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ブックレビュー

高次脳機能障害

闘病記 高次脳機能障害

『壊れた脳と生きる』─「高次脳機能障害を正しく理解し、正しく支援する方法」に効く1冊

鈴木大介氏は、『最貧困女子』(幻冬舎新書)などの著書を通じて、社会的に発言の機会を与えられていない弱者を取材し、そうした人々の声なき声を代弁してきたルポライター。 そんな彼が41歳のときに脳梗塞を発症し、言語や記憶、感情のコントロールなどをつかさどる「高次脳機能」に障害を持つことになった。 取材対象者の話を聞いて、記事を作るという職業的ライターにとっては致命的な障害だが、彼は取材対象を自分自身に移し変え、『脳が壊れた』『脳は回復する』(ともに新潮新書)などの著書を通じて、高次脳機能障害の不自由さと苦しみに満ちた世界を脳内ルポしている。 本書はその鈴木大介氏が、1994年に日本で初めて高次脳機能障害専門の診療科を設けた東北大学病院に勤務し、同大学教授をつとめる鈴木匡子氏との対談を通じて、この障害の「理解」と「支援」の方法を模索する様子が語られている。 高次脳機能障害は、身体の麻痺などのように外見ですぐに分かるものではないため、「見えない障害」とも呼ばれ、医療従事者や家族などの支援者たちの「死角」になってきた。本書は、それを見事に可視化してくれる本だと思う。未知なるその世界を覗いてみることにしよう。 『壊れた脳と生きる――高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援 』 著者:鈴木大介/鈴木匡子 発行:ちくまプリマー新書 定価:920円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 目の前で話している人の言葉が、脳内から消えていってしまう状態とは? 冒頭の「はじめに」で大介氏が指摘するのは、高次脳機能障害を「分かりやすく言語化すること」のむずかしさだ。引用しよう。 身体の不調であれば「こっちに曲げると痛い」「ここを押すと痛い」のように容易に言語化できますが、高次脳機能障害はこの「痛い」に相当するような言葉がない苦しさや不自由があまりに多いのです。例えば病後の僕は、かなりの期間「他人(ひと)の話を上手に聞く」ことに不自由を感じ続けました。とはいえ、耳が聞こえないのではありません。相手の話は、決して難しくない日常会話です。日本語の意味だって分かる。文字を書くことも読むこともできます。ただ、相手の話に自分の理解が追いつかなかったのです。 このような不自由は、今聞いたばかり、見たばかりのことを脳にとどめておくことができないという「作業(作動)記憶」の低下から生じるもので、目の前で話している人の言葉が、リアルタイムで脳内から消えていってしまうのだという。 脳梗塞や脳出血などの脳卒中の治療は、発症から2週間までを急性期、6カ月までを回復期、それ以降を生活期(あるいは維持期)と呼ぶのだそうだが、生活期は退院して生活の場でリハビリテーションをおこなう。だが、大介氏は退院当日に行ったスーパーマーケットで手痛い洗礼を受ける。 照明はまぶしいし、商品が棚一面に陳列されているのを見るだけで心が一杯になって何もできなくなるし、音響もBGMから安売りの録音からずっと流れているし。おまけに駆け回っている子どもがいたりして。生まれたてのシカが内股をふるふるしながに立ってるような状態で、もうどうにもならなくなりました。 脳のスペックが極端に落ちてしまったことが原因だろうが、不思議なことに、自分にとって一番聞きたくない不快な音をピックアップして聞き取ってしまうという。 この現象について、聞き手の鈴木匡子氏(きょう子先生)はこう解説する。 注意の機能から説明できるかもしれません。注意には自分が必要とする情報を取れるように、目的とするものに向かって働く指向性があり、それ意外の情報は抑制する働きがあります。それがうまく働かなくなると、色々な刺激がどれも同じ強さで入ってしまう。さらに情動的な負荷の高いもの、大介さんの場合は自分にとって不快な声や音が聞こえると、自分の意図とは無関係にそちらに注意が向いてしまうという状況だったのかもしれませんね。 そんな状況において、大介氏は倒れてから10日後くらいに闘病記の企画書を版元に提出し、病院内で起こるさまざまな困りごとをメモしていったというからすごい。 読み返すと、最初は病棟内で、表情が作れない、うまく言葉が出てこない、話せない。あと視線がロックしてしまう、思考がロックしてしまう、早口で相手に一方的にしゃべってしまう。一方的にわーって話して、途中で何言ってるか分からなくなったり、話し終わって、その後もう何も続かないみたいなことがあって、コミュニケーションがおかしいとか。そういうことを逐一書き出してありますね。 支援者には、高次脳機能障害を見分けるプロの「山菜採り」になってほしい ところで、身体に麻痺が残らなかった大介氏の場合、リハビリはPT(理学療法士/Physical Therapist)ではなく、OT(作業療法士/Occupational Therapist)かST(言語聴覚士/Speech-Language-Hearing Therapist)が担当することになる。 ところが驚いたことに、そうした支援のプロたちのなかにも高次脳機能障害がどんなものかについて、くわしい知識を持っていない人がいたというのだ。 病後の僕が何より苦しかったのは、できないことを理解してもらえない、不自由を無いことにされてしまうことでしたから。STの先生に「話せない」と訴えているのに、「上手に話せていますよ」の一点張り。ユーチューブにある僕の病前の対談の音声を聞いてもらっても、「今と変わりませんよ」って言われたことすらあった。そういう相手には、心を閉ざすしかない。 STは、主に言語障害、音声障害、嚥下(えんげ)障害に対しての専門家で、合格率50~60%と言われる国家試験に合格しなければなれない専門職だ。しかも、このケースは大介氏がたまたま無能なSTに出会ってしまったわけでもないことが次の発言でわかる。 例えば、先ほど例を出した「鈴木さんお上手に話せていますよ」の残念なSTさんは、家庭内の環境とか夫婦関係の調整については、すごく短時間で問題を見抜いて、誰よりも具体的で実効性のあるアドバイスをしてくださった方でもあるんです。でも一方で、超元気で声が大きくて早口で、そうした点も心を閉ざした理由だったんです。 一方、大介氏の不自由さに配慮して、ゆっくり対応してくれる人からも、「麻痺が軽くてよかったですね」というキラーワードを言われてしまったという。「つらいです」と訴えているのに、「でも良かったですね」と返されてしまうと、絶望的な気分に追いやられてしまう。「無理解」は「攻撃」だ、と大介氏は訴える。 これに対して、きょう子先生はこう説明する。 高次脳機能障害の認知リハビリには、一般的なマニュアルはないのです。麻痺などの症状に対しては、おおよそ決まったリハビリの方法があって、こういう順番でこれをやるということがほぼ確立されていますが、認知リハビリにそういうものはありません。(中略)たとえマニュアルがあったとしても、その通りにやってもうまくいかないのではないかと思います。一人ひとりにどこかしら合わない部分が必ず出てくる。大量生産の既製服ではなくて、仕立てるように、個々の症状に向き合ってきちんと合わせていかなければ、体に合ったものはできない気がします。 こうした課題を解決する糸口は、ふたりの次の会話から示唆される。 きょう子先生 観察することの前提として、症状に関する知識が必要です。基礎的な知識を持ったうえで見ないと見えないことが山ほどありますので。たとえて言うと、山菜採りに山へ行って、山菜採りの名人は、あ、そこにワラビかずある、とすぐに見える。私たちは同じ風景を見ていても、え? どこにワラビがあるの? と分からない。高次脳機能障害の症状もそれに似ています。こういう症状が出るだろう、こういうことが起こり得るだろうと知識や経験から予測してみると、見えてくるところがあるのです。大介 その喩え、すごくよく分かります。現場の人は全員、山菜採りのプロになってほしい。とりあえずその山にある山菜は全種類知っておいてほしいと、切に願います。 高次脳機能障害は、医療の進歩が作り出した「副作用」なのか? 本書は高次脳機能障害になった大介氏の不自由さと苦しさについての記述がこれでもかという量で語り尽くされているが、それでも読んで不快にならないのは、ふたりの会話が高次脳機能障害の「理解」と「支援」に向けて、建設的に議論を進めているからだろう。 何より、大介氏の症状が年月を経て、少しずつ回復している点には大きな希望を感じさせられる。 僕もいろんなことができなくなって、それこそ死んでしまいたいと思うような日も数え切れぬほどありました。けれど、実は元に戻って一番うれしかったのは、すごく些細なことだったんです。それは、人の話を聞きながら相づちを打ったり、にやっとしたり、ツッコミを入りたりすること。3年近くかかりました。生活や仕事の上ではもっと深刻なことでいっぱい困っているし、いまも困り続けていることがあるけれど、自分の回復目標に「ツッコミが入れられること」は普通設定しませんよね。なので当事者によって、何を目標にするのかについては、実は本人にも誰にも正確に定められないもののように感じなくもないです。 脳血管疾患は、1位のがん、2位の心疾患に次いで3番目に多い日本人の死因だが、昭和40年代まではダントツの1位だった。 これは医療の進歩による成果と言えるだろう。現在の医療は、基本的に「過去には救えなかった命が救えるようになる」という方向で道を歩んでいる。CTやMRIなどの検査技術をはじめ、手術にロボット技術が採用されるようなイノベーションが起こり、その進歩は加速度的に早くなっている。 だが、それによってある種の「副作用」というものが生じてきているのも事実である。それは、「高度な医療によって救われた命の予後のケア」が新たに必要になったことだ。 高次脳機能障害の現状を知るにあたり、その副作用の解消は喫緊の課題だろう。同じようなことは、産まれながらに人工呼吸器や心肺装置を必要とする障害児童が増えているケースにも言えることだし、医療の進歩と長寿化によって生じた認知症についても言える。 本書は、そうした現代の課題を見事に「可視化」してくれる、ためになる本だった。

2023/01/25

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