戦争や災害といったショッキングな状況におかれて国民が思考停止になった隙を突いて、過激な新自由主義政策を猛スピードで導入する手法のことを「ショック・ドクトリン」と言う。
2007年に出版されたカナダの女性ジャーナリスト、ナオミ・クラインの著書は、20023年6月からNHK Eテレ「100分de名著」にて特集される。そして、その指南役をつとめるのは、『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)などの著者として知られる堤未果さんだ。
そこで今回は、堤さんの最新刊『堤未果のショック・ドクトリン』(幻冬舎新書)の内容をもとに、日本政府およびグローバル企業がコロナ禍で日本社会に種を撒いた「ショック・ドクトリン」の正体を探ってみよう。
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―まずは堤さんとアメリカという国との出会いのきっかけについて、お話してくださいませんか?
母方の祖母が日系アメリカ人と結婚したこともあって、アメリカにはたくさんの親類縁者が住んでいるんです。1ドル340円だったころから度々遊びにいっていて、子どものころからフライドポテトとコーンフレークが大好物でした(笑)。
カリフォルニアの大学に進学したのは、演劇を学びたかったからなんですが、そこでの日々があまりに楽しくて、勉強はそっちのけに。西海岸の開放的な風土が私をそうさせているのかもしれないと思いなおして、ニューヨーク市立大学の大学院に編入して国際関係論学科を専攻したんです。それがきっかけで、卒業後は国際連合(国連)の婦人開発基金(UNIFEM)で働くことになりました。
―なぜ、最初の就職口を国連にしたんですか?
あの頃、世界を戦争のない場所にしたいという理想に燃えていて、国連が憧れだったんです。刺激的な多文化暮らしが好きだったので、アメリカで永住権を取得して日本には一生戻らないつもりでいました。
国連というと、世界の国を結ぶ国際機構ですから、とてつもなく大きな組織をイメージしがちだと思いますが、そこでの仕事の印象は、ひと言でいえば「お役所的」。
人の名前を書いたり、呼んだりするとき、ドクター(博士)という肩書きを省略するだけで大喧嘩が起こったり、目に見えないルールがたくさんあるのを感じました。
しかも、何か物事を決めようとすると、メンバーである国同士の利害が衝突して、なかなか前に進ない。
もちろん、仕事そのものは人権を守ったり、飢餓や戦争に苦しむ人たちを救う意義のある仕事なので、やりがいがあることは確かなんですが、お役所的なルールに縛られるたびにストレスを感じていました。
―そこで、非政府組織(NGO)のアムネスティインターナショナルに転職するわけですね?
そうです。NGOだから、国の政治的利害に関係なく人を救う仕事ができるに違いないと思ったんですが、またもや壁にぶつかってしまいました。それは、「お金」の壁です。
活動資金があまりに少なくて、コピー機が古くなっても「修理して使い続けるか、それとも新調するか?」で長い議論が始まるんです。その間、世界中で命の危機にさらされている人が大勢いるというのに。
世界は「お金」の論理で動いている。その事実を突きつけられて、理想とのギャップに悩まされていた頃、タイミングよく米国野村證券に転職するチャンスがめぐってきたんです。
―国連からNGOを経て、ウォール街で働くようになったわけですね。後に堤さんはウォール街を、「今だけカネだけ自分だけ」という論理が支配する場として批判することになるわけですが、そこでの仕事は、いかがでしたか?
仕事が進まないストレスは、なくなりましたね。ウォール街は、理想と現実のギャップが皆無な世界だったんです。ここでは、「お金」がすべての価値の基準で、儲かることが「善」で、損をすることが「悪」。白黒がはっきりしているんです。だから、物事が動いていくスピードがすごく速くて、なんて働きやすいところなんだろうと感心しました。
構成メンバーのヒエラルキーも、はっきりしていました。上層階にいる人は最前線でお金を動かしているエリートたちで美男美女、高級なスーツに身を包んでいつもスタイリッシュです。一方、下の階のバックオフィスには、甘いもの大好きなとても太っている人や、年をとった人が多く、上階のトレーダー達に「イケてない階」などと呼ばれていました。
当時の同僚たちには、「40歳まで必死で働いてお金を貯めて、その後はリタイアして悠々自適に暮らす」ということを目標にしている人たちが多くいました。そんな彼らの勢いに押され、おいていかれないよう懸命に働き始めた矢先に9.11同時多発テロが起きたんです。
―米国野村證券のオフィスは、テロで崩壊したワールドトレードセンターの隣のビルにあったそうですね。どんな状況だったんですか?
私のデスクは、窓からちょうどワールドトレードセンターが見える位置でした。航空機が突っ込んだ瞬間はものすごい音がして、その後、震度6くらいの地震かと思うくらいに建物が揺れて、ハイヒールで立っていられずに床に投げ出されたのを覚えています。
証券会社の四方の壁には、株価を表示する液晶TVのモニターがついているんですが、この時、全部の画面がいっせいに消えて、部屋が急に暗くなりました。とんでもないことが起こっている、ということはわかるんだけど、その全貌を把握するだけの情報がまったくありません。
毎日、秒単位で情報を手に入れる職場で、情報が遮断されるとすごく怖いんです。同僚たちも同じ状態で、皆パニックを起こして階段に殺到し、悲鳴が上がっていました。
―テロ発生後のアメリカ社会には、どんな変化がありましたか?
それはもう、一夜にして恐ろしい変化でした。テレビをつけると、どのチャンネルも画面の下に「アメリカは負けない。テロリストになど屈しない」「対テロ戦争!」などという不気味な言葉がつねに表示され、人々の恐怖感を鎮めるよりも、逆にテロの恐怖を煽り、敵に対して団結させるような、怖い報道が、連日流され続けたのです。
最初のころは、「テロとの闘い」に疑問を投げかけるキャスターやコメンテーターもいたんです。でも、そういう人たちが次々と降板になり、「武器評論家」なる専門家が何人も登場し、「テロリストが次に狙うのはニューヨーク、ニュージャージー、コネチカットの3州だ」などと、根拠のない憶測をもとに、毎日のようにアメリカ国民を脅していました。
会社のIT部門の同僚がこっそり教えてくれたことによると、ネットの世界も同じような状況だったようです。「テロとかきわどい単語を検索したり、政府の方針と異なる意見を書き込みしたりすると、アカウントを凍結される事例が発生している」とのことでした。
―まるで戦時下のような情報統制が行われたのですね?
はい。私はテロのPTSDも出て、不安でいっぱいの毎日でした。そしてアメリカ議会で「愛国者法(Patriot. Act)」が可決したニュースを見た時、恐怖がピークに達したのです。
この法律は簡単に言えば、国民の通話記録の収集をはじめ、当局に治安を理由に国内のすみずみまで監視する権限を与える法律です。かつて大正時代の日本で、左翼勢力を押さえ込むために制定された「治安維持法」を思わせる内容に、ゾッとしました。
この法律ができてからたった数ヶ月で、私が住んでいたニューヨーク市内に2000台、全米で3000万台の監視カメラが、瞬く間に設置されてしまったんです。
―今では自宅のまわりに「防災カメラ」を設置したり、「ドライブレコーダー」を搭載した自動車が人気を呼んでいますが、「監視カメラ」はそれとは別の目的で設置されたのですね?
自宅の防犯カメラのように、こちらが他者を監視するのではなく、この監視カメラは政府が私たち住民をチェックするのです。
ニューヨークの街路には、5メートルおきにカメラが設置されましたし、ニューヨーク市警察(NYPD)の警察官が制服の胸に掲げている星形の紋章にも「監視カメラ」が埋め込まれたのです。「治安を守る」という言葉の下に、プライバシーという言葉は消滅しました。
当時の政府発表では、こうした動きはテロリストから国民を防衛するためとされ、テレビに不安を煽られていた私たちも疑問を持たなかったのですが、実は監視されているのはテロリストよりアメリカ国民の方だったことを知るのは、それからずっと後のことでした。
―そんなアメリカ社会の恐ろしい変化を知って、堤さんはどう感じましたか?
大好きだった恋人の、邪悪なウラの顔を見てしまったような気分でした。自分自身のことさえ信用できなくなり、先が見えなくなって、泣く泣く日本に帰る決意をしました。
―9.11をきっかけにジャーナリストになることは堤さんにとって、自然な流れだったんですね。
そうですね。メディアが横並びに戦争を煽る報道しかしなくなり、みな監視を恐れて自由にモノを言わなくなった時、真実を知るには待っていてもダメだ、自分の足で出かけて行って、当事者に話を聞くしかない、と思ったからです。
2002年、ブッシュ政権が「落ちこぼれゼロ法(No Child Left Behind Act)」という法律を可決しました。この法律は、表向きは教育改革ですが、内容を読むとさりげなくこんな一項があるんです。
「全米すべての高校は、生徒の個人情報を軍のリクルーターに提出すること。もし拒否したら助成金をカットする」
ひどいでしょう?そこで私は、学校から個人情報を手に入れた軍からリクルートされた高校生たちや、軍のリクルーター側にも会って話を聞きました。
そのなかには、血も涙もない悪魔のような人はひとりもいませんでした。かわりに見えてきたのは、「民営化された戦争」という国家レベルの貧困ビジネスと、それを回してゆくために社会の底辺に落とされた人間が大量に消費される、世にも恐ろしい「経済徴兵制」という仕組みでした。
―弱者が食いものにされ、一部の強者が富を独占していくというアメリカ社会の闇を告発した堤さんの初期の著作『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)には、そのときのことが克明に書かれていますね。
はい。私がその本を書いたのは2007年ですが、同じ年、ナオミ・クラインというカナダ人の女性ジャーナリストが『ショック・ドクトリン』という本を出版したんです。
ショック・ドクトリンとは、テロや戦争、自然災害、金融危機、それから感染症のパンデミックといったショッキングなことが起きて国民が思考停止になった隙を突き、普通なら炎上しかねない新自由主義政策(規制緩和、民営化、社会保障切り捨ての3本柱)を猛スピードでねじ込み、政府とお友だち企業を大儲けさせるドクトリン(基本原則)のこと。
―9.11でも、政府と企業はショック・ドクトリンを用いて、アメリカ社会を都合のいいように作り替えたわけですね?
はい。ショック・ドクトリンは、「猛スピードですばやく実行する」が大前提。国民がショックから醒めてその恐ろしい仕組みに気づく前に、法律を変えてしまうのです。
そう考えてみると、9.11のときにあらゆる情報が統制され、ショックを煽りたてるような報道一色になった状況も辻褄が合いました。
「愛国者法」の法案は、プリントアウトすると何ページになると思いますか? なんと342ページという凄まじい分量だったのです。
アメリカの国会議員、特に下院議員は党議拘束がなく、投票してくれた選挙区にマイナスになる法案を通せば、政治家生命が危うくなる。だから通常法案の賛否はよく読んで慎重に決めるのですが、さすがに電話帳並の厚さの書類を1日で検証するのは不可能です。
だからこそ政府はそれを計算にいれて、大量の法案を配布して、即採決を迫ったのです。
元民主党議員のデニス・ジョン・クシニッチ氏は、このときのことをふり返って、こう言っていました。「あのときの議会にはいつもと違う空気が充満していた。この法案に賛成しない? ならばお前もテロリストだ、と言わんばかりの空気がね」と。
―ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』という本は、そうした恐ろしい仕組みを堤さんに教えてくれたわけですね。
9.11以降、「何かおかしいぞ」と思っていたことの点と点が結びつき、それらがひとつの線になって全体像が見えてきた。それまで気づかなかった、全く新しい視点でした。
『ショック・ドクトリン』の原著がアメリカで出版されたのは2007年でしたが、その4年後の2011年9月に日本語訳『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(岩波書店)が出版されました。
岩波書店にその帯の推薦文を依頼された私は、躊躇なくこう書いたのです。
「3.11以後の日本は、確実に次の標的になる」と。
そう、ショック・ドクトリンは海外だけで起こっていることではなく、日本でも起こっているのです。
―3.11で行われたショック・ドクトリンは、どのようなものだったのですか?
3.11の日本で起きたのは、地震・津波に加え、人類史上最悪の原発事故というまさにダブルショックでした。
自然災害は標的になりやすい。あの時被災した宮城県の復興推進メンバーを見ると、政権与党で規制改革の旗を振る大学教授や外資系シンクタンク、大企業トップがズラリと顔を揃えていましたね。あれはどう見ても復興というより、「ショック・ドクトリン実行委員会」でした。
このように、組織の中心にショック・ドクトリンを実行するメンバーを送り込む手法は「回転ドア」と呼ばれます。政策決定の内部に入り込み、自分の関係企業に都合の良い計画にして、受注してからまたドアを潜って元の職場に戻って出世する。こうやって「お金と人事」をチェックすると、ショック・ドクトリンの輪郭がはっきりと見えてくるのです。
彼らの手によって、漁業や水道や空港の民営化を始め、外国企業の誘致といった、平時には反発が起きるような過激な政策の数々が、障害もなくスピーディに行われてゆきました。
2021年に日本で初めて上水道、下水道、工業用水の9事業をまとめた運営権が県から企業に売却されましたが、この動きは3.11のショック・ドクトリンがなければ成立しなかったでしょう。海を使う漁業権も外資に解放されて、外国企業がどんどん参入しています。
―お、恐ろしいですね…。
私が特に問題視したのは、再生可能エネルギー制度の強引な導入です。
通常の電気の4倍も高い買い取り価格を設定した結果、再エネ市場に国内外からドッと参入者がやってきました。初期の高い報酬はずっと変わらない上に、コストは私たちが払う電気代に上乗せされるので、環境保護よりむしろ美味しい投資商品になってしまっています。
それから、発電量1000キロワットの「メガソーラー」と呼ばれる巨大パネル事業は、あちこちで大雨のたびに土砂崩れなどの深刻な防災リスクと環境問題を引き起こしています。
本来、環境を守るために行ったはずの再エネ事業が、命の危険や環境破壊を引き起こしているという、なんともおかしな状況になっているのです。
つけ加えるなら、2012年に消費税率を5%から10%に引きあげる関連法案が成立したのも、2013年に環太平洋パートナーシップ(TPP)への加盟が決定したのも、あの大震災の衝撃下が続くどさくさの中、情報も知らされずまともな国会審議もないままに速やかに行われた、日本版ショック・ドクトリンだったと言えるでしょう。
―先ほど、「お金と人事」をチェックするとショック・ドクトリンの輪郭が見えてくるという話がありましたが、ジャーナリズムの素人にはむずかしそうです。ほかに方法はありませんか?
確かに「あれ? おかしいぞ」と気づくには、たくさんの情報を集めて、それを客観的な目で精査する必要がありますよね。にもかかわらず、「政府は悪いに違いない」という結論ありきで情報を見てしまうと、根拠のない陰謀論に陥って、誤った判断に導かれてしまうので、注意が必要です。
そうならないためには、「二元論でものを見ない」ということが重要です。二元論とは、白か黒か? 善か悪か? という論理で物事を理解しようとする見方です。
何故なら私が9.11のときに経験したように、善と悪は為政者の都合で簡単に入れ替わることがあるからです。
―具体的には、どんな風に物事を見ればいいのですか?
政府の方針や、世の中の流れが「こちらかこちらのどちらか一つ」と、二者択一で判断を急かしてくる時が、まさに「おかしいぞ?」のポイントなんです。
例えば、コロナ禍においては、「学校は閉鎖するか、それともリモート授業にするか、選択肢はどちらか一つだけ」という空気がありました。でも、よくよく考えてみれば、密を防ぎながら野外の校庭で授業をする選択肢だって、ありましたよね?
「これからの自動車はEV車のみにする」という世の中の流れにも、疑問を持つべきです。
EV車はCMを見ると何だか環境に優しそう。でも実は太陽光パネルと同様に廃棄する時に環境を汚染するし、製造の過程ではガソリン車と同じように多くのCO2を排出するのです。
―選択肢が少ないときほど、「あれ? おかしいぞ」と疑問を持つことの重要性がよくわかるような気がします。
にもかかわらず、今の世の中は「分断」が進んでいます。リベラルと保守、右と左の二極化が進み、かつてどちらの勢力側にもいた「中道派」と呼ばれる層が薄くなっています。
つまり白と黒の間のグレーの部分が見えにくくなっているのが、今の世の中なんです。
これはすごく危ないことで、ショック・ドクトリンを仕掛けやすい環境になってしまっている。知らぬ間に大事なものを奪われないためには、差し出された2択から選ばずに、一旦立ち止まって注意深く物事を判断するようにしましょう。
―堤さんの最新刊『堤未果のショック・ドクトリン』(幻冬舎新書)は、2015年10月に住民票を持つすべての日本国民に番号が通知され、2016年1月から始まった特定個人識別番号(マイナンバー)制度の危うさについて、多くのページを割いています。あらためて解説していただけませんか?
そもそもこの制度は、2002年に導入された住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)の利権を引き継ぐ形で導入されたものです。その名目は、「住民情報を全国市区町村で共有することで行政サービスを便利に届ける」というものでした。
住基ネットがその後、14年間で2000億円もの税金が投入されながら、普及率はたった5.5%に終わったことを覚えている人が、果たしてどれだけいるでしょう?
ただし、2016年にマイナンバーと名前を変えても、国民には不評でした。特に便利になるわけでもなく、当時の世論調査では78%の国民が「不安を感じる」と回答し、やはり普及は進まなかったのです。
そんななかやってきたのが2020年に中国の武漢市で最初に報告され、またたく間に世界に広がった新型コロナウイルスのパンデミックショックです。
―このときもまた、ショック・ドクトリンが仕掛けられたのですね?
そうなんです。世界規模のショックですからまさにどさくさの中で不評だった政策を捩じ込んでしまうチャンスでした。2021年9月に、5000億円近い巨額な予算をつけたデジタル庁が、よくわからないままに発足したことを思い出してください。
その翌月10月には、河野太郎デジタル大臣が「2024年秋に紙の健康保険証を原則撤廃して、マイナンバーカードに一本化する」と発表し、お医者様たちを筆頭に日本中が「そんなこと聞いてない!」と激震しましたよね?
そもそもマイナンバーカードは、「身分証明書やワクチン接種証明書として使える」、「コンビニで住民票の写しや戸籍証明書が簡単に取れる」、「給付金の振り込みも早くなる」といったメリットが強調されて登場したものでした。
でもコロナのどさくさで、「あったら便利」だったものが、「ないと生活できません」に、するりと入れ替わってしまった。まさに、国民から選択肢を奪う施策が実行されたのです。
―厚生労働省は5月12日、マイナカードと保険証を一体化した「マイナ保険証」をめぐり、別人の情報を間違って本人の情報に紐づける「誤登録」が見つかったと発表しました。その数は、2021年10月から2022年11月までの1年2カ月間に7000件以上に及ぶといいます。「マイナ保険証」には、かなりの問題がありそうですね。
最重要個人情報が入るマイナンバーが他人の口座と紐づけられるなど、ありえないミスです。そもそも私たちの大事なデータを守る最大の対策は、ITの専門家でなくても、ちょっと考えればわかりますよね。私も学生時代から、母にいつも言われていました。
それは、大事な情報を、決して1ヵ所にまとめないことです。
日本には納税者番号があり、健康保険証があり、運転免許証があり、今のままで特に不自由はありません。セキュリティの脆弱性と必要性のなさを考えると、ここまでしてマイナカードを国民に作らせなければならない理由は何なのか、と疑問を感じませんか?
ショック・ドクトリンを読み解くときには、「それがあるとできること」ではなく、「それがないとできないことに」目を向けてみてください。
マイナンバーがないと、行政ができないことは何か?それは、国民の情報をリアルタイムで把握すること、です。
身分証明書と保険証がマイナンバーカード一本になれば、銀行の口座開設だけでなく、不動産や株式の売買、病院で診察を受けるときにはマイナンバーカードの提示が必要になります。こうして国民の金融資産や健康状態などの情報を把握すれば、色々な意味で国民をコントロールすることが簡単にできるようになります。
中国では、たとえば赤信号を渡った瞬間個人の評価が下がる「信用スコア」制度があり、総合点が低くなると公共交通に乗れなくなったり、ホテルの予約もできなくなりますが、日本も他人事ではありません。
政府はすでに、スマートフォンにマイナンバー機能を搭載した「マイナスマホ」を普及させようとしていますが、これが実現すれば、買い物や公共交通機関など、国民の日常の行動も政府が把握できるようになるからです。
―「マイナ保険証」が法律で義務化されれば、私たち国民は抵抗できなくなるのでしょうか?
そんなことはありません。そもそも「マイナ保険の義務化」は、国民の生存権を定めた憲法25条に反することですから、完全に義務化するのは不可能です。
その証拠に、政府はマイナンバーカードを持たない人でも保険診療を受けられ制度を設けています。「資格確認書」という書類を取得すれば、それが保険証の代わりとなるのです。
当初は有料化も検討されましたが、「懲罰的にお金を取るのはおかしい」との反対の声が上がって無料で発行されることになりました。
今の政府なら、大事な個人情報を預けても安心!という人はいいですが、ちょっとまだ不安なら、少なくとも安心できるようになるまでは、ポイントに釣られて飛び付かず、様子見でもう少し待つことをお勧めします。
―『堤未果のショック・ドクトリン』には、こんな一文があります。「デジタルとアナログ、キャッシュレスと現金、紙の保険証とお薬手帳は選択制にして、個人情報という大事な資産についてのコントロール権を手放さないことが大事です」と。リスクを分散することは、現代社会を生きる上でますます重要になってきそうですね。
はい。まさにその通りです。実は、日本のマイナンバーのような、ここまで多くの個人情報が一元化された制度は、他の先進国にはないんです。アメリカにも共通番号制度はありますが、取得するかどうかは個人の自由。どこの国もなりすましやハッキングに悩まされ、一進一退の状況なんですね。だから日本も、焦って進めることはないんですよ。
9.11のショック・ドクトリンの後でも、こんなことが起こりました。
猛スピードで国中に監視体制が敷かれるなか、調子に乗ったブッシュ政権は、国民共通番号に他の多くの情報と紐づけた上に、顔写真つきの運転免許証と一体化させる「個人IDカード法」を強行しようとしたのです。
―日本の「マイナ保険証」によく似た施策ですね?
当然、「政府に管理されること=共産主義」というアレルギー意識の強いアメリカ国民は、これに猛反発しました。
高速道路の出入り口で、運転免許証の代わりに個人IDカードを提示するという指示を無視して、それまで通り運転免許証を出したのです。1人、2人ならまだしも、10人、20人とみんなが同じことをしたので、罰金をとろうにも警察の手が足りずに取り締まることができなくなったのです。
結局、「個人IDカード法」は法律として成立したものの、塩漬けにされたままになってしまいました。
―選挙で一票を投じる以外にも、国民が政府にNOを突きつけることはできるのですね。
はい、もちろんです。一人ひとりの小さな行動はささやかに見えても、どんどん増えて束になってうねりになってゆくと、いつの間にか大きな力になるんですよ。
マイナンバーカードについても、同じことが言えます。繰り返しますが、マイナンバーのセキュリティ体制や個人情報保護、透明性がしっかりするまで、カードを作らない、使わないという行動は、立派な意志表示になるからです。
ちなみに、デジタル庁は行政手続きのオンライン窓口として「マイポータル」というサービスを提供していますが、その利用規約の一項目にこんな文章があるのをご存知ですか?
(免責事項)
第26条 マイナポータルの利用に当たり、利用者本人又は第三者が被った損害について、デジタル庁の故意又は重過失によるものである場合を除き、デジタル庁は責任を負わないものとします。
出処:マイナポータル利用規約
わかりますか? あなたが被害に遭っても、誰も責任は取ってくれません。こんな免責事項があるうちは、マイナンバーカードを使うのは危険過ぎますよね。
―興味深いお話、ありがとうございます。最後にこの記事を読んでいる人たちにメッセージをいただけませんか?
世界全体を動かしているシステムの前で、個人の力はあまりにも小さく思えるかもしれませんが、私たち1人ひとりが、何が起こっているかを知り、守るべきものを決め、ゲームのルールを知ったら必ず変わります。
自分の頭で考え、意志を持つ国民は簡単に騙せないからです。自分や家族、子供たちを守りましょう。私の本を読み「未来はまだ自分たちで選べる」と一人でも多くの読者が思ってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。
撮影/桑原克典(TFK)
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