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ブックレビュー

人体の秘密

インタビュー 人体の秘密

【元陸上選手・為末大】いつまでも学び、成長する「熟達論」の極意

元陸上選手で、世界選手権の男子400mハードル競技で日本人初のメダルを獲得した「侍ハードラー」こと為末大さんが『熟達論』(新潮社)という本を上梓した。 熟達という概念を「技能と自分が影響しあい、相互に高まること」と定義し、その過程を「遊、型、観、心、空」の5段階に分けて解説した、令和版『五輪書』とも言える名著である。 「走る哲学者」という異名を持つだけに、アスリートとして実践してきた暗黙知のトレーニング方法を懇切丁寧に語っている。アスリートのみならず、あらゆる職業にも応用できる方法論だ。 そこで、為末さん本人にお話をうかがい、その真髄に迫っていくことにしよう。 『熟達論』 著者:為末大 発行:新潮社 定価:1800円(税別) 短距離走のジュニアチャンピオンから400mハードル走の「侍ハードラー」に転向した理由 ―為末さんが「自分は足が速い」ということに気づいたのは、いつごろなんでしょう? かなり早い時期ですね。幼稚園に通っていたころじゃなかったかな。小学生になってからは3~4年生のときに地域の陸上クラブに入って、中学では陸上部に所属しました。その間、短距離走では負けたことがありませんでした。 ―1993年には全国中学校選手権100m、200mで二冠を達成し、ジュニアオリンピックでは当時の日本新の記録を更新していますね? 現在活躍していても、選手によっては小さいころは足が速くなかったという人もいます。実際、中学生大会の優勝者でオリンピックに出場した選手は、ほとんどいないんですよ。自分の場合、成長のピークが人より早かったんだと思います。その証拠に、高校生になると周りの選手の成長が追いついてきて、なかなか勝てないようになりました。18歳のとき、400mハードル競技に軸を移したのは、それが原因です。 ―陸上選手は、自分が得意とする種目を、どのように見極めていくんですか? 今ではそうではないかもしれませんが、私が中学生だった1990年代前半は、成長期の選手に対して漠然とした基準しかありませんでした。例えば、足が速い子は100m、200mの短距離、長く走れる子は長距離、身体の大きな子は投擲(とうてき)、背が高い子は高跳びという具合。私の場合、短距離から始めて、そこからいろいろな可能性を探っていくなかで400mハードルという競技に行き着いたんですね。 ―短距離走と、ハードル走の違いって、何なんでしょう? ひとことで言うと、「歩幅に制限がある」ということでしょうか。100m走の場合、30歩で走ろうが50歩で走ろうが関係ないんですが、400mハードル走ではスタートから45mのところに置かれたハードルが以降35m間隔で10台設置されていますので、自分で決めた歩数で走ることが求められるんです。私の場合は13歩でした。ただ、室外のグラウンドでは、風の影響を受けますから、歩幅は数cm単位で狂っていきます。トップハードラーになるためには、そのズレを敏感に感じとりながら微調整して、いつもと同じ位置で踏みきる正確さが問われることになります。 ―そのような競技に為末さんは向いていたというわけですね? そうですね。トップスプリンターと言える人は、100m走において1秒で5回近く足を回転させることができます。この回転数を「ピッチ」といいますが、私の場合、4回半ほどでピッチの遅い選手でした。中学生まではそれでも充分に闘えましたが、年齢を重ねるにつれ、通用しなくなっていきました。ただ、400mハードルでは、この「ピッチが出せない」という弱点を「ストライド(歩幅)が出せる」という利点に変えることができたんです。少ない歩数で走れるほうが、タイムが縮む傾向にあるんですね。そのことに私自身、とても驚いたのをよく覚えています。 コーチにつかず、実業団にも所属せず、自分ひとりで自らを鍛える道を選んできた ―18歳で400mハードルに軸足を移した為末さんは、法政大学に進みますが、これはなぜでしょう? 当時、法政大学が、他に比べて自由度の高い大学だったんです。技能の伝達には「コーチング」と「ティーチング」という2つの手法があるといわれています。コーチングでは、答えを与えずに選手自身が考えて訓練するのを支援することを目的としていますが、ティーチングでは明確な答えがあって、それを選手に伝えることを重視します。どちらにもいい面と悪い面がありますが、ティーチングの場合、伝統的なトレーニング方法がかっちりと決まっていて、選手自身が考える自由度が低いんです。当時、多くの大学がティーチング的な指導に偏る傾向があった反面、法政大学はコーチングを重視していました。ですから大学では、コーチをつけずに自分で自分のトレーニングを決めて、競技に臨んでいました。 ―為末さんは、大学卒業後に実業団の選手として入社した大阪ガスを24歳のときに退社し、日本でも数少なかったプロの陸上選手になりましたが、これは大学時代のような我流のトレーニングにこだわったからなんでしょうか? 実は、実業団スポーツというのは日本にしかないもので、世界中の多くの陸上選手からうらやましがられるシステムなんです。というのも、グローバルな環境で競技生活をしているプロ選手は、世界中で年間約100試合ほど行われているレース出場の賞金とスポンサー収入などで生計を立てています。ひとたびケガなどで出場できなくなれば、収入を失って活動ができなくなります。その一方、実業団の選手は企業に所属しているので収入を失うことはありません。さらに、引退した後も、そのまま正社員として働くことができ、生活は保証されています。おそらく、日本の大企業の終身雇用制度をベースに確立されてきたシステムなんでしょう。 ―そのような世界がうらやむシステムから自ら望んで飛び出したのは、なぜなんですか? 0コンマ数秒を争う陸上競技の勝負の世界では、実業団のようなリスクの少ない環境がマイナスに働くのではないかと感じたからです。ジャマイカは人口300万人に満たない小さな国ですが、数々のオリンピックにおいて、その100倍以上の人口を誇るアメリカ合衆国と同じくらいのメダルを獲得しています。で、ジャマイカ人とアメリカの黒人の筋力や身体の形状を測定した科学データを見てみると、その能力にたいした変わりはないということがわかっています。そのことを知ったときに思い出したのは、ジャマイカの競技場を見たときの印象です。グラウンドは日本の田舎の整備の行き届いていないグラウンドのようにボコボコにへこんでいたりして、決して理想的な環境ではありませんでした。でも、ウサイン・ボルトはそのような環境でトレーニングして、前人未到の世界記録を次々と樹立していったんです。 ―つまり、理想的な環境がアスリートの超人的な記録を生み出すわけではない、ということですね? そうなんです。結局のところ、現状に満足せず、ヒリヒリとした勝負で結果を出す要素として、ハングリー精神が重要なんじゃないかと考えたわけです。 ―その選択は為末さんにとって、その後の人生を左右する大きな決断だったと思いますか? それは間違いないですね。私はそこそこ社交性のあるタイプですから、実業団で競技し続けることにはまったくストレスがなかったし、そのまま引退まで過ごしていれば、今とはまったく違った、安定した人生があったと思います。でも、引退から10年を経た今に至るまで、その選択を後悔したことは一度もありません。若気の至り、という面もあったと思いますが、当時はそれが一択のように感じていました。今思えば、その後の人生を決定づける重要な選択だったと思います。 「型」よりも「遊」から始めることで、行き詰まったときの軌道修正が容易になる ―書著『熟達論』で為末さんは、熟達という概念を「技能と自分が影響しあい、相互に高まること」と定義し、その過程を「遊、型、観、心、空」の5段階に分けて解説しています。これは、選手生活のなかでコーチをつけず、自分なりの流儀で自分を鍛え、自ら望む方角に道を切り拓いていった結果に生まれた方法論なのでしょうね? そうだと思います。引退して10年経って、自分がどのように競技に向き合っていたのかを形にしておきたいと思ったんですね。 ―スポーツだけではなく、何かの技術を習得しようとするとき、まずは「型」を身につけることが一般的だと思うんですが、その前に「遊」がくるのは非常にユニークですね。 「遊」というのは、こうしたらどうなるんだろうという好奇心やいたずら心にまかせて、思わずやってしまうようなことを指します。もちろん、「型」も重要で、そこから全体の構造を理解する「観」、中心をつかむ「心」へと進んでいくわけですけど、そこで伸び止まってしまう選手の特徴を分析してみると、最初に「型」から始めた選手が多いんですね。つまり、行き詰まった末に「型」に戻ったとしても、また同じサイクルにはまって伸び止まってしまうのです。 ―なるほど。行き詰まったときこそ、無心で遊ぶような感覚に戻ることが大切なんですね。 その通りです。実は私自身、競技人生で初めてメダルを獲得したとき、次の目標を見失ってスランプに陥ったことがありました。さらなる目標を立て、それに向けた計画も立てるんだけど、どうしても気力が湧いてこない。身体も思ったように動かせなくなって、燃料がからっぽになったような状態になってしまいました。そこで、目標や計画などで未来を見るのではなく、今の自分の心を見るようにしたんです。具体的には「面白い」と感じることを優先して、計画を自分の心の状態に合わせて変えていくことで行き詰まった状況から脱することができたわけです。 ―では、「型」の重要性とは、どんなことでしょう? 「型」とは、それなくして他の技術が成り立たなくなるもの。だから、シンプルで、無意識で実行できるということが重要です。それから、歴史的な検証を経て最善なものにアップデートしていくことも重要です。例えばかつて、速く走るには足首を使って地面をキックするのが有効だとされていた時代がありましたが、今では足首は固定したほうが速く走れるということがわかっています。1991年の世界陸上競技選手権大会・東京大会で、カール・ルイス選手が100m走で当時の世界記録となる9秒86をマークして優勝しましたね。このとき、初めて科学班が入って彼の走りを分析したところ、足首がまったく動いてなかったことがわかったんです。 ―それをきっかけに「型」がアップデートされたわけですね。 ただ、中学生のころから足首を使う走りをしてきた選手にとって、そのクセを抜くのは容易ではありませんでした。実際、日本人選手が100m走で9秒台の記録を出せるようになったのは、桐生祥秀選手や山縣亮太選手、サニブラウン選手など、新しい「型」から身につけた世代の選手でした。 「型」の構造を把握するのが「観」。その先の中心をつかむのが「心」の段階 ―「型」の次なる段階の「観」には、どんなポイントがありますか? 「型」が身につくと、基本的な行為を無意識にできるようになって、行為を深く観察する余裕ができてきます。そのときのポイントは、行為を部分に分けて、その部分と部分の関係性を把握するということ。地面を踏むという行為を例にしてみると、地面に足が触れ始めたところ、少し体重が乗り始めたところ、地面に体重がいちばんかかっているところ、地面から力が返ってきているところ、足が地面から離れるところ、という具合に行為の局面を意識できるようになります。 ―アスリートは、そんな細かいところまで意識しているんですか! 先ほどトップスプリンターのピッチ(回転数)が1秒間で5回だと言いましたが、それだけ速く回転していると細かい部分を意識するのはむずかしくなりますが、「型」を身につけることで、それが見えてくるんですね。 ―細かい部分を意識することができると、弱い部分を調整できるようになるんですね。 そうです。大学時代、コーチにつかずにトレーニングしていたせいか、成績が伸びずに苦しんだ時期がありました。そのとき、日本代表の合宿で出会った短距離コーチの高野進さんに悩みを打ちあけたところ、「足を三角に回しなさい」と言われたんです。高野さんは私の走りを見て、足が後ろに流れる癖を見抜いて、そうアドバイスしてくれたんですね。『熟達論』でも丁寧に触れておきましたが、おかげで走るときの意識がガラリと変わり、スランプから抜け出ることができました。 ―「心」というのは、どんな段階なんでしょう? 無意識に丸呑みしていた「型」が漠然としたまとまりではなく、部分と部分の構造として見えるようになる「観」の段階を洗練させていくと、不必要な部分の力が抜けていきます。それが「心」の段階で起きることです。何かに力を入れようとする意識を持たなくても、中心をイメージするだけですべてがうまく連動する状態です。 ―パフォーマンスを最大限に引き出すには、力を「出す」のではなく、「抜く」ことを意識すべきなんですね? 自然に、無理をせず、力みがない状態を「自然体」といいますが、実はそういう状態をつくるのは難しいんです。例えば、立った状態ですべての力を抜くと、全身が崩れて倒れてしまいます。ですから、立位の姿勢を保つための最低限の力は必要です。つまり、姿勢維持に必要な部分のみに力を入れ、それ以外の力を抜くこと。それができれば、中心から末端に揺さぶるだけで力を増幅させることができるんです。舞台に立つ俳優が台本通りではなく、完全に役になりきって自在にアドリブのセリフをしゃべるようなものかもしれません。 「空」の局面では自我が消え、コントロールすべき身体が主役になる ―最終段階の「空」については、為末さん自身の印象的な体験が語られています。2001年の世界陸上カナダ・エドモントン大会の400mハードル決勝で起こったことを教えてください。 私にとっては初めての世界大会の決勝です。レースでは、スタートラインに立つまでは余計な雑念が浮かばないようにするのが私のやり方でした。その日も1台目のハードルを越えるイメージを、壊れたビデオテープのように繰り返し頭に思い描いていたんですが、いつもより集中できているという感覚がありました。やがて雑念が完全に消え、ゴールの向こう側まで自分が行ってしまった感覚になりました。そのときのことは、よく覚えていません。数万人の観客の声が静かに聞こえるだけで、自分の足音だけが身体に響いていました。身体が勝手に動いて、それをぼんやりと眺めているようでした。気がついたら300m地点にいて、私は先頭を走っていました。残りの100mを必死でもがいて3位でゴールインして、銅メダルを獲得しました。 ―不思議な体験ですね。アスリートはよく、「ゾーンに入る」といいますが、自分で意識的にその境地へ行こうとしていたのでしょうか? 特別なことをしたつもりはありません。いつもと同じように、自分の身体を自らの支配下において完全にコントロールすることを目指していましたが、従えるはずの身体が主役になって、コントロールする側の自我が消えてしまったんです。 ―卓球の水谷隼選手が試合中、会場が無音になって相手選手と自分しかいない空間にいる感覚を味わったという話を聞いたことがあります。似たような例は他にもありますか? 有名なのは、読売ジャイアンツの川上哲治さんの「ボールが止まって見えた」という発言ですね。何も考えなくても身体が勝手に動くというのは、「遊」「型」「観」「心」に至る修練の積み重ねがなければたどり着けない境地なのだと思います。そして、「空」の先には次のターンの「遊」があって、そこからまた「型」「観」「心」へと進むプロセスに向かっていくんです。 引退後、現役時代の「オレがオレが」という発想から脱するのにかなりの時間を要した ―2001年のエドモントン大会で日本人初のメダルを獲得した為末さんは、2005年のヘルシンキ大会でも銅メダルを獲得し、7年後の2012年に34歳で引退しています。引退を決意したのは、何がきっかけだったんですか? 多くの陸上選手は、オリンピックの時期とともに「来季は出場できるのか?」と自分に問いかけます。そして、「できる」と思えばそのまま選手続行、「できない」と思ったときが引退ということになります。私の場合、2008年の北京オリンピックに出場した後、その決断に迫られました。結果的に続行という形をとって2012年まで続けましたが、その途中の段階で「オリンピックに出場するのは無理だ」ということがわかりました。 ―なぜ、それがわかったんですか? スタートから1台目のハードルにたどりつくまでのタイムが、私はある時期まで世界でいちばん速かったんですが、これがズレ始めたんです。いつも通りの感覚で、5秒7だと思ったのに、実際は5秒8だったりして、「あれ?」と思うことが増えて、自分のなかの調整感がおかしくなっていった。それが、引退の1年前くらいの出来事で、2012年の日本選手権で1台目のハードルを越えられずに転倒して、最下位でゴールしたことで気持ちに区切りがつきました。 ―アスリートにとって「引退」は、必ずやってくる人生の岐路だと思いますが、その後の生活をどのように計画していましたか? 実は、明確に意識して計画したことはあまりなくて、最初はコメンテーターの仕事など、想定外の仕事をこなしていくうちに日々が過ぎていったという印象です。ただ、そうやって周囲の流れに乗って生きているうち、「これでいいのかな」と悩むようになって、本当の意味で未来に向けて一歩を踏み出せたんじゃないかなと思えるようになったのは、ここ2~3年のことです。 ―どんな未来が見えてきたんですか? ひとことで言えば、「自分のためだけではなく、誰かのために生きる」ということです。中学生のころから選手として競技に向き合ってきたなかで、自分を鍛えて数多くのライバルとの勝負で勝つことをつねに考えてきました。その20数年の積み重ねはあまりに重くて、物事に取り組むとき、「オレがオレが」という発想が染みついているのに気づいたんです。 ―心にはまだアスリートだったころの発想が残っていて、それを拭い去るのがむずかしかったわけですね? そうです。アスリートの試合を見るときでも、どこかで「自分ならこうするだろうな」と、現役時代の自分と比較してしまうようなところがあって。ところが、そういう気持ちが自分のなかから完全に消えたのがわかったのが、2021年に開催された東京2020オリンピックでした。コロナの影響で開催が1年間も延び、アスリートにとっては大変な調整を求められた大会だったこともあると思うんですが、このときは純粋な気持ちで「がんばれ!」と選手たちを応援することができました。もうひとつは、現在小学生の息子が産まれたことも大きく影響していると思います。人の親になったことで、自分の人生は自分だけのものじゃないということを実感することができましたから。 ―『熟達論』の本の帯には羽生善治さんの「アスリートの暗黙知を言語化できる稀有な存在──それが為末さんです」という言葉が書かれています。この本を書いたのは、為末さん自身にしかわからないことを人に伝えることで「誰かのためになる」ことを目指したのではないですか? そうですね、そうかもしれません。これからの人生は、「勝ち負け」にこだわることではなく、「人の役に立つ」ことを目標に生きていきたいと思います。だって、人に必要とされることって、すごく幸せなことじゃないですか。 撮影/八木虎造

2023/11/06

人体の秘密 食生活

『野菜は最強のインベストメントである』─「食に対する意識を変える」に効く1冊

数カ月前、土井喜晴氏の『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)という本を読んで、我が家の食卓は革命的に変わった。 お椀にたっぷり野菜を切り入れて、それをやわらかくなるまで煮た鍋に味噌を溶く「具だくさんの味噌汁」があれば、おかずは漬け物だけでもモリモリとご飯を食べられる。焼き魚なんかがつけば、それだけで充分にご馳走気分だ。 この一汁一菜の食事の良いのは、何度食べても食べ飽きないというところにある。味噌汁は日本人のソウルフードなのだ。 Amazonのレビューを読むと、多くの人(きっと毎日の献立選びに悩んできた主婦だろう)が、「この本のおかげで救われました」という感想を書いているのもうなずける。 具だくさんの味噌汁はたぶん、体にも良い。野菜が毒になるという話は聞いたことがない。 だが、本当にそうなんだろうか? と考えていたころ、書店で見つけたのが本書『野菜は最強のインベストメントである』だった。 日本栄養コンシェルジュ協会代表理事で、医学博士、管理栄養士の資格を持つ著者の岩崎氏が、野菜の効果的で正しい摂取の仕方を教えてくれるというのだ。その興味深い中身をレビューしていこう。 『野菜は最強のインベストメントである』 著者:岩崎真宏 発行:フローラル出版 定価:1450円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 野菜不足につながる「量、質、彩(いろどり)」の3要素 本書が冒頭で警告しているのは、現代人の申告な野菜不足だ。 野菜不足には、次のようなリスクがあるという。引用しよう。 精神不安定、体臭が出やすくなる、肌荒れ、下痢、太りやすい、体力低下、疲れやすい、免疫低下、血管リスクの増加、生活習慣病、ガンになりやすくなる。他にも多くの損失がありますが、これらの症状が続くことで、慢性的な体調不良、集中力低下からの効率悪化、寝不足、不安症と、心にまで大きな影響を及ぼします。 こうした恐ろしい野菜不足問題には、3つの不足要素があるという。 ひとつは、「量の不足」。日々の忙しさやダイエットを理由に、食事を抜いたり、肉のみの食事に頼っている人は多い。 本書が推奨している野菜の摂取量は、1日350グラム。というと、とっさに「そんなにたくさん摂らなきゃいけないの?」と感じる人もいるかもしれないが、これはあくまで調理前の重さ。煮ておひたしにしたり、バター炒めなどで火に通せば、実際に口に入れる野菜の量は、それほど多くない。 2つめの要素は「質不足」。野菜を買うとき、価格重視で外国産を選ぶ人は少なくないだろう。だが、外国産の農産物のなかには輸送中にカビが生えたり、害虫に食べられたりしないよう、収穫後に防腐剤などの農薬を使用しているケースがあるという。 ゆえに、野菜の銘柄選びは国産一択。さらに「鮮度と旬」にこだわることを推奨している。 3つめの要素は、「彩(いろどり)不足」。いくら野菜を食べているといっても、バリエーションに乏しく、いつも同じ色味のものを食べていては栄養補給にムラができてしまう。 そこで本書が推奨しているのは、野菜を色味に分けてバランスよく摂取すること。 緑の野菜なら、ほうれん草、ケール、小松菜、人参の葉、フェンネル、など。 オレンジ(黄色)の野菜なら、人参、ゴヘルドビーツ、橙パプリカ、ウコン、など。 赤の野菜なら、レッドビーツ、紅大根、赤ピーマン、トマト、など。 白の野菜なら、ごぼう、たまねぎ、大根、ねぎ、にんにく、など。 青(紫)の野菜なら、赤紫蘇、紫人参、なす、など。 同じ色の野菜には、似た栄養成分が含まれているため、色のバリエーションを見るだけで、まんべんなく栄養補給することができるのだという。 効果を知るには42日間、野菜を食べ続けるべし 1日350グラムの、鮮度の良い、国産の旬の野菜を色味豊かに選んで摂取することに加えて、さらに本書は、これを42日間(6週間)、継続することを推奨している。 42日というのは、ダイエットや栄養の研究で動物や人体を使った実験をするときの目安になっている期間なのだとか。 本書の中盤に登場する、ウォーレン・ベジットなる野菜投資家は、次のように野菜摂取の効果を説明する。 しばらく野菜を食べ続けると、あるとき「あれ? なんか体調良くなってる?」と感じる日が来るだろう。すると、次の日には「やっぱり確実に良くなってる!」と感じ、そしてその次の日には「いや、もはや若返っている!」と、変化を感じた日から、メキメキと確信を伴った違いを感じるようになる。 ここまで読んできた気になったのは、野菜さえ食べれば良いのかということだ。 例えば以前にレビューしたことがある森由香子『60歳から食事を変えなさい』(青春出版社)では、毎食20グラムのたんぱく質を摂ることを推奨していた。 もちろん、本書が野菜至上主義に走り過ぎていないということは、ウォーレン・ベジット氏の次のセリフからよくわかる。 体を作る原材料がたんぱく質。体と脳を動かすエネルギー源が糖質と脂質。これらは特にたくさん摂取する必要があり、三大栄養素と言われる。そして、その三大栄養素がきちんと働くためのサポートをする役割がビタミンとミネラル。これらの五つが五大栄養素だ。 つまり、野菜によってビタミンとミネラルを摂取することは、たんぱく質、糖質、脂質の三大栄養素をうまく働かせるために必要不可欠ということなのだ。 最強の抗酸化成分「フィトケミカル」とは? 本書を読んで初めて知ったのは、野菜に含まれている「フィトケミカル」という成分の存在だ。 野菜をはじめとする植物は、外敵や紫外線など外からの攻撃から身を守るためにさまざまな物質を作り出している。これらを総称した言葉が「フィトケミカル」だ。 香り成分だったり色や渋味であったり、辛味やネバネバ成分などがそれにあたるが、それらは最強の抗酸化作用があるのだという。 例えばトマトや金時ニンジンなどの赤色の正体である「リコピン」には、同じく抗酸化作用のあるβカロテンの約2倍、ビタミンEの100倍以上の効果があるんだとか。 また、ミカン、トウガラシ、パプリカなどに含まれる「βクリプトキサンチン」は、体内で目や皮膚の粘膜を健康に保つビタミンAに変換されるほか、骨形成を促進して骨粗しょう症を防ぐ効果があるという。 さらには、ローズマリーや赤紫蘇、青紫蘇に含まれる「ロスマリン酸」は、脳から発生するドーパミンの量を増やす効果があり、加齢による記憶力の低下、物事への意欲や集中力、注意力の低下といった脳機能の改善を促してくれるというからすごい。 とにかく、このような調子で野菜を食べることのメリットを「これでもか」とばかりに突きつけてくるのである。 ちなみに著者の岩崎氏は、野菜を食べることを「インベストメント(投資)」に見立てた理由を次のように説明している。 あなたは投資の三原則をご存知でしょうか。それは「長期、積立、分散」です。じつはこれ、野菜投資にも流用することができるのです。野菜投資の目的、それは野菜を長期間美味しく食べ続け、さまざまな野菜から栄養素を取り入れ、栄養素のパワーを体に積み上げていく。その結果、美や健康、引いては幸せというリターンを得るということです。 この言葉につけ加えるなら、野菜投資はローリスク・ハイリターンの高効率の投資ということだ。とにかく私にとっては、「一汁一菜」生活を今後も続けていくモチベーションにつながる好著だった。

2023/10/10

人体の秘密 悪意

『悪意の科学』─「誰もが持っている意地悪な心を自制する方法」に効く1冊

「悪意」は一般的に、「他人に害を与えようとする心」と理解されている。つまり、普段は自制していなければならない心、片隅にしまっておかねばならない心なのだが、人間関係やビジネス、宗教間、SNSなどでのやりとりを見てみると、「悪意」はむしろ、ありきたりなものとして存在している。なぜだ? 進化論的に見ても、これはおかしい。嫌がらせや意地悪といった悪意ある行為は、他人に害をおよぼすのだから、自然選択の力がはたらいて淘汰されるはずである。どういうことなんだ? 本書は、そんな疑問を出発点にして、悪意を行動経済学、心理学、遺伝学、脳科学、ゲーム理論など、さまざまな視点から分析していく。悪意とは何か? 悪意をコントロールする術はあるのか? そのスリリングな問いをレビューしていこう。 『悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか? 』 著者:サイモン・マッカーシー=ジョーンズ/著、プレシ南日子/訳 発行:インターシフト 定価:2200円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 死角にあった悪意をあぶりだす「最後通牒ゲーム」とは? まずは本書において、スルメを噛むかのように繰り返し語られる「最後通牒ゲーム」という心理実験を紹介しよう。 このゲームは、隣の部屋にいる相手とペアになってプレイする。プレイヤーのひとりは、10ドルほどのお金を与えられ、「このお金を隣の部屋にいる相手と分けあってください」と指示される。そして、もう一方のプレイヤーは、こんなルールを説明される。 「隣の部屋にいる人は10ドル持っていて、あなたと分けあうことになっています。そのとき、あなたにはお金を受けとることを拒否するという選択肢があります。拒否したら、あなただけでなく、相手の人もお金はもらえなくなります。ゲームをプレイするのは1回だけなので、その選択が最後通牒になります」と。 そのお金は、人生ゲームやモノポリーなどで使うゲーム用のニセ金ではない。日本円に換金すれば、だいたい1300円になる正真正銘の現ナマである。 お金の価値をわかっている人なら、隣の部屋の相手が不公平な配分をしても、「受け取りを拒否する」という選択はしにくいだろう。例えば、相手が2ドルを寄こしてきた場合、「自分より6ドルも余計にもらうのかよ」とイラッとはするかもしれないが、2ドルは確実に自分の手元に残るのだから。 ところが結果は、その予想を裏切るものだった。10ドル中2ドル以下の配分に対して、受け取りを拒否した人が50%に及んだというのだ。つまり、半数の人が1~2ドルを捨て、自分より儲けようとする相手への悪意を発動させてゲームをご破算にしたのだ。 日本には「肉を斬らせて骨を断つ」というサムライ由来の言葉があるが、どうやらこれは日本オリジナルではないようだ。 このゲームを考えたのは、ドイツ・ケルン大学教授の33歳の経済学者のヴェルナー・ギュートらの研究チーム。彼は子どもの頃、ひとつのケーキを兄弟と分けあうとき、ナイフの当て方に対していつもいちゃもんがついたという経験から着想したのだという。 悪意を剥きだしにした被験者に対してギュートは、どのように実験結果を報告したのだろう。本書はそのことに触れていないが、「相手に罰を与えるために自分も損するなんて、君はなんて大人気ないんだ」などと言っていたとしたら、被験者はさらにイラくか、赤面したのではないか。そういう意味では、かなり意地悪な実験である。 だが、1977年にギュートが報告したこの論文が発表されると、たちまち多くの研究者が自分の論文に引用したばかりか、以後、さまざまな工夫をこらして再実験をアレンジしたそうだ。 悪意を持つか持たないかは「人間の証明」にかかわる問題 アメリカの経済学者のエリザベス・ホフマンらは「最後通牒ゲーム」の結果が、金額が低いためにそうなったのではないかと考えた。1~2ドルほどのはした金なら、もらえなくても大した損にはならない。ならばそれより、不公平な配分をした相手を懲らしめるほうに使ったほうがいいと判断したのではないかと。 そこでホフマンらは、5000ドルの予算をつぎ込んで再実験を設定した。各ゲームにおいて、被験者たちが現金100ドルを分けあうことにしたのだ。 その結果、低額オファーに悪意を発動した人の数はさらに増えた。なんと、100ドル中10ドルの配分をした相手のオファーを75%が拒否し、さらに100ドル中30ドルのオファーに対しても50%が拒否したという。 さらにインドネシアでおこなわれた「最後通牒ゲーム」は、ホフマンの実験よりも規模が大きく、被験者には平均的な学生が1ヵ月に使う金額の3倍のお金が渡された。 相手の配分が20~30%だったとしても、1ヵ月弱の生活費が浮くのだから拒否する人は少なくなるはずだ。実際、その通りになったが、それでも10人に1人がその大金の受けとりを拒否したのだという。人は、悪意に大金をつぎ込む生き物なのだ。なんて罪深い存在なんだ。なんて残酷な実験なんだ! 1995年には、人類学者のジョセフ・ヘンリックが社会の違いに着目して再実験をした。ヘンリックはペルーを訪れ、マチュピチュ遺跡の近くで暮らすマチゲンカ族という先住民を被験者にして「最後通牒ゲーム」をおこなった。すると、20%以下の低額オファーを受けた10人のうち、それを拒否したのは1人だけだった。つまり、マチゲンカ族の人たちは、タダでもらえるお金を拒否するなんてばかげていると判断できる現実主義者だったのだ。 かつて私は、奥野克巳『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』(辰巳出版)のレビューをしたが  、そこではボルネオ島の狩猟民プナンの人たちがお互いの所有物を惜しげもなく分け与えている暮らしが紹介されていた。従って、ヘンリックの検証結果には、さもありなんと大いにうなずくことができる。 ちなみに、チンパンジーに「最後通牒ゲーム」に似た実験をした例があるそうだが、低額オファー(ここではお金ではなくバナナ)を拒否したチンパンジーは1頭もいなかったという。どうやら悪意があるかないかは、「人間の証明」にもかかわってくるらしい。 トランプ大統領の登場もイギリスのEU離脱も、国民の悪意が政治を動かした結果である 本書は、前半部を通じて「最後通牒ゲーム」のさまざまなバリエーションを紹介しているが、主眼はそこだけにはない。人間の悪意が、実際に現実社会の政治や宗教に影響を与えた事例を分析する後半部で、その内容はさらに説得力を増していく。言うなれば、前半部は基礎研究の紹介で、後半部はその応用を展開しているのだ。 著者のサイモン氏が最初に選んだ事例が、2016年のアメリカの大統領選挙だ。当初、圧倒的に有利と見られていた民主党候補のヒラリー・クリントンが、エキセントリックな問題児として知られる共和党候補のドナルド・トランプに破れた珍事である。 その原因について、アメリカから遠く離れたアイルランド・ダブリン大学の准教授のサイモン氏は次のように述べている。引用しよう。 アメリカ政治を外から見ると、2016年の大統領選はまるで罰を与えるための選挙のようだった。投票所を訪れた有権者は「誰を支持しよう?」というより、「誰を傷付けよう?」と考えていたと思われても仕方がない。こうした罰はしばしばヒラリー・クリントンに向けられた。 選挙戦中、ヒラリーが「私は家にいてクッキーを焼いてお茶を飲んでいることもできましたが、自分の職業を全うすることを選びました」という発言が、米国初の女性大統領の誕生を望む女性たちの票を失ったことは有名だが、その他にも数々の要素がはたらいて、ヒラリーはアメリカ国民の多くを見下す、セレブで傲慢な人物という印象が形成されていった。 予備選でヒラリーといい勝負をしてきたバーニー・サンダースは敗戦後、民主党の勢力維持のために自らの支持者にヒラリーへの投票を呼びかけなければならなかったが、選挙戦で「どちらが公平か? 不公平か?」というキャンペーンを張っていただけに説得力のある弁護ができなかった。 そのため、「最後通牒のゲーム」の法則でいえば、サンダースを支持していた多くの人は「選挙に行かずに票を減らす」という低リスクの罰をヒラリーに与えるか、あるいはメキシコとの国境に壁を作るといったトンデモ政策を打ち出している「トランプに投票する」という高リスクの投票行動に走った。 実際、この高リスクに掛け金を投じた人の多くはトランプの大統領就任後、「ベットに失敗した!」と、覚ったはずだ。もともとヒラリー支持者だった人々にとって、トランプへの投票は自傷行為だったのだ。 くわしい経緯については、本書を読んでいただくとして、有力候補と見られていた初の女性大統領の誕生を阻んだ原因がアメリカ国民の「悪意」のみにあるとは言わないまでも、多くの要因において、それが示された疑いようのない証拠が本書には並べられている。 国民の悪意が政治を動かしたもうひとつの事例として紹介されるのは、先に述べたアメリカ大統領選と同年の2016年におこなわれた、イギリスのEU離脱の是非を問う国民投票である。この投票では、52%の国民が離脱に賛成票を投じたことは、記憶に新しい。 投票に向けたキャンペーンでは、離脱が多大な経済的コスト負担につながることを多くの人が訴えた。保守党のデイヴィッド・キャメロン首相は、EUの離脱は「イギリス経済の真下に爆弾を仕掛ける」ことになると主張した。スコットランド独立を訴え続けているスコットランド国民党のニコラ・スタージョンも「悪意から自分の損になることをしてはいけません。不満や怒りに駆られて未来を決定しないでください」と訴えた。 にもかかわらず、52%の賛成票が集まったのは、当時のイギリス社会に「EUは不公平だ」という強固な世論が形成されていたからだ。そして、それに対する抗議の賛成票がかなりのコストをともなうことが再三にわたって告知されたものの、半数以上の国民が自分をも傷つける可能性のある悪意を発動させたのだ。 SNS中では、人間の悪意は自由に動きまわる 本書はこのあと、宗教に目をつけて9.11の自爆テロの論理に言及していくが、デリケートな話なのでここでの紹介は避けておこう。私が興味をかきたてられたのは、インターネットのなかでの悪意のふるまいだ。 ソーシャルネットワークは悪意のコストを減らし、利益を倍増させる。ソーシャルメディアは悪意がはびこる最悪の状況を生み出すのだ。現実世界には悪意を抑えるブレーキが存在するが、オンラインの匿名性はこの必要不可欠なブレーキを外してしまう。そして、報復の脅威を消し去る。報復の不安から解放された人々は、自分たちよりも地位が高い、または豊かな人々にためらうことなく反支配的悪意を向ける。そして、熱狂的に正義を訴え、ほかの人々を傷付け、破壊の喜びにひたる。ターゲットにされる人々が努力によって利益を得たかどうかは関係ない。有能なおかげで出世した人は、さらに嫌われるのだ。 いやはや、恐ろしい世の中になったものだ。 本書はこうした悪意を自制し、コントロールする手段として瞑想などの方法を提案しているが、あまり説得力を感じなかった。それよりむしろ、本書の読者が本を読んだあとに自らの胸に手を当てて、どれほどの悪意が心の中にあるかを考えることが、もっとも最善の方法なのではないかと思った。

2023/04/14

人体の秘密 未病

『なぜ、人は病気になるのか?』─「すべての病の根本原因から治療し、“未病”に至る道」に効く1冊

なぜ、人は病気になるのか? バカのふりして聞いたところで、この質問に明確な答えを持っている人は、病気の専門家の医師でさえいないだろう。 だがもし、その疑問に対する明確な答えがあるとすれば、人は病気にならずに済むことになる。なぜなら、「病気はこういう原因で起こる」ということがわかれば、その原因をなくすことで人は病気にならずに安心して暮らしていけるからである。 ありがたいことに本書は、医師である寺田武史氏が全身全霊をかけて病気の「根本原因」を探り、そのメカニズムをくわしく解説してくれる本なのである。 病気を未然に防ぐために今、知っておかねばならないこととは? その貴重な知見の一部をレビューしていこう。 『なぜ、人は病気になるのか?』 著者:寺田武史 発行:クロスメディア・パブリッシング 定価:1580円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 「病気」と「病気でない」の間にはグラデーションがある 著者の寺田武史氏は、消化器外科医として10年間、大学病院に勤務してがんの手術を手掛けていた医師。その後、大学病院を離れ、開業医をしていた父のクリニックを引き継ぐ形で開業医になったという。 外科医だったころの寺田氏は「外科医こそが患者さんの命を救う」と使命感を持っていたそうだが、最新、最善、最良の手術、治療をしたのに病気を繰り返してしまう患者をみているうちに、だんだんと失意を感じるようになったという。 その失意が「なぜ、人は病気になるのか?」という問いに寺田氏を向かわせた。 予防医学などの文献や論文をむさぼり読み、玄米菜食、ファスティング(断食)、低糖質タンパク食、ビーガン食など、健康に良さそうなものを実践しながらたどりついたのが、分子栄養学という学問だったという。 そこで寺田氏は、次のような結論に達する。引用しよう。 現代医学の基礎理論である西洋医学の世界では、端的にいうと「正常」と「異常」の2つの概念しかありません。たとえ目の前の患者さんが辛い症状を訴えていたとしても、検査データや画像の所見で異常がなければ「あなたは正常です」ということになります。ただ、現実には画像でも数値でもとらえられない「異常」があるものです。「病気」と「病気でない」の間には明確な境界線があるのではなく、グラデーションで連続的につながっています。 その中間点を「未病」といい、そこから「病気」に至る道を断ってしまえば、人は病気を克服することができる。寺田氏の考えをシンプルに説明すれば、そういうことになる。 病気はズバリ、「副腎疲労」から来る では、「未病」はどうして「病気」に至るのか? 寺田氏はズバリ、「副腎疲労」が原因であると断言する。 副腎とは、腎臓の上に位置する直径3センチほどの三角形の臓器だが、さまざまなホルモンを分泌し、心身のバランスを維持しているという。 なかでも重要なのが「コルチゾール」というストレスホルモンで、血糖を上昇させる、筋肉中のタンパク質の分解を促進させる、脂肪組織で脂肪の分解を促進させる、炎症を抑えて免疫のはたらきを抑制する、1日の活動リズムを整えるといった重要な働きをしている。 で、このコルチゾールの供給バランスが乱れるとき、「未病」は「病気」に至るのだという。 わかりやすい。非常に明確な説明だ。寺田氏はさらに、このコルチゾールの乱れが起こる根本原因を次の5つに断定している。 慢性炎症 低血糖 睡眠不足 ストレス 運動不足 この5つの根本原因から治療してしまえば、「病気」はつねに「未病」のままでいられるのだ。 5つの根本原因に対処すれば病気は必ず防げる 根本原因のひとつ目の「慢性炎症」について、寺田氏は次のように説明している。 炎症は、身体の機能としてなくてはならないものです。知覚できる発熱や痛みがあることで、私たちは初めて身体の不調を感じることができます。炎症は、身体の不調を伝えるサインなのです。しかし、それらの急性炎症が鎮まっているにもかかわらず、私たちの体の中では、知覚できないレベルで炎症がずっと起こり続けていることがあります。じわじわと炎症を繰り返しているうちに、知らない間に体の不調が進行していくのです。これが「慢性炎症」といわれるものです。 そして「慢性炎症」は、具体的には上喉頭炎、歯周病、脂肪肝、腸内環境の乱れ、肥満、うつ、老化、不眠など、実に幅広い症状をもたらすのだという。 持続する炎症を止めるには、ブレーキ役となる栄養素、具体的にはエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)といった抗炎症性脂質や、ベルビリン、ケルセチン、クルクミンといった抗炎症性ハーブ、そしてビタミンDを摂取することが有効だ。 次にふたつ目の根本原因である「低血糖」は、すべての病気の根源といってもいいくらい、病気のリスクが高い症状だと寺田氏は指摘する。 膵臓(すいぞう)の老化や肥満などによってインスリンを分泌する能力が衰えると、食後に血糖値が乱高下する「血糖値スパイク」が起こる。 インスリンの分泌量が減ったり、分泌するタイミングが遅くなったりして血糖値が激しく上下するのだが、これをコルチゾールやアドレナリンを分泌して安定させようとするのが先に述べた「副腎」だ。血糖値スパイクは、5つの根本原因の元となる「副腎疲労」に直結する。 また、低血糖はミトコンドリアの機能障害の原因にもつながっている。ミトコンドリアは人体を形成している約37兆個の細胞のなかにある細胞小器官のひとつで、「アデノシン三リン酸(ATP)」という高エネルギー物質を産生していて、寺田氏によれば、人間の生命維持に欠かせない「エネルギー産生工場」なのだという。 ミトコンドリアの機能障害によって起こる症状は、実に幅広い。 疲れやすい。風邪をひきやすい。むくみがある。便秘や下痢。吐き気。食欲不振。動悸・息切れ。頭痛。冷え性。月経異常。神経過敏。イライラ。髪が抜けやすい。立ちくらみ。めまい。肩こり。腰痛。背中の痛み。などなど…。 これらの症状は、医学的には「不定愁訴」と呼ばれるものだが、誰もが何度も経験していることなのではないか。 病気の根本原因の後半3つ、「睡眠不足」「ストレス」「運動不足」についてはわかりやすい自覚症状があるので、多くの人がその弊害に気づいているだろう。 本書ではその弊害を、身体の機能を詳しく説明しながら理屈立てていく。 「睡眠不足は慢性炎症を引き起こし、インスリン抵抗性があがって糖尿病リスクを高める」とか、「ストレスは脳のエネルギー(ATP)消費を高めてミトコンドリア機能障害につながる」とか、「運動はインスリン抵抗性を改善し、ミトコンドリアを増やし、自律神経のバランスを整えるはたらきがある」などと説明されると、ウンウンとうなずきながら納得するしかない。 特に、これらの説明が「慢性炎症」「インスリン抵抗性」「ATP」「ミトコンドリア」といった共通のキーワードでからみ合っているところが興味深かった。 なぜ病気になるのか?という疑問に全力でぶつかった寺田氏に感謝! さて、5つの「根本原因」を防ぐ手段として、寺田氏が推奨しているのは「腸内環境を整える」ということと、「肝臓デトックス」だ。 腸の働きについて、寺田氏はこう説明している。 実は、腸は「第二の脳」とも呼ばれ、独自の神経ネットワークを持っており、脳からの指令がなくても独立して活動することができます。脳からのシグナルを待つことなく、消化・吸収や排泄といった機能を果たしています。また、近年の研究では、脳と腸が互いに情報を伝達し合い、双方向で作用しあう関係にあることがわかってきました。人間にとって重要な2つの臓器、脳と腸が密接に影響を及ぼしあうことを「腸脳関係」といいます。 そして、腸内環境を改善する方法として、寺田氏は「アルコールやカフェイン、精製糖質、精製穀物(小麦粉/グルテン)などを過剰に摂取しない」「化学物質、排気ガス、タバコ、食品添加物などの毒素を身体に入れない」「精神的ストレスをためない」などの方法を提案している。 次に「肝臓デトックス(解毒)」は、腸内環境と連携しながら病気を防ぐ「最後の砦」だと寺田氏は指摘する。 肝臓は、有害物質を解毒するだけでなく、脂質代謝や糖代謝、免疫のコントロールなどに欠かせない胆汁酸を産生し、低血糖を抑えるエネルギー代謝機能を持っているからだ。 最終章のタイトルは、「『5つの根本原因』は食事から予防・改善しよう」となっていて、「運動」「睡眠」の改善とともに「食事」の3本柱を掲げて病気を防ぐ方法を説明している。 その内容は実際に本書を読んでいただくとして、最後に「あとがき」で述べている寺田氏の説明を紹介しよう。 もう一度お話させていただければ、私は、アトピー性皮膚炎も、甲状腺機能低下症も、過敏性腸症候群も、線維筋痛症も、頭痛も、風邪も、うつも、ADHDも、自閉症も、そしてがんも、病気の原因は「慢性炎症」「腸内環境の乱れ」そして「デトックス機能の低下」の3つと考えています。そして、その慢性炎症を引き起こすものが「運動不足」であり、「ストレス」であり、「睡眠不足」で、もちろん感染症も忘れてはいけません。そもそも食生活が乱れていれば血糖のコントロールはうまくいかず、「低血糖」を引き起こします。全ての「病気」はこの5つの根本原因から始まるのです。 寺田氏が医師として、このようなことを語るのは、実は大変な勇気を要したのではないか? 「なぜ、人は病気になるのか?」という問いへの模範解答は何かといえば、「医者は病気を治療するのが仕事ですから、そんな質問に答える義務はありません」と多くの医師が答えるだろう。 その意味でわれわれ読者は、寺田氏の言い出しっぺの決断に、最大限の感謝を捧げなければならないのではないか。

2023/03/31

人体の秘密

【書評】『すばらしい人体』『人体大全』で“おなら”のヒミツも解明する!?

今回は「人体」を真正面からテーマにした2冊を読んでいこう。 2021年のほぼ同時期に刊行された『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)と『人体大全』(新潮社)だ。前者は日本の若き外科医が書き、後者は米国生まれでイギリス在住のノンフィクションライターが書いたもの。いずれも、★4つをつけられるオススメ本だ。 国籍、年齢、職業ともに立場を異にしているふたりだが、飽くなき探究心で「人体」の神秘について、情熱をこめて語っている。 「書店で見かけたけれど、分厚くて敬遠した」という人も多いだろうが、うさんくさくて薄っぺらい健康本やダイエット本を読むより数倍、いや数十倍は有益な2冊である。 ここでは、その魅力のごく一部しか紹介できないが、興味が湧いた人は、是非とも目を留めていただきたい。 人体の神秘を解き明かす『すばらしい人体』と『人体大全』 まずは、両書の著者の来歴を紹介しておこう。 2021年8月に刊行された『すばらしい人体』の著者は、2010年に京都大学医学部を卒業した若き消化器外科専門医の山本健人氏(SNSなどでは「外科医けいゆう」として知られている)。彼が開設した医療情報サイト「外科医の視点」は3年間で1000万ページビューを超えるという。 同じ年の9月に刊行された『人体大全』の著者のビル・ブライソン氏は、米国アイオワ州出身でイギリス在住のノンフィクションライター。これまでに『人類が知っていることすべての短い歴史』(新潮文庫)などの著書が翻訳され、日本で出版されている。 私は『人体大全』のほうを先に読んでいて(刊行されて2か月後の2021年11月)、それより2週間ほど前に刊行された『すばらしい人体』は2022年12月、7刷16万部のベストセラーになってから読んだ。 一般的な書籍の場合、「ヒット」と呼べるのは数1000部以上が売れた場合で、「大ヒット」は2万部以上、「ベストセラー」は10万部以上が目安と言われている。 よって、読後1年ほど経ってしまっている『人体大全』に何が書いてあったか、おぼろげにしか覚えていない状態で、『すばらしい人体』を読んだわけだ。 1年前に読んだ本の内容をほぼ忘れているというのは、『人体大全』に限って言えば、仕方のない面がある。総ページが‎参考文献リストも入れて512ページもあり、「人体」の臓器別、症状別に分かれた23章の内容は、5~10行くらいの、「人体に関するウンチク話」を膨大に積み重ねた構成になっているからだ(長い話でも、せいぜい1~2ページくらい)。 小説を読んで、1年後に登場人物の名前を覚えていないことはよくあることだろうが、全体のストーリーや、自分がそれを読んだとき、どんな感想を持ったかは、容易に思い出せるはずだ。だが、こと『人体大全』のような小ネタ満載のノンフィクション本になると、そうはいかない。 というわけで、今回のブックレビューは、山本氏の『すばらしい人体』を読んで「へぇ~」と思った部分と呼応するネタをブライソン氏の『人体大全』に探してみるという、ちょっと変わった読書法を試してみることにした。 『すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険』 著者:山本健人 発行:ダイヤモンド社 定価:1700円(税別) ボブ的オススメ度:★★★★☆ 『人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか』 著者:ビル・ブライソン ...

2022/12/16

人体の秘密 日本社会の変容 認知症

認知症でも安心して暮らせる社会とは?─“認知症の当事者の視点”に効く2冊

認知症とは、認知機能が衰える症状のことで、認知症という病気があるわけではない、という話をかつて老年行動学の先生から聞いたことがある。 体の寿命は延びたのに、脳の機能がそれに追いついていない状態というわけだ。だから、「認知症患者」という言葉は、厳密に言えばあり得ないということになる。 高齢化が進み、高齢者の5人に1人が認知症になるという時代、認知症になっても希望を持って日常生活を過ごせる社会を作っていかなくてはならない。 今回は、2冊の本から、その処方箋となるヒントを探ってみよう。 当事者の世界を疑似体験できる『認知症世界の歩き方』 「アルキタイヒルズ」…など、絶妙なネーミングで語られる認知症の症状 表紙からして目立つ本である。 書店の棚に平積みされた本の帯には「はやくも15万部突破!!!」の文字が躍っている。奥付を見ると、第15刷とある。サイクルの早い書店の流通システムで生き残っていくには、それだけ売れ続けなければならないというわけか(2022年12月時点では16刷16万部に達しているようだ)。 この本の特色は、冒頭の一文によく現れている。引用しよう。 これまでに出版された本やインターネットで見つかる情報は、どれも症状を医療従事者や介護者視点の難しい言葉で説明したものばかり。肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。そこでわたしたちは、ご本人にインタビューを重ね、「語り」を蓄積することから始めました。それをもとに、認知症のある方が経験する出来事を「旅のスケッチ」と「旅行記」の形式にまとめ、だれもがわかりやすく身近に感じ、楽しみながら学べるストーリーをつくることにしました。 ここで言う「わたしたち」とは、この本を制作したNPO法人イシュープラスデザイン、および代表の筧氏、それから監修者である認知症未来共生ハブの人たちで、「インタビュー」した認知症の人は、約100人にのぼるという。 というわけで、認知症の症状である「BPSD」などという専門用語はこの本ではいっさい使われていないし、その内容となる「せん妄」とか「失行」とか「仮性作業」とか「弄便」といった言葉も出てこない。かわりに使われているのが、次のような言葉だ。 乗るとだんだん記憶をなくす「ミステリーバス」 だれもがタイムスリップしてしまう住宅街「アルキタイヒルズ」 イケメンも美女も、見た目が関係ない社会「顔無し族の村」 熱湯、ヌルッ、冷水、ビリリ。入浴するたび変わるお湯「七変化温泉」 時計の針が一定のリズムでは刻まれない「トキシラズ宮殿」 一本道なのになかなか出口にたどり着かない「服ノ袖トンネル」 ヒソヒソ話が全部聞こえて疲れてしまう「カクテルバーDANBO」 こんな調子で認知症の症状が、ダジャレや絶妙な比喩で表現されている。そのネーミングセンスに舌を巻く。 あくまで認知症の本人が感じている世界が示されている 本を開いて、その「認知症世界」を旅してみよう。例えば、「アルキタイヒルズ」。ここで紹介されている「旅人の声」では、自分の家を他人の家だと思って帰ろうとしてしまうケースが紹介されている。 おもしろいのは、そうした行動の理由は、一つではないということ。「過去に住んでいた自宅の記憶が強く想起されて、現在の自宅の記憶にオーバーラップしてしまうため」という理由もあれば、「空間や人の顔などを認識する機能に障害が起き、その場所を自宅だとわからなくなるから」かもしれず、はたまた「ストレスが『落ちつくことのできる自宅に帰りたい』という気持ちを誘発している」こともあり得るという。 とはいえこの本では、「だから認知症の介護をする人はこうしてください」というアドバイスはいっさいない。ただ、認知症の人が見たり、聞いたり、感じたりしている世界を示すのみである。 だが、かえってそのことがこの本の美点であると私は思う。単なる介護マニュアルになっては、おもしろさが半減、いや、全減しかねないのではないか。認知症世界のガイドブックであることがこの本の神髄なのだ。 本の後半は、認知症になった人に向けて「認知症とともに生きるための知恵を学ぶ旅のガイド」になっている。 ガイドの仕方も懇切丁寧だ。「今の自分の心身の状態を知る」、「専門職に相談する」、「だれかに打ち明ける」、「頼れる仲間をつくる」、「当事者とつながる」、「混乱を生むモノ・コトを生活空間から取り除く」、「スマートフォンを使って生活を楽にする」など、具体的なステップを示して認知症になっても楽に暮らせる道に誘導していく。 新時代のQRコードの使い方を提示 驚いたのは、要所要所にQRコードがあって、スマートフォンでそれを読み込むと、認知症未来共創ハブの特設サイトに飛んで、さらにくわしい情報に触れることができる点である。 例えば「スマートフォンの活用術」のQRコードを読み込むと、鍵を使わずに玄関などのドアの施錠を管理できるアプリ(認知症の人はたびたび自分が自宅の家の鍵を閉めたことを忘れる)や、しゃべりかけた音声を認識して文字化してくれる機能などの情報にアクセスできる。 むむむ。その手があったか、と感心させられた。 この手法を小説などのエンターテインメント分野などに転用するなら、「この部分はこのBGMを聴きながら読んでください」と指定する、QRコード小説が登場するのではないか? といった夢想も想起させられた。田中康夫が1980年に発表した小説『なんとなく、クリスタル』が「注釈小説」として脚光を浴びた昭和からの読書好きとしては、令和のデジタル時代ならではの「QRコード小説」も読みたいものだ。長生きするのは損ばかりではなく、得もあるのである。 医療や介護従事者向けに、高齢者の擬似体験ができるツールが開発されていて、私も30代だったころ、雑誌の取材を通じて体験させてもらったことがある。ヘッドフォンや特殊眼鏡をかけたり、手足に重りを巻いて、筋力、視力、聴力などの低下を擬似的に体験するのだ。階段を登ったり、風呂の浴槽に入ったりといった何気ない日常行為が、とんでもない重労働に変わった(56歳現在、その違和感には多少慣れてはいるが)。 この本を読めば、それに近い体験ができるのではないか。あなたも、認知症世界を旅してみませんか? 『認知症世界の歩き方』 著者:筧裕介 監修:認知症未来共創ハブほか 発行:ライツ社 定価:1900円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 専門医が当事者として語る『ボクはやっと認知症のことがわかった』 「長谷川式スケール」の開発者が認知症に 続いて読んだのは、認知症介護研究の第一人者で、認知症診断の物差しである「長谷川式簡易知能評価スケール」(長谷川式スケール)を開発した長谷川和夫先生のこの本だ。 先生は2021年11月13日、92歳で老衰で亡くなったが、その5年前から認知症になったことを公表した。この本は、読売新聞社の猪熊律子氏の協力のもと、先生が当事者の目で認知症を語った興味深い本である。 冒頭は、次のようなショッキングな文章で始まる。引用しよう。 どうもおかしい。前に行ったことがある場所だから当然たどり着けるはずなのに、行き着かない。今日が何月何日で、どんな予定があったのかがわからない。どうやら自分は認知症になったのではないかと思いはじめたのは、2016年ごろだったと思います。 認知症の人が自宅を出てどこかへ出かけるとき、鍵をかけたかどうかわからなくなって何度も家に戻ってしまうことはよく知られている。先生にも、そうした症状があらわれたのだ。 記憶というのは「記銘→保持→想起」というプロセスを経ておこなうが、どれか一つに障害が起こると、自分のやった行動を思い出すことができなくなる。「自宅の鍵をかけた」という経験を記憶しておく機能がうまく働かなくなるのだ。 長谷川式スケールは、「お歳はおいくつですか?」、「私たちが今いるところはどこですか?」、「100から順に7を引いてください」といった質問項目があるが、1974年に公表された初期バージョンの最初の質問は「今日は何月何日ですか?(または)何曜日ですか?」というものだった。先生はそのことを、テーブルの上の新聞に印刷された日付を見ないと答えられなくなってしまったのだ。 このときの心境を、先生は次のように語っている。 ボク自身で言えば、認知症になったのはしょうがない。年をとったんだから。長生きすれば誰でもなるのだから、それは当たり前のこと。ショックじゃなかったといえば嘘になるけれど、なったものは仕方ない。これが正直な感想でした。 そのように自分の認知症を受け入れることができた背景には、キリスト教の信仰があったことも大きいと先生は言う。「神様が信仰を与えてくださり、守ってくださっているという感覚があるから、割り切って、ありのままを受け入れるという感じになったのかもしれません」と。 痴呆から認知症へと変わった経緯が興味深い この本では、「長谷川式スケール」の開発秘話も語られる。きっかけは、恩師の新福尚武先生に「長谷川君、見立てが昨日と今日とで違ってはいけない。診断の物差しをつくりなさい」と言われたことだという。 精神科医にヒアリングをし、彼らが診断のために行っていた質問項目を書き出すところから始めたそうだが、そのなかから「できるだけ短時間で行えること(最大限でも20分以内)」、「数値化できるもの」を絞り込んだのだという。 最初の公表から17年後の1991年には、改訂版が公表され、11項目あった質問を削ったり、入れ替えたりして9項目になった。その理由は、質問が時代にそぐわないところが出てきたのと(「大東亜戦争が終わったのはいつですか?」、「日本の総理大臣の名前は?」という質問は削除された)、海外の診断法との比較研究に整合性を持たせるためだったとか。 それから、長谷川先生は2004年、それまでの「痴呆」から「認知症」に用語を変更した際の厚生労働省の委員をつとめたことでも有名だ。このネーミングは先生自身のものではなく、公募により6000件もの提案を受けたなかで選んだものだったそうだ。 もっとも多かった応募は「認知障害」。次いで「認知症」、「記憶障害」、「アルツハイマー(病)」、「もの忘れ症」、「記憶症」の6つが候補にあがった。先生は「3文字が覚えやすくていい」と思っていたというが、最終的にはさまざまな専門医、研究者の意見を取り入れて「認知症」となった。 死ぬまで研究者だった長谷川博士 さて、第三章「認知症になってわかったこと」は、認知症の臨床や研究を半世紀にわたって続けてきた先生が、認知症の当事者になって初めてわかったことが語られる。この本の核心部分だ。 先生はそこで、認知症が「連続している」ことと、「固定されたものではない」ということを指摘する。 普通のときとの連続性があります。ボクの場合、朝起きたときが、いちばん調子がよい。それがだいたい、午後1時ごろまで続きます。午後1時を過ぎると、自分がどこにいるのか、何をしているのか、わからなくなってくる。だんだん疲れてきて、負荷がかかってくるわけです。それで、とんでもないことが起こったりします。 そして、「何かを決めるときに、ボクたち抜きに物事を決めないでほしい」、「認知症の人の言うことをよく聴いてほしい」、「すべての役割を奪わないでほしい」と当事者の立場から健常者に対して望みを伝えている。 ちなみに、先生は当初、自身の認知症をアルツハイマー型認知症と考えていたそうだが、専門病院でMRIなどの画像検査や心理士による神経心理検査を受けた結果、「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」と診断された。80代など高齢期になってから現れやすい、進行が緩やかなタイプの認知症である。 そんな先生が、1年後に2回目の検査を受け、2年後に3回目の検査を受けたのは、「年をとれば認知症が悪くなっていく一方ではなく、多少はよくなっている部分もあるのではないか」と考えたからだという。自ら実験台になったわけだ。そして、「海馬の萎縮や記憶力、判断力の低下などは見られるにせよ、全体として、進行は非常に緩やか」という診断を受けている。 まさに先生は、人生の最後の最後まで認知症の研究者であり続けた人であり、生涯をその研究に捧げた人だったのではないか。 今回、この2冊の本を読むことで、「認知症とともに生きる社会」の輪郭が、少しは見えてきたような気がする。 『ボクはやっと認知症のことがわかった』 著者:長谷川和夫 ...

2022/12/02

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グループホームとは|入居条件や費用、入居時に気をつけたいポイントを解説

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