【漫才師・ナイツ塙宣之】お年寄りに寄り添い、上手にお付き合いする方法

【漫才師・ナイツ塙宣之】お年寄りに寄り添い、上手にお付き合いする方法

更新日 2023/09/21

漫才師・ナイツの塙宣之さんが、『静夫さんと僕』(徳間書店)という本を上梓した。2014年から同居を始めた、義理の父の静夫さんとのハチャメチャな二世帯暮らしを描いた爆笑エッセイだ。

家のなかに雑草を持ち込む、耳が遠いのに補聴器を嫌がる、ラーメンの袋麺しか食べたがらないなど、超マイペースな生活をしている静夫さんに翻弄される塙さんの様子がおもしろおかしく語られている。
この本を読んでわかるのは、塙さんが「変なお爺ちゃん」との付きあい方の達人だということだ。

ただ、漫才師としてデビューしてからの話を聞いてみると、そのスキルは持って生まれた才能なのではなく、さまざまな葛藤を抱えるなかで少しずつ身につけていったのだということがわかってきた。

果たして、「変なお爺ちゃん」と付き合うには、どんな心構えが必要なのか? 塙さんにじっくり聞いてみよう。

静夫さんと僕

  • 著者:ナイツ 塙宣之
  • 発行:徳間書店
  • 定価:1600円(税別)

マイナスをプラスに変える、圧倒的なお笑いパワーとは?

―まずは、塙さんがお笑い芸人を目指したきっかけからお聞きしていいですか?

きっかけですか。ルーツをさかのぼれば、幼稚園に通っていたころになっちゃうんですけどね。

たぶん、3月生まれだったことが大きいと思うんですけど、まわりの子と比べて僕は、理解力がないというか、そうとうトロい子どもだったんです。幼稚園のトイレの小便器が家の便器と違うので戸惑ってしまい、床に出っ張ったところにウンチをしてしまったりね。

昼寝の時間もよくおねしょをしていたので、僕だけ途中で起こされてトイレに行かされてましたし、みんながいる前でウンチをもらしてしまったこともあります。

―自分でも「僕はダメな子だ」という自覚はあったんでしょうか?

ありました。小学生になっても幼稚園時代に僕が粗相をしたことを知ってる友だちがいて、「ウンコ、ウンコ」とからかわれたりするので、ますます自信を失って引っ込み思案でおとなしい子どもになっていました。

小学4年生のときまでは、ずっとそんな感じでした。

―小4のとき、何が起こったんですか?

志村けんさんか加藤茶さんだったと思うんですけど、家ではこのおふたりがテレビで「ウンコ」とか「チンチン」をネタにしたコントを見て大笑いしたんです。ある日、それを真似して「ウンコの歌」という曲を作ったんですよ。

そして、友だちが「ウンコ」のことでからかってきたとき、勇気を出してその歌を大声で歌ったんです。すると、クラスは大爆笑。人前で初めてウケた瞬間であり、同時に笑いというもののすごいパワーを思い知った出来事でした。

その1年後、僕ら家族は佐賀県に移って、そこで8年ほど暮らすんですけど、転校先では「千葉にいたころは、ウンコの歌をうたってクラスの人気者でした」と自己紹介して大ウケし、お笑い好きの明るい子に大変身していました。

―高校2年生のとき、塙さんは『激辛!? お笑いめんたい子』(テレビ西日本)というオーディション番組に出場して優勝したそうですが、このときの原体験が大きく影響しているんでしょうね。

そうですね。それは間違いないことだと思います。

浅草の師匠たちとの衝撃的な出会い

―話は少し先に飛んでしまいますが、土屋伸之さんとナイツを結成した塙さんは、2002年に漫才協会に所属して、寄席で活動するようになります。これにはどんないきさつがあったんですか?

マセキ芸能社の社長の「浅草からスターを出したい」という考えがあって、その対象者に選ばれてしまったんですね。嫌だったんですけど、僕らにそれを拒否する権利は与えられていませんでした。

おかげで最初のころは、いろいろな苦労がありました。

昼間は寄席で高齢者を相手にし、夜は小さなライブハウスで若い人を相手にするわけですが、お客さんの求めるものにギャップがあり過ぎて、テンポもネタもいっこうに定まりません。その結果、どちらの舞台に立ってもウケなくなるという悪循環にハマっていた時期もありました。

―若手のころから高齢者を相手に漫才をするというのは、かなりツラいことですよね?

でも、居心地がいいのは、寄席のほうだったんですよ。

若手のライブハウスに行くと、先輩といっても年の近い人たちがたくさんいて、向こうもこちらをライバルだと思っているところがあるから、いつもピリピリした雰囲気だったんです。

なかには自分より年下なのに、キャリアが1~2年くらい長いだけで先輩ヅラをしてくる人もいて、こっちにもプライドがありますから、そういう先輩にペコペコと頭を下げるのもおもしろくないわけです。

その一方、「浅草の師匠」たちは70代、80代の人が中心ですから、孫の世代にあたる僕のような若者にやさしく接してくれるんです。コンクールのようなものに出場させて、「ライバルを蹴落としていかないと生き残れないぞ」なんてプレッシャーをかけてくる人は、一人もいません。

―具体的には、どんなふうに接してくれたんでしょう?

当時、漫才協会には専属の事務員がいなくて、理事をつとめるチャンス青木という師匠が僕ら若手の入会手続きとか、面倒を見てくれていたんです。だからてっきり、僕は師匠のことを漫才協会の事務員さんだと勘違いしていたんだけど、ある日、その事務のお爺さんだと思っていた人がラメ入りのスーツを着て舞台にあがって漫談をし始めたので、もうビックリして。

こうした「浅草の師匠」たちは、テレビに出ているわけではないから、あわてて浅草ROXの本屋さんで芸人名鑑みたいな本を買ってきました。だけど、そこに載ってるプロフィール写真がずいぶん昔に撮った若いころの写真だったりして、師匠たちの顔と名前を覚えるのにエライ苦労をしました。

師匠へのリスペクトの気持ちが芽生えて、世界が変わった

―そのほか、印象に残っているのは、どんな師匠ですか?

最初に度肝を抜かれたのは、東寿美・日の本光子師匠のお婆ちゃんコンビです。光子師匠は、すごく声が大きな人なんですけど、その反対に東師匠の声がすごく小さいんです。それで、客席から「ババア、聞こえねぇぞ」とヤジが飛んだのを袖から見たときは、すごいところに来ちゃったなと思いました。

当時の浅草は、つくばエクスプレスもまだ開通していない、寂れた街だったので、東洋館の客席はいつもガラガラでした。

しかも、数少ないお客さんも特別にお笑い好きというわけではなく、ただ涼みに来ている人もいれば、お酒を飲んでいたりして、漫才を真剣に聞いている人なんて、ほとんどいなかったように思われました。

ある日、イビキをかいて寝ているお客さんがいて、漫才の途中、そのイビキが止まっちゃって、客席が「大丈夫?」みたいな感じでザワザワし出したりしたこともありました。

そんなふうに浅草では、毎日がカルチャーショックでしたね。

―そのころの塙さんの心のなかには、「いつか浅草を飛び出してテレビで売れてやる」みたいな野心はあったんですか?

最初に言った通り、浅草は自分にとって居心地のいい場所だったので、そこから飛び出してやろうという気持ちはあんまりありませんでした。

そもそも、浅草の師匠たちというのは若いころ、コンクールで優勝したり、いい結果を残した実績のある人たちなんです。つまり、師匠たちは70代、80代になるまで惰性で舞台に立っているわけでは決してなくて、それほど長い間、芸人を続けていくにはよほどの実力を持った人でなければ無理なんですね。

はじめは、加齢によるポンコツエピソードを笑いのネタにしていた僕も、そういうことに気づいていくと、なんの実績もない自分のほうがちっぽけな人間に思えてきました。自分なんて、師匠たちの足下にも及ばない存在じゃないかと。

M-1グランプリに挑戦して、結果を残すことに本気で取り組むようになったのは、そのときの気づきが大きく影響していると思います。

―実際のところ、浅草の師匠たちから塙さんは、どんなことを学びましたか?

例えば、年をとると「入れ歯の噛みあわせが悪くてカツゼツが悪い」といったハンデがあったりしますよね。テレビ向きの芸をするなら、歯の治療とかリハビリとかをしてベストなパフォーマンスをする努力をすると思うんですけど、浅草の師匠たちはそのまんまの状態で舞台に出るんです。

で、声の音量がふたりで合っていなくても、お客さんから「ババア、聞こえねぇぞ」とヤジられるところで笑いが生まれたりするんです。

ネタのおもしろさとか、構成力とかを超えて、「人間味」のようなもので笑いをとっているんですね。それは、僕がクラスメートの前で勇気を出して「ウンコの歌」をうたうことで幼稚園時代のトラウマを克服したときのカタルシスに通じるものがあると思うんです。

つまり、「笑い」には「老い」のようなネガティブな状況をもエネルギーにすることができる、絶大なパワーがあるってことですよ。僕はそのことを、漫才協会の師匠たちと接することによって、再確認することができました。

内海桂子師匠からもらった大事な教え

―ナイツのおふたりは、漫才協会に所属すると同時に、内海桂子さんに師事し、2022年8月に師匠が97歳で亡くなるまでの18年間をお弟子さんとして過ごしています。どんな18年間でしたか?

漫才協会に所属することと同じく、桂子師匠に弟子入りしたのは自分たちの希望ではなく、マセキ芸能社の社長が決めたことだったので、最初はピンときませんでした。

芸人の弟子というと、師匠の家に住みこんで身のまわりの世話や、寄席通いのカバン持ちをしたりするイメージがありますが、そのような義務はいっさいなく、桂子師匠自身が「アンタたち、あたしの弟子なんだってね?」と聞き返してくるくらいでしたから、師匠のほうでも僕ら以上にピンときてなかったんじゃないでしょうか。

―でも、寄席の楽屋では、師匠の着物をたたんだりはするわけでしょ?

着物のたたみ方についてはいちおう、先輩に教えてもらってはいたんですけど、桂子師匠は家から着物姿で寄席にやってきますから、たたむ機会なんてないんです(笑)。

だから、最初の1~2年は、師弟らしい交流はありませんでした。

ただその後、師匠が僕らに目をかけてくれるようになって、営業先に同行させてもらうようになると、地獄のような日々が始まりました。

―地獄のような日々、というと?

僕らは芸人として師匠と営業先に行くわけですから、前座でお客さんに漫才を披露することになります。すると、「あなたたちのやってるのは漫才じゃない」とか、「こういうのはぞんざい(物事をいいかげんにする様)ですから」といった数々のダメ出しをされるんです。

これ、舞台を降りた場でやってくれる分にはありがたいんですが、お客さんの前でそのままやられちゃうんですよ。一度、「言葉で絵を描きなさい」と言われて、意味がまったくわからなくて絶句したこともありました。

―お客さんの前で恥をかかされるというのは、新人の芸人さんにとってはツラいことかもしれませんね

実際、僕らの漫才はスベりにスベっていましたから、お客さんの前でのダメ出しは、傷口に塩を塗るようなものです。このころは、師匠に恨みのような感情を煮えたぎらせていましたね。

ただ、先ほど言った、僕らがM-1グランプリに挑戦して、テレビに少しずつ出られるようになって自信をつけ始めたころ、勇気を出して師匠のダメ出しに「うるせぇ、このクソババァ!」と突っ込んだことがあるんです。

すると、間髪入れずに「誰がババァだ!」と師匠から返ってきて、それからはマシンガンのような言葉の応酬。それで客席はドッカンドッカンとウケたんです。

そのとき一瞬、師匠がうれしそうな表情を浮かべたのを今でも鮮明に覚えています。師匠もずっと、こういうことを僕らとしたいと待ち構えていたんだと思います。当時はその真意を理解できませんでしたけど、ここ最近になってみるとわかります。

そう思うと、師匠には感謝してもしきれないなぁと思いますね。

今も心に響く、師匠の言葉

―桂子師匠の教えで印象的なものを挙げていただくとすれば、何でしょうか?

師匠がよく言っていたのは、「いろんな経験を積みなさい。それが漫才に生きるんだから」ということ。なんてことのない言葉なんだけど、僕は漫才というものの本質を突いた言葉だと思っています。

というのも、若いうちはお客さんにウケたネタも、年をとるとできなくなっていくものなんです。

例えば、結婚して家庭を持てば、「女の子にモテたい」とか、「彼女がほしい」というネタはやれなくなります。俳優さんなら独身でモテない男の役を演じられるんだけど、漫才師の場合、それが成立しないんです。

―つまり、漫才師は、自分の生き様をそのままネタにしていくしかないわけですね?

そうです、そうです。

だから、2018年に『警視庁・捜査一課長』(テレビ朝日系)という連続ドラマの出演オファーをいただいたとき、「漫才師の自分がドラマに出ても、うまい演技なんてできるわけない」と思って躊躇したんですけど、師匠の教えを思い出してお受けすることにしたんです。

その結果、僕の「棒読み演技」がいろんなところでいじられることになったわけですけど、それがまた漫才の要素として生かされるわけですよ。

僕は今、ニッポン放送の月曜から木曜日の『ナイツ・ザ・ラジオショー』と『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の木曜レギュラー、それからTBSラジオでは毎週土曜の『ナイツのちゃきちゃき大放送』と、週に5日間はラジオに出演しているんですけど、もし僕が漫才しかやらない人間だったら、しゃべるネタはとっくに尽きてしまったはずです。

だから、師匠の「いろんな経験を積みなさい」という言葉は、僕の中でますます重い意味を持ってきています。

「変なお爺さん」のありのままを受け入れるということ

―今回、同居している奥さんのお父さんとの交流を描いたエッセイ『静夫さんと僕』を出版されたわけですが、この話も聞かせてください。同居のきっかけは、どんなことだったのですか?

2014年に最初の子どもが生まれることになって、広い家に引っ越したいという話を夫婦でしていたんですね。ちょうどそのころ、奥さんのお父さん、すなわち静夫さんが脳梗塞を患い、足腰を悪くしたこともあって、一緒に住んだらお世話もできるし、ちょうどいいんじゃないかという話になったんです。

それまで、静夫さん夫婦はエレベータのない団地の4階に住んでいて、奥さんの妹ふたりの家族が集まったりすると、ギュウギュウ詰めになってしまうような環境でしたし。

―いざ同居をはじめてみると、超マイペースな静夫さんの生活に振りまわされていく様子がおもしろおかしく書かれていますが、これを実際に体験する本人にとっては、かなりのストレスだったんじゃないですか?

それまで静夫さんの近くに住んでいて、いろいろ世話をしていた奥さんの妹ふたりからは「静夫さんと付き合うのは大変だよ」と言われていたんですが、最初のころはそんなふうに思ったことはありませんでした。

静夫さんは自然が好きで、野生で生えてる雑草を見ると、家に持ち込んで飾る、という癖があるんですけど、その雑草に家がちょっとずつ浸食されていって、半年も経つと家中がジャングルのようになっていました。

―「家のなかが汚くなるからやめてほしい」と言っても、聞いてもらえないんですか?

そうなんです。とにかく性格は頑固。そして、しつこい。自分の言いたいこと、やりたいことを誰が嫌がろうが押しつけてくるんです。

例えば、宇宙の話。静夫さんはサイエンスが大好きで、日ごろから専門書をたくさん読んで、「宇宙の構造は、どうなっているか知ってるか?」と質問してくるんですけど、難解な上に、あっちこっちに話が飛ぶので同じ話がループしたりするんです。

そもそも、耳が遠いので、「その話、もう聞きましたよ」と言ってもおかまいなし。補聴器をつければいいんじゃないかと薦めても、つけるのを嫌がるんですね。

いろいろな点で、矛盾したところがあるようですね。

それで結局、静夫さんにこっちのペースに合わせてもらうことを途中からあきらめました。コントロールしようとすればするほど、静夫さんは頑固に我を通してくるので、かえってストレスが増してしまうんです。

要するに、「静夫さんは、そういう人なんだ」ということを受け入れるってことです。

お年寄りと接するときに大事なのは、リスペクトの気持ち

―高齢者施設だと、食事の時間とか、起床と消灯時間とかが決められてしまいますが、おそらく静夫さんは、そういう生活を受け入れてくれないでしょうね?

絶対に無理ですね。

静夫さんは、超がつくほどの偏食家。サッポロ一番の醤油味の袋麺が大好きで、毎日そればかり食べています。家には大量の空き袋が散乱しているので、僕らはそれを「ポロイチ」と呼んでいます。

睡眠時間も、いつ寝ているかわからないほど変則的です。おそらく昔、タクシーの運転手をしていたころからの習慣だと思うんですけど、基本的に夕方の3時とか4時ごろに寝て、深夜の2時ごろに起きてくるみたいです。

ある日、朝の飛行機に乗らなきゃいけない日があって、早朝4時に身支度をして玄関に行ったとき、靴箱の隣の椅子に座った静夫さんが無表情でボーッとしているのに出くわして、「うわっ!」と声をあげてしまったこともあります。

―そういう静夫さんの生活のすべてを、受け入れていく姿勢が大事なんですね

その通りです。

もしかすると、漫才協会の数々の個性的なお爺ちゃんとの接し方が上手くなった点があるとすれば、そのスキルは静夫さんとの生活のなかで、少しずつ磨かれていったのかもしれません。

例えば僕は、漫才協会の師匠に向かって、「何度も同じネタをやるんじゃなくて、新作を作ってください」なんてことは、口が裂けても言えません。なぜなら、今、僕らが寄席で漫才を披露できているのは、師匠たちがずっとその場所を守り続けてきてくれたおかげなんですから。

お年寄りに対しては、そういうリスペクトの気持ちが大事だと思うんです。もし静夫さんがいなければ、僕は奥さんと出会って家庭を持つこともできなかったわけで、そう思ってみれば、静夫さんを邪魔者扱いするほうが間違っているということがよくわかりますよね。

―ところで、静夫さんは本になった『静夫さんと僕』を読んで、どんな感想をおっしゃっていましたか?

「おもしろかったよ」って、言ってくれました。

静夫さんとのエピソードは、ラジオのトークのネタにもさせてもらったし、こうして本にすることもできて、僕にとって静夫さんはとてもありがたい存在なんですけど、そんな静夫さんに喜んでもらえたことは、素直にうれしかったです。

それと、書いてみてわかりましたけど、日常生活のエピソードって、時間が経つと忘れていくじゃないですか。でも、こうして文章にしておくと、いつでも思い出すことができます。そういう意味で、この本を書くことができて、本当によかったと思っています。

65歳で引退して、その後は自由に生きてみたい

―最後に、塙さん自身の老後の話をお聞かせください。漫才師には定年がありませんが、塙さんは何歳まで漫才を続けたいと思っていますか?

「生涯現役」って言葉がありますよね。しかも、そのことをポジティブなことのように語られることが多いと思いますが、意味がわからない。

だって、人間は誰しも、自分の寿命が何年あるかを知ることはできないわけですから、「生涯現役」というのは、とても曖昧な目標のように思えるんです。それよりも、「65歳になったら引退する」と決めておいたほうが、張りのある毎日をおくれるんじゃないかと思うんですよね。

―でも、現代は人生100年時代だと言われます。65歳で引退すると、その後の20年、30年を持て余してしまうのではないですか?

いや、そんなことはないと思います。これまで世間からずっと、「ナイツの塙」として見られてきただけに、「塙宣之」というイチお爺ちゃんになったときの世界を、きっと新鮮に受け入れられるはずです。

そうなれば、静夫さんのように自分の言いたいこと、やりたいことを素直にやるだけの日々をおくりたいですね。今までできなかったプライベート旅行とか、いろんな遊びを試してみたい。そう思うと、今からワクワクするじゃないですか。

やろうと思えば、自分の人生を思い通りに生きるって、きっとできることだと思うんですよ。そう思いません?

撮影/八木虎造

地域から老人ホーム・介護施設を探す

北海道・東北

北海道札幌市)|青森県岩手県宮城県仙台市)|秋田県山形県福島県

関東

東京都神奈川県横浜市 / 川崎市 / 相模原市)|埼玉県さいたま市)|千葉県千葉市)|茨城県栃木県群馬県

甲信越・北陸

新潟県新潟市)|富山県石川県福井県長野県山梨県

東海

愛知県名古屋市)|岐阜県三重県静岡県静岡市 / 浜松市

関西

大阪府大阪市 / 堺市)|京都府京都市)|兵庫県神戸市)|滋賀県奈良県和歌山県

中国・四国

岡山県岡山市)|広島県広島市)|鳥取県島根県山口県徳島県香川県愛媛県高知県

九州・沖縄

福岡県福岡市 / 北九州市)|熊本県熊本市)|佐賀県長崎県大分県宮崎県鹿児島県沖縄県

よく読まれている記事

よく読まれている記事

article-image

介護付き有料老人ホームとは│提供されるサービス・費用・入居条件などを解説

介護付き有料老人ホームは、介護スタッフが24時間常駐している介護施設。介護サービスや身の回りの世話を受けられます。 この記事では、介護付き有料老人ホームの種類及び入居のための条件や必要な費用、サービス内容などを詳しく説明しています。 https://youtu.be/oK_me_rA0MY 介護付き有料老人ホームの特徴 介護付き有料老人ホームとは、有料老人ホームのうち、都道府県または市町村から「特定施設入居者生活介護」の指定を受けた施設です。24時間介護スタッフが常駐し、介護や生活支援などは施設の職員により提供されます。 主に民間企業が運営しているため、サービスの内容や料金は施設ごとに異なります。また、入居基準も施設により異なり、自立している方から介護が必要な方まで幅広く受け入れている施設も。選択肢が幅広いため、自分に合った施設を選ぶことができます。 看取りまで対応している施設も多数あり、「終の棲家(ついのすみか)」を選ぶうえでも選択肢のひとつとなります。 全体の概要をまとめるとこのようになります。 費用相場 入居時費用 0~数千万円 月額利用料 15~30万円 入居条件 要介護度 自立~要介護5※1 認知症 対応可 看取り 対応可 入居のしやすさ ◯ ※施設の種類によって異なります。 特定施設入居者生活介護とは 特定施設入居者生活介護は、厚生労働省の定めた基準を満たす施設で受けられる介護保険サービスです。ケアマネジャーが作成したケアプランに基づき提供される食事や入浴・排泄など介助のほか、生活支援、機能回復のためのリハビリなどもおこなわれます。指定を受けてこのサービスを提供する施設は、一般的に「特定施設」の略称で呼ばれています。 介護付き有料老人ホームの種類と入居基準 介護付き有料老人ホームには「介護専用型」「混合型」「健康型」の3種類があり、それぞれ入居条件が異なります。 介護度 ...

2021/11/10

article-image

グループホームとは|入居条件や費用、入居時に気をつけたいポイントを解説

認知症の方の介護は大変です。「そろそろ施設への入居を検討しよう」と思っても、認知症の症状があると、入居を断られてしまうのではと心配もあるでしょう。 グループホームは認知症高齢者のための介護施設です。住み慣れた地域で暮らし続けられる地域密着型サービスであり、正式な名称を「認知症対応型共同生活介護」といいます。 こちらの記事では、グループホームについて解説します。また、グループホームで受けられるサービスや費用、施設選びのポイントも紹介しますので、ぜひ参考にしてください。 https://youtu.be/EofVO7MRRDM この記事を読めばこれがわかる! グループホームの詳細がわかる! グループホームを選ぶ際のポイントがわかる! グループホームへ入居する際の注意点がわかる! グループホームとは グループホームとは、認知症高齢者のための介護施設です。専門知識と技術をもったスタッフの援助を受けて、要支援以上の認知症高齢者が少人数で共同生活をおくります。 「ユニット」といわれる少人数のグループで生活し、入居者はそれぞれ家事などの役割分担をします。 調理や食事の支度、掃除や洗濯など入居者の能力に合った家事をして自分らしく共同生活を過ごすところが、ほかの介護施設や老人ホームとは異なるポイントです。 グループホームの目的は、認知症高齢者が安定した生活を現実化させること。そのために、ほかの利用者やスタッフと協力して生活に必要な家事を行うことで認知症症状の進行を防ぎ、できるだけ能力を維持するのです。 グループホームは少人数「ユニット」で生活 グループホームでは「ユニット」と呼ばれるグループごとに区切って共同生活を送るのが決まり。1ユニットにつき5人から9人、原則1施設につき原則2ユニットまでと制限されています。 少人数に制限する理由は、心穏やかに安定して過ごしやすい環境を整えるため。環境変化が少なく、同じグループメンバーで協力して共同生活することは、認知症の進行を防ぐことに繋がります。 認知症の方にとって新しく出会う人、新しく覚えることが難しいので、入居者やスタッフの入れ替わりが頻繁にある施設では認知症の高齢者は心が落ち着かず、ストレスを感じ生活しづらくなってしまいます。その結果、認知症症状を悪化させるだけでなく、共同生活を送る上でトラブルを起こすきっかけとなります。 慣れ親しんだ場所を離れて新しい生活をするのは認知症の方には特に心配が尽きないもの。その心配を軽減するため、より家庭にできるだけ近づけ、安心して暮らせるようにしています。 グループホームの入居条件 グループホームに入居できるのは医師から「認知症」と診断を受けている方で、一定の条件にあてはまる方に限ります。 原則65歳以上でかつ要支援2以上の認定を受けている方 医師から認知症の診断を受けている方 心身とも集団生活を送ることに支障のない方 グループホームと同一の市町村に住民票がある方 「心身とも集団生活を送ることに支障のない」という判断基準は施設によって異なります。入居を希望している施設がある場合には、施設のスタッフに相談しましょう。 また、生活保護を受けていてもグループホームに入ることは基本的には可能です。しかし、「生活保護法の指定を受けている施設に限られる」などの条件があるので、実際の入居に関しては、行政の生活支援担当窓口やケースワーカーに相談してみましょう。 グループホームから退去を迫られることもある!? グループホームを追い出される、つまり「強制退去」となることは可能性としてゼロではありません。一般的に、施設側は入居者がグループホームでの生活を続けられるように最大限の努力をします。それでも難しい場合は、本人やその家族へ退去を勧告します。「暴言や暴力などの迷惑行為が著しい場合」「継続的に医療が必要になった場合」「自傷行為が頻発する場合」etc。共同生活が難しくなった場合には追い出されてしまうこともあるのです グループホームで受けられるサービス グループホームで受けられるサービスは主に以下です。 生活支援 認知症ケア 医療体制 看取り それぞれ詳しく見てみましょう。 生活支援 グループホームでは以下の生活面でのサービスを受けられます。 食事提供 :◎ 生活相談 :◎ 食事介助 :◎ 排泄介助 :◎ 入浴介助 :◎ 掃除・洗濯:◯ リハビリ :△ レクリエーション:◎ 認知症を発症すると何もできなくなってしまうわけではなく、日常生活を送るだけなら問題がないことも多いです。 グループホームには認知症ケア専門スタッフが常駐しています。認知症進行を遅らせる目的で、入居者が専門スタッフの支援を受けながら入居者の能力(残存能力)に合った家事を役割分担して自分たち自身でおこないます。 食事の準備として買い出しから調理、配膳、後片付けまで、そして洗濯をして干すといった作業や掃除も、スタッフの介助を受けながら日常生活を送ります。 グループホームでは、入居者の能力(残存能力)に合った家事を役割分担して自分たち自身でおこなうことになります。 例えば、食事の準備として買い出しから調理、配膳、後片付けまで。また、そして洗濯をして、干すまで…など。そのために必要な支援を、認知症ケアに長けた専門スタッフから受けられるのが、グループホームの大きな特徴です。 グループホームは日中の時間帯は要介護入居者3人に対して1人以上のスタッフを配置する「3:1」基準が設けられています。施設規模によっては、付き添いやリハビリなどの個別対応が難しいので、入居を検討する際は施設に確認しましょう。 認知症ケア 施設内レクリエーションやリハビリのほかに、地域の方との交流を図るための活動の一環として地域のお祭りに参加や協力をしたり、地域の人と一緒に公園掃除などの活動を行う施設も増えてきました。 グループホームとして積み上げてきた認知症ケアの経験という強みを活かし、地域に向けた情報発信などのさまざまな活動が広がっています。 地域の方と交流する「認知症サロン」などを開催して施設外に居場所を作ったり、啓発活動として認知症サポーター養成講座を開いたりするなど、地域の人々との交流に重きを置くところが増えています。 顔の見える関係づくりをすることで地域の人に認知症について理解を深めてもらったり、在宅介護の認知症高齢者への相談支援につなげたり。 こうした活動は認知症ケアの拠点であるグループホームの社会的な価値の向上や、人とのつながりを通じて入所者の暮らしを豊かにする効果が期待できます。 医療体制 グループホームの入居条件として「身体症状が安定し集団生活を送ることに支障のない方」と定義しているように、施設に認知症高齢者専門スタッフは常駐していますが、看護師が常駐していたり、医療体制が整っているところはまだまだ少ないです。 しかし近年、高齢化が進む社会の中で、グループホームの入居者の状況も変わってきています。 現在は看護師の配置が義務付けられていないので、医療ケアが必要な人は入居が厳しい可能性があります。訪問看護ステーションと密に連携したり、提携した医療機関が施設が増えたりもしているので、医療体制について気になることがあれば、施設に直接問い合わせてみましょう。 看取り 超高齢社会でグループホームの入所者も高齢化が進み、「看取りサービス」の需要が増えてきました。 すべてのグループホームで看取りサービス対応しているわけではないので、体制が整っていないグループホームの多くは、医療ケアが必要な場合、提携医療施設や介護施設へ移ってもらう方針を採っています。 介護・医療体制の充実度は施設によってさまざまです。介護保険法の改正が2009年に行われ、看取りサービスに対応できるグループホームには「看取り介護加算」として介護サービスの追加料金を受け取れるようになりました。 看取りサービスに対応しているグループホームは昨今の状況を受け増加傾向にあります。パンフレットに「看取り介護加算」の金額が表記されているかがひとつの手がかりになります。 グループホームの設備 グループホームは一見、普通の民家のようで、家庭に近い雰囲気が特徴ですが、立地にも施設基準が設けられています。 施設内設備としては、ユニットごとに食堂、キッチン、共同リビング、トイレ、洗面設備、浴室、スプリンクラーなどの消防設備など入居者に必要な設備があり、異なるユニットとの共有は認められていません。 入居者の方がリラックスして生活できるように、一居室あたりの最低面積基準も設けられています。このようにグループホーム設立にあたっては一定の基準をクリアする必要があります。 立地 病院や入居型施設の敷地外に位置している利用者の家族や地域住民と交流ができる場所にある 定員 定員は5人以上9人以下1つの事業所に2つの共同生活住居を設けることもできる(ユニットは2つまで) 居室 1居室の定員は原則1人面積は収納設備等を除いて7.43㎡(約4.5帖)以上 共有設備 居室に近接して相互交流ができるリビングや食堂などの設備を設けること台所、トイレ、洗面、浴室は9名を上限とする生活単位(ユニット)毎に区分して配置 グループホームの費用 グループホーム入居を検討する際に必要なのが初期費用と月額費用です。 ここからは、グループホームの入居に必要な費用と、「初期費用」「月額費用」それぞれの内容について詳しく解説していきます。 ...

2021/11/15

article-image

【動画でわかる】有料老人ホームとは?費用やサービス内容、特養との違いは

介護施設を探している中で「老人ホームにはいろいろな種類があるんだ。何が違うんだろう?」と疑問を感じることがあるかもしれません。 そこで今回は、名前に「老人ホーム」とつく施設の中でも、「有料老人ホーム」を中心に紹介。よく似ている「特別養護老人ホーム」との違いも見ていきます。 「老人ホームの種類が多すぎて訳がわからない」と思ったら、ぜひ参考にしてみてくださいね。 https://youtu.be/eMgjSeJPT8c 有料老人ホームの種類 有料老人ホームには、以下の3種類があります。 介護付き有料老人ホーム 住宅型有料老人ホーム 健康型有料老人ホーム この3種類の違いを以下にまとめています。 種類 介護付き有料老人ホーム ...

2021/10/28

介護の基礎知識

total support

介護の悩みを
トータルサポート

total support

介護施設への入居について、地域に特化した専門相談員が電話・WEB・対面などさまざまな方法でアドバイス。東証プライム上場の鎌倉新書の100%子会社である株式会社エイジプラスが運営する信頼のサービスです。

鎌倉新書グループサイト