ソフトバンクグループ代表の孫正義氏の弟で、実業家の孫泰蔵氏が著した『冒険の書 AI時代のアンラーニング』(日経BP社)が注目されている。
書店に行けば、飾り棚のいちばんいいところに表紙を前にして陳列されている(書店用語で「面陳(めんちん)」というらしい)のを見た人も多いだろう。
世間で話題になっていることを知るのは、書評を書く者の義務である。さっそく手にとって、学びの世界を旅してみよう。
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とにかく、著者のプロフィールを読むだけで、初耳なことだからである。
孫正義氏に同業ともいえる起業家の弟いるなんてことは知らなかったし(しかも見た目もそっくり)、泰蔵氏が連続起業家を名乗っていて、それがシリアルアントレプレナー、すなわち生涯にわたり新規事業を立ち上げるような起業家を指すということも知らなかった。
なかでも、本書の副題に出てくる「アンラーニング」という言葉についても、まったくの初耳だった。泰蔵氏によれば、それは次のようなことのようだ。引用しよう。
アンラーニングとは、自分が身につけてきた価値観や常識などをいったん捨て去り、あらためて根本から問い直し、そのうえで新たな学びにとりくみ、すべてを組み替えるという「学びほぐし」の態度をいいます。
日本語にすると「学びほぐし」のほかに「学習棄却」ともいうそうで、なんだか過激でパンクな思想のような印象を受けるが、テクノロジーやAIなどが社会に浸透していくなか、これまでの知見を問い直して、新たな時代にマッチしたものにアップデートしていこうという考えのようだ。
プロフィールによると、泰蔵氏は2016年から「子どもに創造的な学びの環境を提供するグローバル・コミュニティであるVIVITAを創業」しており、おそらくその関係で子どもの教育について、アンラーニングの手法を用いて深く考えた結果がこの本に結実したようだ。
本書における泰蔵氏の思考法は、ひとつの概念について、「そもそもこれってなんでこうなっているの?」という問いを立て、さまざまな文献をあさりながらその概念の成立のいきさつを探るところからスタートする。
例えば「学校ってなに?」という問いについては、1658年に百科事典のルーツとなった『世界図絵』を著したヨハン・アモス・コメニウスの思想や、『リヴァイアサン』(1651)のトマス・ホッブズの思想、19世紀末にパノプティコンという完璧な監獄を設計したジェレミ・ベンサムの思想などを巡り歩いたあと、社会評論家のイヴァン・イリイチの著書『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫)を引用して、学校が次の3つの目的を合体させてできたものだと結論する。
このように「技能訓練」と「人間形成」という性質の違う目的を無理やり結合してしまったために「成績が優秀な人のほうが、悪い人よりえらい」という間違った上下関係が生まれてしまったのだと指摘する。
そして、学校で生まれたこのような考え方が社会全体に広がった結果、「専門家のほうがシロウトよりもえらい」という常識ができあがり、人々は自分の頭で考えることをやめて専門家がつくった制度にどっぷりと依存する社会ができあがってしまったのだという。
泰蔵氏の探求はさらに続く。「学校のクラスってなんでこうなってるの?」という問いは、イギリスの教育者のサミュエル・ウィルダーが開発した「ギャラリー方式」というものに行き着く。これは、階段状の座席に数十人の生徒が座り、正面にいる教師からいっせいに授業を受ける教育法のこと。
1862年にイギリス政府が生徒の出席日数や学力などに応じて、これを取り入れた学校に補助金を出す制度を施行させて、いっきに広まったというのだ。
同じ年齢の子どもたちでクラスをつくる「学年制(grade system)」の誕生である。
150以上も前につくられた教育システムを、21世紀になった今でも採用しているのはなぜ? 大人と子どもが一緒に学ぶ場があってもいいんじゃないか?という疑問がおのずと浮かぶ。
そこで泰蔵氏は、次のようなビックリするような説を唱えるのである。
いっそのこと、子どもたちに基礎を教える学校」とされている 「小学校」や「中学校」も、やめてしまえばいいと思います。なぜなら、それが最初の大きな「仕切り」だからです。
「小学校や中学校をやめる」とはどういうことか。もちろん、ただそれらをなくしてしまえばそれでいい、という意味ではありません。僕が行きついた新しいアイデア、それは現在の小中学校をやめて、そのかわりに新しく「初心者のための学びの場」をつくるというものです。子どもも大人も関係なく、同じテーマに興味がある「初心者」が誰でも一緒に楽しく学べる場をイメージしています。
そして、「技能の訓練」や「立派な大人をつくる」など、これまで学校に求められてきた目的を、私たちが学校に求めるのをやめてしまうのです。すなわち、学校にかけられている 「呪い」を解いてあげるのです。
この部分だけ読むと、過激なアナーキストが書いた文章のように見えるかもしれないが、「そもそも学校ってなに?」「クラスってなんでできたの?」という問いへの旅を経験した者にとって、その主張は実に説得力をもって心に響いてくるのである。
本書の終盤では「イノベーション」について語られる。
イノベーションという概念は、オーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが著書『経済発展の理論』(1912年)で提唱したもので、すでにこれもかなり手垢にまみれた概念なのだが、泰蔵氏は大真面目で、それが生み出されるメカニズムについて熱く語る。
彼によると、世界中のさまざまな問題を解決するイノベーションを起こすには「核心を突く良い問いを立てること」「こんなものがあればいいなぁと考えたものをつくること」が重要だという。
「小さな「問い」に始まり、「つくる」ことを通じて「わかる」ようになる。同時に「わからない」こともたくさん生まれ、そこからさらなる「問い」が生まれる。それらを繰り返していくうちに、なにか「形になったもの」が生まれる。
それがなにかを解決していたら「イノベーション」と呼ばれ、人類のまったく新しい知を開 くものであれば「発明」と呼ばれ、人の心を動かすものであれば「芸術」と呼ばれる。これらはすべて創造の豊かなバラエティだと言えるでしょう。
ジョブスやペソス、イーロン信者の上司から「イノベーションを起こせ」と鼓舞され、「じゃあ、アンタがやれよ」などと心のうちでやさぐれているビジネスパーソンたちに、この言葉を突きつけてみたい。
本書は、「子どもの教育」を題材にしながら、その「歪んだ教育システム」の犠牲者として大人になった私たちにも響くメッセージを持っているのがすごい。
子を持つ親だけでなく、大人になってしまった子どもたちにもお薦めしたい、実に胸のすく「冒険の書」だった。
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