービスを提供する施設は、一般的に「特定施設」の略称で呼ばれています。 介護付き有料老人ホームの種類と入居基準 介護付き有料老人ホームには「介護専用型」「混合型」「健康型」の3種類があり、それぞれ入居条件が異なります。 介護度 ...

2021/11/10

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グループホームとは|入居条件や費用、入居時に気をつけたいポイントを解説

認知症の方の介護は大変です。「そろそろ施設への入居を検討しよう」と思っても、認知症の症状があると、入居を断られてしまうのではと心配もあるでしょう。 グループホームは認知症高齢者のための介護施設です。住み慣れた地域で暮らし続けられる地域密着型サービスであり、正式な名称を「認知症対応型共同生活介護」といいます。 こちらの記事では、グループホームについて解説します。また、グループホームで受けられるサービスや費用、施設選びのポイントも紹介しますので、ぜひ参考にしてください。 https://youtu.be/EofVO7MRRDM この記事を読めばこれがわかる! グループホームの詳細がわかる! グループホームを選ぶ際のポイントがわかる! グループホームへ入居する際の注意点がわかる! グループホームとは グループホームとは、認知症高齢者のための介護施設です。専門知識と技術をもったスタッフの援助を受けて、要支援以上の認知症高齢者が少人数で共同生活をおくります。 「ユニット」といわれる少人数のグループで生活し、入居者はそれぞれ家事などの役割分担をします。 調理や食事の支度、掃除や洗濯など入居者の能力に合った家事をして自分らしく共同生活を過ごすところが、ほかの介護施設や老人ホームとは異なるポイントです。 グループホームの目的は、認知症高齢者が安定した生活を現実化させること。そのために、ほかの利用者やスタッフと協力して生活に必要な家事を行うことで認知症症状の進行を防ぎ、できるだけ能力を維持するのです。 グループホームは少人数「ユニット」で生活 グループホームでは「ユニット」と呼ばれるグループごとに区切って共同生活を送るのが決まり。1ユニットにつき5人から9人、原則1施設につき原則2ユニットまでと制限されています。 少人数に制限する理由は、心穏やかに安定して過ごしやすい環境を整えるため。環境変化が少なく、同じグループメンバーで協力して共同生活することは、認知症の進行を防ぐことに繋がります。 認知症の方にとって新しく出会う人、新しく覚えることが難しいので、入居者やスタッフの入れ替わりが頻繁にある施設では認知症の高齢者は心が落ち着かず、ストレスを感じ生活しづらくなってしまいます。その結果、認知症症状を悪化させるだけでなく、共同生活を送る上でトラブルを起こすきっかけとなります。 慣れ親しんだ場所を離れて新しい生活をするのは認知症の方には特に心配が尽きないもの。その心配を軽減するため、より家庭にできるだけ近づけ、安心して暮らせるようにしています。 グループホームの入居条件 グループホームに入居できるのは医師から「認知症」と診断を受けている方で、一定の条件にあてはまる方に限ります。 原則65歳以上でかつ要支援2以上の認定を受けている方 医師から認知症の診断を受けている方 心身とも集団生活を送ることに支障のない方 グループホームと同一の市町村に住民票がある方 「心身とも集団生活を送ることに支障のない」という判断基準は施設によって異なります。入居を希望している施設がある場合には、施設のスタッフに相談しましょう。 また、生活保護を受けていてもグループホームに入ることは基本的には可能です。しかし、「生活保護法の指定を受けている施設に限られる」などの条件があるので、実際の入居に関しては、行政の生活支援担当窓口やケースワーカーに相談してみましょう。 グループホームから退去を迫られることもある!? グループホームを追い出される、つまり「強制退去」となることは可能性としてゼロではありません。一般的に、施設側は入居者がグループホームでの生活を続けられるように最大限の努力をします。それでも難しい場合は、本人やその家族へ退去を勧告します。「暴言や暴力などの迷惑行為が著しい場合」「継続的に医療が必要になった場合」「自傷行為が頻発する場合」etc。共同生活が難しくなった場合には追い出されてしまうこともあるのです グループホームで受けられるサービス グループホームで受けられるサービスは主に以下です。 生活支援 認知症ケア 医療体制 看取り それぞれ詳しく見てみましょう。 生活支援 グループホームでは以下の生活面でのサービスを受けられます。 食事提供 :◎ 生活相談 :◎ 食事介助 :◎ 排泄介助 :◎ 入浴介助 :◎ 掃除・洗濯:◯ リハビリ :△ レクリエーション:◎ 認知症を発症すると何もできなくなってしまうわけではなく、日常生活を送るだけなら問題がないことも多いです。 グループホームには認知症ケア専門スタッフが常駐しています。認知症進行を遅らせる目的で、入居者が専門スタッフの支援を受けながら入居者の能力(残存能力)に合った家事を役割分担して自分たち自身でおこないます。 食事の準備として買い出しから調理、配膳、後片付けまで、そして洗濯をして干すといった作業や掃除も、スタッフの介助を受けながら日常生活を送ります。 グループホームでは、入居者の能力(残存能力)に合った家事を役割分担して自分たち自身でおこなうことになります。 例えば、食事の準備として買い出しから調理、配膳、後片付けまで。また、そして洗濯をして、干すまで…など。そのために必要な支援を、認知症ケアに長けた専門スタッフから受けられるのが、グループホームの大きな特徴です。 グループホームは日中の時間帯は要介護入居者3人に対して1人以上のスタッフを配置する「3:1」基準が設けられています。施設規模によっては、付き添いやリハビリなどの個別対応が難しいので、入居を検討する際は施設に確認しましょう。 認知症ケア 施設内レクリエーションやリハビリのほかに、地域の方との交流を図るための活動の一環として地域のお祭りに参加や協力をしたり、地域の人と一緒に公園掃除などの活動を行う施設も増えてきました。 グループホームとして積み上げてきた認知症ケアの経験という強みを活かし、地域に向けた情報発信などのさまざまな活動が広がっています。 地域の方と交流する「認知症サロン」などを開催して施設外に居場所を作ったり、啓発活動として認知症サポーター養成講座を開いたりするなど、地域の人々との交流に重きを置くところが増えています。 顔の見える関係づくりをすることで地域の人に認知症について理解を深めてもらったり、在宅介護の認知症高齢者への相談支援につなげたり。 こうした活動は認知症ケアの拠点であるグループホームの社会的な価値の向上や、人とのつながりを通じて入所者の暮らしを豊かにする効果が期待できます。 医療体制 グループホームの入居条件として「身体症状が安定し集団生活を送ることに支障のない方」と定義しているように、施設に認知症高齢者専門スタッフは常駐していますが、看護師が常駐していたり、医療体制が整っているところはまだまだ少ないです。 しかし近年、高齢化が進む社会の中で、グループホームの入居者の状況も変わってきています。 現在は看護師の配置が義務付けられていないので、医療ケアが必要な人は入居が厳しい可能性があります。訪問看護ステーションと密に連携したり、提携した医療機関が施設が増えたりもしているので、医療体制について気になることがあれば、施設に直接問い合わせてみましょう。 看取り 超高齢社会でグループホームの入所者も高齢化が進み、「看取りサービス」の需要が増えてきました。 すべてのグループホームで看取りサービス対応しているわけではないので、体制が整っていないグループホームの多くは、医療ケアが必要な場合、提携医療施設や介護施設へ移ってもらう方針を採っています。 介護・医療体制の充実度は施設によってさまざまです。介護保険法の改正が2009年に行われ、看取りサービスに対応できるグループホームには「看取り介護加算」として介護サービスの追加料金を受け取れるようになりました。 看取りサービスに対応しているグループホームは昨今の状況を受け増加傾向にあります。パンフレットに「看取り介護加算」の金額が表記されているかがひとつの手がかりになります。 グループホームの設備 グループホームは一見、普通の民家のようで、家庭に近い雰囲気が特徴ですが、立地にも施設基準が設けられています。 施設内設備としては、ユニットごとに食堂、キッチン、共同リビング、トイレ、洗面設備、浴室、スプリンクラーなどの消防設備など入居者に必要な設備があり、異なるユニットとの共有は認められていません。 入居者の方がリラックスして生活できるように、一居室あたりの最低面積基準も設けられています。このようにグループホーム設立にあたっては一定の基準をクリアする必要があります。 立地 病院や入居型施設の敷地外に位置している利用者の家族や地域住民と交流ができる場所にある 定員 定員は5人以上9人以下1つの事業所に2つの共同生活住居を設けることもできる(ユニットは2つまで) 居室 1居室の定員は原則1人面積は収納設備等を除いて7.43㎡(約4.5帖)以上 共有設備 居室に近接して相互交流ができるリビングや食堂などの設備を設けること台所、トイレ、洗面、浴室は9名を上限とする生活単位(ユニット)毎に区分して配置 グループホームの費用 グループホーム入居を検討する際に必要なのが初期費用と月額費用です。 ここからは、グループホームの入居に必要な費用と、「初期費用」「月額費用」それぞれの内容について詳しく解説していきます。 ...

2021/11/15

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【動画でわかる】有料老人ホームとは?費用やサービス内容、特養との違いは

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2021/10/28

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