今回紹介するのは、第10回小林秀雄賞を受賞した『ご先祖様はどちら様』をはじめ、ドラマ化もされた『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』(いずれも新潮社)などの傑作ルポで知られる髙橋秀実氏の最新刊である。
ヒデミネ氏の作品リストのなかには、自らの日常を題材にしたものも多い。カナヅチを克服すべく水泳教室に通う日々を綴った『はい、泳げません』、妻とともにダイエットに奮闘努力する『やせれば美人』(いずれも新潮社)など、自らの体験をユーモラスに語った抱腹絶倒の「自分ルポ」は、どれも傑作だ。
『おやじはニーチェ』も、認知症になった父と過ごした436日の日々を題材にしているという点でその系譜に入る作品だが、他の作品と比べてちょっと重苦しい雰囲気があるように感じた。認知症介護には、ユーモアだけで語れない、シリアスな面があるからなのかもしれない。
とはいえ、この作品がおもしろくないのかというと、そうではない。それどころか、認知症に新たな視点を得られる有意義な書だとも言える。ところどころで発揮されるヒデミネ節をたどりながら、本の内容をレビューしていこう。
ヒデミネ氏が父の認知症を意識したのは、母が急逝したことがきっかけだった。引用しよう。
以前から父は同じ話を何度も繰り返していた。最近の出来事も丸ごと忘れており、忘れたことも忘れているようで私は「大丈夫なのか?」と心配していたのだが、母は「大丈夫よ」の一点張りだった。つまり不都合のないように都合をつけて生活していた。私たち息子夫婦の生活を阻害せず、不都合をかけまいと頑張っていたのだ。
ところが母は急性大動脈解離で突然この世を去った。87歳だった父は取り残され、すべてが不都合になった。母の不在で露わになった認知症というべきか。
介護は、ある日突然、必要が生じて、それがゆえに家族は何ひとつ準備をしていない状況から介護を実行しなければならない。
ただ、ヒデミネ氏の場合、父親は身体的には健康なので、食事や排泄、衣類の着脱といった「生活介助」の必要性は薄い。実際に彼は地域のケアマネジャーの小暮さん(仮名)から、「受けられる介護サービスって、あんまりないんですよね」と告げられる。
ケアマネジャーの小暮さんも残念そうにそう言った。父はすでに区役所から「要介護3」の認定を受けており、私は小暮さんと「居宅介護支援」の契約を済ませていた。彼を通じて様々な介護サービスを受ける予定だったのだが、「お父さんの場合はちょっと……」とのことなのである。例えば、認知症の介護でよく利用される「デイサービス」。車で迎えに来てくれて父をしばらく預かってくれるというサービスなのだが、おそらく父はひとりでは車に乗らないだろう。無理やり乗せようとすれば「なんでだ!」と怒号をあげるので私が同行しなければならず、途中で「帰る!」と言い出さないようにデイサービスの施設でも付き添うことになる。ずっと付き添うのではデイサービスの意味がないのだ。
同じような困難は「特別養護老人ホーム」への入居にも言えて、満杯で数百人が待機しているという施設において、要介護の緊急性が高いヒデミネ氏の父の入居はすぐに認められるというが、入所すれば「なんでだ!」「帰る!」などと言い出して勝手に施設から出ていってしまう人は再入所がむずかしくなるというのだ。
そこでケアマネジャーから提案されたのは、月に2万円ほどの自己負担で、家に緊急通報用の電話が設置され、ヘルパーが1日に何度も家に来てくれる「定期巡回・臨時対応型訪問介護看護」だった。
とはいえ、身のまわりの世話の一切を引き受けていた母の家で父ひとりを置いていくわけにはいかない。ヒデミネ氏は妻とともに、実家で父との同居生活を始めることになる。
ヒデミネ氏は、認知症の父がどのような世界に生きているのかを知ろうとして、さまざまな会話を試みる。
例えば、自分はなぜいまここにいるのか、ここはいったいどこで、いまはいったいいつなのか?という、医療介護用語で見当識と呼ばれる能力をテストするつもりで「ところでさ、俺たちが今いるところはどこ?」と質問する。そこで以下のような会話が交わされる。棒線以下のセリフがヒデミネ氏の発言で、カッコ内が父のセリフである。
「どこが?」
父はそう問い返した。
――どこがって、ここが。
私は床を指差した。
「ここがどこかって?」
そう、ここはどこ?
「どこが?」
――ここが。
「どこ?」
――いや、だからここ。
「だからここってどこだ?」
――だからここじゃなくて、ここ。
「どこ?」
――ここ。
「ここってどこだ?」
このように会話は堂々めぐりをしてヒデミネ氏を混乱させる。
記憶力をテストしようとして、「今日は何をしてたの?」と質問したり、自分が認知症であるという病識があるかどうかを知ろうとして、「認知症って知ってる?」と聞いても同じような結果になる。
頭を抱えたヒデミネ氏が助けを求めたのが、古今東西の哲学思想である。
例えば、「万物は永久に回帰し、われわれ自身もそれとともに回帰する」というフリードリッヒ・ニーチェの「永遠回帰」の考えと照らし合わせて、記憶力を失うということをこう解釈する。
私たちは忘れるから幸福になれる。失敗を忘れるから夢や希望も抱けるし、忘れるから現在を感じられるという。すべてのことをそのまますべて記憶していたら、それこそ自縄自縛の境遇に陥って前に進めない。経験が記憶によって生まれるのであれば、記憶を消去することで初めて新しい現実と出会えるのだ。
ありがたき忘却力ということか。
このように、哲学思想が認知症理解に新たな視点を当てるのである。ヒデミネ氏は学生時代から「哲学」というものに馴染めず、嫌悪感すら抱いていたそうだが、認知症理解のツールと考えた途端、すらすらと理解できるようになったという。
そこで介護のかたわら、プラトンやアリストテレス、デカルト、ニーチェ、サルトル、ベルクソン、西田幾多郎、九鬼周造などの哲学書を読みふけったというが、それが認知症理解の助けになったにせよ、介護の大変さ、つらさから逃れられるわけではなかった。
ある日、「『存在』とか言ってる場合じゃないでしょ」と妻に指摘され、うろたえるヒデミネ氏。父と24時間休みなく向き合うなか、仕事もできずに経済的にも追いつめられた彼は、父との別居を決意せざるを得なくなるのである。
別居したとはいえ、介護から完全に解放されるわけではない。クルマで40分の場所にある実家と自宅を往復しながらの介護は続いていく。
自分のことを「息子」として認識せず、「社長」とか「お兄ちゃん」とか、「旦那」などと呼ぶ父との対話を続けていく。そして、哲学の視点からの認知症理解に取り組む。「あとがき」で自身が告白しているように、それが「日常生活の逃避行」であると自覚しながらも。
こうした終わりの見えない介護生活は、父が「末期の胃がん」におかされていたことが発覚して急展開を見せる。
病院は介護施設ではないので、治療が終了すれば退院を迫られるが、医療ソーシャルワーカーと相談しながら父の処遇を決めなければならない。終末期医療専門のホスピス病院や有料老人ホームもあるが、どこも待機人数が多く、いつ入所できるかわからない。
幸いなことに「認知症があると転院はむずかしい」と言われていた緩和ケア病棟に移ることができたのだが、それ以前に入所を打診した小規模介護施設からは「早く決めないとすぐに埋まっちゃうわよ。行くとこなくて困ってるんでしょ」と姥捨山のような対応をされて閉口したという。
それでもヒデミネ氏は、最後まで父との対話を繰り返し、それをメモして記録していく。
そして、自分のことを28歳だと思っていて、緩和ケア病棟の部屋に同室している自分を女性だと勘違いして口説いてくる父と、ビデミネ氏は実に感動的な会話をするのである。
この場面は、是非とも本書を手にとって読んで欲しい。ことさら感動を演出するかのようにして書かれてはいないが、私は大いに心を動かされた。
本書は「認知症とは何か?」ということについて、ヒデミネ氏が真摯に向き合った記録として読めるが、そこに明確な解答があるわけではない。というか、明確な解答などないというのが、ある意味での結論なのかもしれない。
少なくとも、認知症を知る上で、本書は新たな視点を与えてくれる書であることに間違いはないだろう。
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