認知症とは、認知機能が衰える症状のことで、認知症という病気があるわけではない、という話をかつて老年行動学の先生から聞いたことがある。
体の寿命は延びたのに、脳の機能がそれに追いついていない状態というわけだ。だから、「認知症患者」という言葉は、厳密に言えばあり得ないということになる。
高齢化が進み、高齢者の5人に1人が認知症になるという時代、認知症になっても希望を持って日常生活を過ごせる社会を作っていかなくてはならない。
今回は、2冊の本から、その処方箋となるヒントを探ってみよう。
表紙からして目立つ本である。
書店の棚に平積みされた本の帯には「はやくも15万部突破!!!」の文字が躍っている。奥付を見ると、第15刷とある。サイクルの早い書店の流通システムで生き残っていくには、それだけ売れ続けなければならないというわけか(2022年12月時点では16刷16万部に達しているようだ)。
この本の特色は、冒頭の一文によく現れている。引用しよう。
これまでに出版された本やインターネットで見つかる情報は、どれも症状を医療従事者や介護者視点の難しい言葉で説明したものばかり。
肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。
そこでわたしたちは、ご本人にインタビューを重ね、「語り」を蓄積することから始めました。
それをもとに、認知症のある方が経験する出来事を「旅のスケッチ」と「旅行記」の形式にまとめ、だれもがわかりやすく身近に感じ、楽しみながら学べるストーリーをつくることにしました。
ここで言う「わたしたち」とは、この本を制作したNPO法人イシュープラスデザイン、および代表の筧氏、それから監修者である認知症未来共生ハブの人たちで、「インタビュー」した認知症の人は、約100人にのぼるという。
というわけで、認知症の症状である「BPSD」などという専門用語はこの本ではいっさい使われていないし、その内容となる「せん妄」とか「失行」とか「仮性作業」とか「弄便」といった言葉も出てこない。かわりに使われているのが、次のような言葉だ。
こんな調子で認知症の症状が、ダジャレや絶妙な比喩で表現されている。そのネーミングセンスに舌を巻く。
本を開いて、その「認知症世界」を旅してみよう。例えば、「アルキタイヒルズ」。ここで紹介されている「旅人の声」では、自分の家を他人の家だと思って帰ろうとしてしまうケースが紹介されている。
おもしろいのは、そうした行動の理由は、一つではないということ。「過去に住んでいた自宅の記憶が強く想起されて、現在の自宅の記憶にオーバーラップしてしまうため」という理由もあれば、「空間や人の顔などを認識する機能に障害が起き、その場所を自宅だとわからなくなるから」かもしれず、はたまた「ストレスが『落ちつくことのできる自宅に帰りたい』という気持ちを誘発している」こともあり得るという。
とはいえこの本では、「だから認知症の介護をする人はこうしてください」というアドバイスはいっさいない。ただ、認知症の人が見たり、聞いたり、感じたりしている世界を示すのみである。
だが、かえってそのことがこの本の美点であると私は思う。単なる介護マニュアルになっては、おもしろさが半減、いや、全減しかねないのではないか。認知症世界のガイドブックであることがこの本の神髄なのだ。
本の後半は、認知症になった人に向けて「認知症とともに生きるための知恵を学ぶ旅のガイド」になっている。
ガイドの仕方も懇切丁寧だ。「今の自分の心身の状態を知る」、「専門職に相談する」、「だれかに打ち明ける」、「頼れる仲間をつくる」、「当事者とつながる」、「混乱を生むモノ・コトを生活空間から取り除く」、「スマートフォンを使って生活を楽にする」など、具体的なステップを示して認知症になっても楽に暮らせる道に誘導していく。
驚いたのは、要所要所にQRコードがあって、スマートフォンでそれを読み込むと、認知症未来共創ハブの特設サイトに飛んで、さらにくわしい情報に触れることができる点である。
例えば「スマートフォンの活用術」のQRコードを読み込むと、鍵を使わずに玄関などのドアの施錠を管理できるアプリ(認知症の人はたびたび自分が自宅の家の鍵を閉めたことを忘れる)や、しゃべりかけた音声を認識して文字化してくれる機能などの情報にアクセスできる。
むむむ。その手があったか、と感心させられた。
この手法を小説などのエンターテインメント分野などに転用するなら、「この部分はこのBGMを聴きながら読んでください」と指定する、QRコード小説が登場するのではないか? といった夢想も想起させられた。田中康夫が1980年に発表した小説『なんとなく、クリスタル』が「注釈小説」として脚光を浴びた昭和からの読書好きとしては、令和のデジタル時代ならではの「QRコード小説」も読みたいものだ。長生きするのは損ばかりではなく、得もあるのである。
医療や介護従事者向けに、高齢者の擬似体験ができるツールが開発されていて、私も30代だったころ、雑誌の取材を通じて体験させてもらったことがある。ヘッドフォンや特殊眼鏡をかけたり、手足に重りを巻いて、筋力、視力、聴力などの低下を擬似的に体験するのだ。階段を登ったり、風呂の浴槽に入ったりといった何気ない日常行為が、とんでもない重労働に変わった(56歳現在、その違和感には多少慣れてはいるが)。
この本を読めば、それに近い体験ができるのではないか。あなたも、認知症世界を旅してみませんか?
続いて読んだのは、認知症介護研究の第一人者で、認知症診断の物差しである「長谷川式簡易知能評価スケール」(長谷川式スケール)を開発した長谷川和夫先生のこの本だ。
先生は2021年11月13日、92歳で老衰で亡くなったが、その5年前から認知症になったことを公表した。この本は、読売新聞社の猪熊律子氏の協力のもと、先生が当事者の目で認知症を語った興味深い本である。
冒頭は、次のようなショッキングな文章で始まる。引用しよう。
どうもおかしい。前に行ったことがある場所だから当然たどり着けるはずなのに、行き着かない。今日が何月何日で、どんな予定があったのかがわからない。どうやら自分は認知症になったのではないかと思いはじめたのは、2016年ごろだったと思います。
認知症の人が自宅を出てどこかへ出かけるとき、鍵をかけたかどうかわからなくなって何度も家に戻ってしまうことはよく知られている。先生にも、そうした症状があらわれたのだ。
記憶というのは「記銘→保持→想起」というプロセスを経ておこなうが、どれか一つに障害が起こると、自分のやった行動を思い出すことができなくなる。「自宅の鍵をかけた」という経験を記憶しておく機能がうまく働かなくなるのだ。
長谷川式スケールは、「お歳はおいくつですか?」、「私たちが今いるところはどこですか?」、「100から順に7を引いてください」といった質問項目があるが、1974年に公表された初期バージョンの最初の質問は「今日は何月何日ですか?(または)何曜日ですか?」というものだった。先生はそのことを、テーブルの上の新聞に印刷された日付を見ないと答えられなくなってしまったのだ。
このときの心境を、先生は次のように語っている。
ボク自身で言えば、認知症になったのはしょうがない。年をとったんだから。長生きすれば誰でもなるのだから、それは当たり前のこと。ショックじゃなかったといえば嘘になるけれど、なったものは仕方ない。これが正直な感想でした。
そのように自分の認知症を受け入れることができた背景には、キリスト教の信仰があったことも大きいと先生は言う。「神様が信仰を与えてくださり、守ってくださっているという感覚があるから、割り切って、ありのままを受け入れるという感じになったのかもしれません」と。
この本では、「長谷川式スケール」の開発秘話も語られる。きっかけは、恩師の新福尚武先生に「長谷川君、見立てが昨日と今日とで違ってはいけない。診断の物差しをつくりなさい」と言われたことだという。
精神科医にヒアリングをし、彼らが診断のために行っていた質問項目を書き出すところから始めたそうだが、そのなかから「できるだけ短時間で行えること(最大限でも20分以内)」、「数値化できるもの」を絞り込んだのだという。
最初の公表から17年後の1991年には、改訂版が公表され、11項目あった質問を削ったり、入れ替えたりして9項目になった。その理由は、質問が時代にそぐわないところが出てきたのと(「大東亜戦争が終わったのはいつですか?」、「日本の総理大臣の名前は?」という質問は削除された)、海外の診断法との比較研究に整合性を持たせるためだったとか。
それから、長谷川先生は2004年、それまでの「痴呆」から「認知症」に用語を変更した際の厚生労働省の委員をつとめたことでも有名だ。このネーミングは先生自身のものではなく、公募により6000件もの提案を受けたなかで選んだものだったそうだ。
もっとも多かった応募は「認知障害」。次いで「認知症」、「記憶障害」、「アルツハイマー(病)」、「もの忘れ症」、「記憶症」の6つが候補にあがった。先生は「3文字が覚えやすくていい」と思っていたというが、最終的にはさまざまな専門医、研究者の意見を取り入れて「認知症」となった。
さて、第三章「認知症になってわかったこと」は、認知症の臨床や研究を半世紀にわたって続けてきた先生が、認知症の当事者になって初めてわかったことが語られる。この本の核心部分だ。
先生はそこで、認知症が「連続している」ことと、「固定されたものではない」ということを指摘する。
普通のときとの連続性があります。ボクの場合、朝起きたときが、いちばん調子がよい。それがだいたい、午後1時ごろまで続きます。午後1時を過ぎると、自分がどこにいるのか、何をしているのか、わからなくなってくる。だんだん疲れてきて、負荷がかかってくるわけです。それで、とんでもないことが起こったりします。
そして、「何かを決めるときに、ボクたち抜きに物事を決めないでほしい」、「認知症の人の言うことをよく聴いてほしい」、「すべての役割を奪わないでほしい」と当事者の立場から健常者に対して望みを伝えている。
ちなみに、先生は当初、自身の認知症をアルツハイマー型認知症と考えていたそうだが、専門病院でMRIなどの画像検査や心理士による神経心理検査を受けた結果、「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」と診断された。80代など高齢期になってから現れやすい、進行が緩やかなタイプの認知症である。
そんな先生が、1年後に2回目の検査を受け、2年後に3回目の検査を受けたのは、「年をとれば認知症が悪くなっていく一方ではなく、多少はよくなっている部分もあるのではないか」と考えたからだという。自ら実験台になったわけだ。そして、「海馬の萎縮や記憶力、判断力の低下などは見られるにせよ、全体として、進行は非常に緩やか」という診断を受けている。
まさに先生は、人生の最後の最後まで認知症の研究者であり続けた人であり、生涯をその研究に捧げた人だったのではないか。
今回、この2冊の本を読むことで、「認知症とともに生きる社会」の輪郭が、少しは見えてきたような気がする。
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