今回は「人体」を真正面からテーマにした2冊を読んでいこう。
2021年のほぼ同時期に刊行された『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)と『人体大全』(新潮社)だ。前者は日本の若き外科医が書き、後者は米国生まれでイギリス在住のノンフィクションライターが書いたもの。いずれも、★4つをつけられるオススメ本だ。
国籍、年齢、職業ともに立場を異にしているふたりだが、飽くなき探究心で「人体」の神秘について、情熱をこめて語っている。
「書店で見かけたけれど、分厚くて敬遠した」という人も多いだろうが、うさんくさくて薄っぺらい健康本やダイエット本を読むより数倍、いや数十倍は有益な2冊である。
ここでは、その魅力のごく一部しか紹介できないが、興味が湧いた人は、是非とも目を留めていただきたい。
Contents
まずは、両書の著者の来歴を紹介しておこう。
2021年8月に刊行された『すばらしい人体』の著者は、2010年に京都大学医学部を卒業した若き消化器外科専門医の山本健人氏(SNSなどでは「外科医けいゆう」として知られている)。彼が開設した医療情報サイト「外科医の視点」は3年間で1000万ページビューを超えるという。
同じ年の9月に刊行された『人体大全』の著者のビル・ブライソン氏は、米国アイオワ州出身でイギリス在住のノンフィクションライター。これまでに『人類が知っていることすべての短い歴史』(新潮文庫)などの著書が翻訳され、日本で出版されている。
私は『人体大全』のほうを先に読んでいて(刊行されて2か月後の2021年11月)、それより2週間ほど前に刊行された『すばらしい人体』は2022年12月、7刷16万部のベストセラーになってから読んだ。
一般的な書籍の場合、「ヒット」と呼べるのは数1000部以上が売れた場合で、「大ヒット」は2万部以上、「ベストセラー」は10万部以上が目安と言われている。
よって、読後1年ほど経ってしまっている『人体大全』に何が書いてあったか、おぼろげにしか覚えていない状態で、『すばらしい人体』を読んだわけだ。
1年前に読んだ本の内容をほぼ忘れているというのは、『人体大全』に限って言えば、仕方のない面がある。総ページが参考文献リストも入れて512ページもあり、「人体」の臓器別、症状別に分かれた23章の内容は、5~10行くらいの、「人体に関するウンチク話」を膨大に積み重ねた構成になっているからだ(長い話でも、せいぜい1~2ページくらい)。
小説を読んで、1年後に登場人物の名前を覚えていないことはよくあることだろうが、全体のストーリーや、自分がそれを読んだとき、どんな感想を持ったかは、容易に思い出せるはずだ。だが、こと『人体大全』のような小ネタ満載のノンフィクション本になると、そうはいかない。
というわけで、今回のブックレビューは、山本氏の『すばらしい人体』を読んで「へぇ~」と思った部分と呼応するネタをブライソン氏の『人体大全』に探してみるという、ちょっと変わった読書法を試してみることにした。
山本氏の『すばらしい人体』の冒頭で語られるのは、人体を構成する「部品」は、それぞれがかなりの重量を持っているということである。引用しよう。
『すばらしい人体』25ページ体重が50キログラムの人であれば、頭は5キログラムほどもある。足は一本あたり約10キログラム、腕も一本4~5キログラムほどあり、意外なほどにずっしり重い。
私たちは日頃、自分の「部品」の重さを自覚することがほとんどない。これほど重いものを毎日「持ち運んでいる」にもかかわらず、意外にもそのことに気づかないのだ。
外科医である山本氏は、手術の際、全身麻酔がかかった人の手足を持ち上げたり、仰向けからうつ伏せに変えたり、術後に手術台から病棟用のベッドに移動する作業を日常的にこなしているが、「決して1人ではできず、4~5人のスタッフが一緒に力を合わせて行う。自分の体は一人で運べるのに、他人の体は一人では到底運べないのだ」と語る。
それに対して、『人体大全』のブライソン氏は、生物の骨の体重比から人体の特徴をクローズアップする。
『人体大全』223ページあらゆる体は、強度と可動性のあいだのどこかに妥協点を見つけている。動物が巨体になればなるほど、骨も大きく頑丈でなくてはならない。だからゾウは13パーセントが骨だが、小さなトガリネズミは骨格に全体のたった4パーセントを当てるだけでいい。ヒトはその中間に位置し、8.5パーセントが骨だ。もしヒトがもっと強い骨格を持っていたら、今ほど俊敏ではいられない。
その代償として人類は、腰痛や膝関節症と付きあわされることになった。もともと4足で体重を支えていた祖先の体を2足で支えることにしたため、脊椎を支え、クッションの役割をする軟骨円板に余分な圧力がかかるようになったのだ。
要するに、腰痛や膝関節症は、人類の原罪なのだ。
『すばらしい人体』は、人体の「触覚」にフォーカスして、その働きを次のように説明していく。
『すばらしい人体』47ページ2本のペン先を体表面に当て、その間の距離を縮めていくと、ある距離から「2点で触られていること」がわからなくなる。2点を判別できる最小の距離を2点弁別閾(べんべついき)と呼ぶ。背中では、なんと4センチメートル離れていないと2点を班別できない。(中略)
なんと、舌は金平糖のような凹凸のあるものを触れても、どんな形なのか正確に感じることができるが、背中だと4センチメートルほど離れていないと2点を1点と混同してしまうというのだ。
続いて、『人体大全』の描写を見ていこう。
『人体大全』33ページ女性は男性より指の触覚感覚がずっと優れているが、もしかすると、単に女性は手が小さく、センサーのネットワークの密度が高いからかもしれない。触覚にはおもしろい面がある。脳は何かをどう感じるかだけではなく、どう感じる「べきか」も伝える。だからこそ、恋人の愛撫はすばらしく感じられても、他人に同じように触れられると気持ち悪かったり、おぞましく感じたりする。自分をくすぐるのがむずかしいのも、同じ理由だ。
人間の皮膚には、触覚だけでなく、熱や圧力などを近くする受容器官があるそうだが、そのなかでも振動に反応する「パチニ小体」は、まったく動いていないも同然の0.00001ミリメートル(10ナノメートル)ほどのかすかな動きを検出できるという。
『すばらしい人体』のおもしろさは、普段、私たちがまったく意識していない人体の奇跡的な働きに気づかせてくれるところだ。
例えば、次の話は大いに笑わされ、そして感心した。
『すばらしい人体』92ページ肛門は、精密機械のようによくできた臓器である。「降りてきたのは固体か液体か気体か」を瞬時に見分け、「気体のときのみ排出する」という高度な選別ができるからだ。固体と液体が同時に降りてきたときは、「固体を直腸内に残したまま気体のみを出す」という芸当もできる。こうしたシステムを人工的につくるのは不可能であろう。
肛門の手術を受けたことのある山本氏の友人は、自身の悩みを「実弾と空砲の区別がつかない」と説明したという。失うことで、それまで受けていた恩恵に気づくというのは、親のありがたみだけではないのだ(親孝行したい時分に親はなし墓に布団は着せられず)。
一方、『人体大全』は、おならを「腸内ガス」という上品な言葉で紹介した上で、次のようなショッキングなエピソードを語っている。
『人体大全』331ページ腸内のすべてのガスが合わさるとかなり爆発しやすくなることは、1978年にフランスのナンシーで、悲劇的な形をもって実証された。外科医が69歳の男性の直腸に電気で熱したワイヤーを通してポリープを焼灼しようとしたところ、爆発が起こって、気の毒な男性をまさにばらばらにしてしまったのだ。(中略)今日では、ほとんどの患者は、二酸化炭素の注入で腹部を膨らませてから腹腔鏡手術や鍵穴手術を受ける。
人間の消化管の長さは、平均的な体格の男性なら約9メートルだそうだが、女性はそれより少し短いと『人体大全』は言う(管組織の表面積を合わせると、約400平方メートル。畳で約241枚分の広さになる)。
一方、『すばらしい人体』のほうでは、男女の違いだけでなく、個人間でも20センチメートルくらいの違いがあるという。こちらは「人体には生存に影響を与えない範囲内で『遊び』がある」と表現している。
『すばらしい人体』の著者の山本氏は医師なので、施術した患者とのエピソードをからめているのがおもしろい。
例えば、全身麻酔を受けた人が、手術室から出て、人と会話できる状態になって戻ってくるのを驚かれることがよくあるとか。医療ドラマなどで、術後の患者が病室のベッドで目覚め、家族と対面するシーンと違っているというのだ。
『すばらしい人体』297ページ全身麻酔については「眠っている間に終わる」と説明されることが多いが、厳密には意識を失うだけで十分というわけではない。「鎮静」「鎮痛」「無動(筋弛緩)」を全身麻酔の3要素という。麻酔中はこれらがすべて維持される必要があるのだ。(中略)
つまり、手術中に行われる全身麻酔は、ただ眠っているのではなく、体の状態を完全に把握した上でおこなわれているのであり、患者は麻酔から醒め、手足を動かしたり、話しかけに応答できたりすることが確認された上で手術室を出るのだ。
『人体大全』は第19章をまるまる「痛み」に割いていて、さまざまな特徴を紹介している。
『人体大全』399ページふさぎ込んだり悩んだりしていると、必ずと言っていいほど痛みの知覚レベルが増す。しかし同じように、快い香りや、心を静めてくれる画像、愉快な音楽、おいしい食物、セックスなどで痛みが和らぐこともある。ある研究によると、思いやりと愛情に満ちたパートナーがそばにいるだけで、報告される喉の痛みは半分に減るという。
オックスフォード大学ジョン・ラドクリフ病院のチームの実験によると、痛みを訴える被験者に何も言わずにモルヒネを投与したところ、鎮痛効果は著しく低下したんだとか。
「痛み」は誰もが嫌がるが、体の不調を自分自身に報せるシグナルの役目を果たしている。そういう意味で、なくてはならないものなのだ。
老衰、心疾患に次いで、日本人の死因ナンバーワンの「がん」についても、両書は新しい知見を与えてくれる。
『すばらしい人体』の山本氏は、肝臓が人体の「物流基地」と呼ばれる由縁を次のように説明する。
『すばらしい人体』98ページがんが他の臓器に転移することを遠隔転移というが、消化器にできたがんの遠隔移転先は、圧倒的に肝臓が多い。例えば、遠隔転移があるステージ4の大腸がんは、その転移先の約半数が肝臓である。胃がんや食道がん、膵臓がんも、転移先としては肝臓が非常に多い。
(中略)
それには実に単純な理由がある。消化器を流れる血液が、その次に向かう主な行き先が肝臓だからだ。
肝臓は、消化器に流れる血液を一手に引き受け、栄養を吸収して、必要なときにエネルギーとして使えるように蓄えているのだ。また、肝臓は食べ物が分解されてできる老廃物を解毒する「浄化装置」の働きもしているという。
『人体大全』にも、消化器のがんについて、興味深い性質が紹介されていた。
『人体大全』329ページ腸に発生するほぼすべてのがんは大腸に見られ、小腸にはまず見られない。なぜなのかはっきりとはわからないが、多くの研究者は、大腸におびただしい数の細菌がいるせいではないかと考えている。オランダのユトレヒト大学のハンス・クレヴァース教授は、食生活に関連していると考える。「マウスは小腸にがんができるが、大腸にはできない」とクレヴァースは言う。「しかし、欧米風の食事を与えると逆になる」。欧米に移り住んで欧米風のライフスタイルを送るようになった日本人にも、同様の現象が現れる。胃がんより、大腸がんにかかりやすくなるのだ。
とにかく、この2冊を取っ替え引っ替えして読み比べてわかったことは、人体というのが不可解なほどに「よくできている」という事実だ。
そのことを思い出すために、この両書を座右の書として本棚の手の届くところに置いておくことにしよう。
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