特集
誰しも年は取りたくないと思いつつ、いつも元気なあの人を思い浮かべては、自分との違いに気をもむことはありませんか?そんな時こそ、第一線で活躍している方たちが大事にしていること、老いについて…などその人自身の「美学」から、日々の暮らしを楽しくするヒントが見つかるかもしれません。 1回目に引き続き、関根勤さんにお話を伺いました。 小堺くんと友だちだったから、早期に病気を見つけられました ― テレビでいつも元気なイメージがありますが、関根さんご自身は年齢を感じることってあるんですか? ありますよありますよ。冠動脈狭窄が発覚した時は、さすがに年を取ったなって思いました。 ― 冠動脈狭窄がわかったのは、何歳の頃だったんでしょう? 62歳の時ですね。実は、その10年くらい前から、悪玉コレステロール値が高いっていうのは自分でもわかっていました。でも、別にどこも悪くならなかったんで放置していたんです。それが悪かったんでしょうね。 ― 病気がわかったのも偶然だったとか。 小堺君のやっていた『サタデープラス』っていう番組の企画で、2人で心臓の検査を受けたんですけど、最初は何ともないだろうと思っていたから、オープニングからすっごいボケまくってね(笑)。色んな人のモノマネもして「いいロケが撮れたぞ!」って帰った次の日に「再検査を受けてください」って。 ― 不安になりませんでしたか? あんまり(笑)。大したことないだろうって思いながら精密検査をしたら「62歳を無作為に100人集めた中で4番目に悪いですよ」って言われました。 ― 4番目!っていうことは、相当悪い方じゃないですか! 「70%詰まっています」って言われました。しかも冠状大動脈の一番太いところが2ヵ所。詰まりが70%以上になると、何かしらの症状が出るらしくて、僕はギリギリ手前で見つかったわけ。 ― ひいぃぃぃぃぃっ!! 「検査の当日に手術もできますが、後日、気持ちを整えてからでも大丈夫です」と。でも、10年くらい前に出た番組で、カテーテル手術がいかに優れた手術なのかを学んでいました。そこから、さらに進歩しているだろうっていうのもあったし、また手術するために来るなんて面倒くさいじゃないですか。だから、その日にお願いしました。 ― 手術は……いかがでしたか? 全然大したことはなかったですね。手首の動脈からカテーテルを入れて、詰まっている部分に、血管を広げるステントっていう金属性の器具をポンって入れるだけ。麻酔も手首だけの局部麻酔でしたし、ほかはどこも痛くないんですよ。 ― 早めに見つかって良かったですね。 本当に。小堺くんの友だちで良かったです。あの時に番組で検査しなかったら、2年後に倒れていたかもしれない。 孫との時間が、自分が子育てをしていた時代に連れ戻してくれる ― そのほか、日常の中で“老い”を感じることはありますか? ギックリ腰ですね。65歳を過ぎてから、何回かなりました。ただ、僕の場合は、まったく動けなくなる100%のギックリ腰じゃなくて、いつもの3倍くらい時間をかけてだったら歩ける70%くらいのギックリ腰です(笑)。 ― それはそれで辛そうです(笑)。 ゆ~っくり移動して整体に行って治療してもらって、何とかしのいでいます(笑)。 ― ギックリ腰にならないように、気を付けていることはありますか? ストレッチはじめましたね。太ももの前と裏と股関節を。それやるようになってからは、ギックリ腰もめったにならなくなったし、腰痛もだいぶ楽になりましたね。 ― 多くの方が心配される「物忘れ」は大丈夫ですか? もうね、全然人の名前が出てこない(苦笑)。ところが、その人の周辺情報は出てくるんですよ。「えーっと、●●●っていう番組に出ていて、誰々さんのお嬢さんで……」って。映像は頭に浮かぶんだけど、名前が出てこないわけ。だから、僕なりの記憶法を考えました。 ― どんな記憶法ですか? ちょっと気になります。 例えば「ブラッド・ピットは、F1レースのスポンサーの息子」って覚えたんです。スポンサーの息子だから、ブラっとピットに入ってきちゃう。 ― そうか! F1会場とピットの映像から「ブラッド・ピット」になるんですね(笑)。 そうそう! 自分に合った記憶法を作ればいいんだって思って、55歳ぐらいの時に編み出しました。 ― なんかダジャレっぽくて、関根さんっぽいです。 あとは、孫と一緒にいることがボケ防止になっているのかな~。 ― たしか、女の子のお孫さんが2人いらっしゃるんですよね。 いま、7歳と3歳。一緒に遊んだり、お風呂で髪を洗っていたりすると「あれ?これ、前もやったことあるぞ?」って思うんです。麻里を育てていた頃と重なるんですよ。だから、孫たちと一緒にいると30代の気持ちに戻れるんですよね。 理想は生涯現役、引退は「オファーがなくなったら」 ― ステキなボケ防止法ですね。ちなみに、お仕事はいつまで続けようとか考えていますか? 個人的には、死ぬまでやりたいですね。 ― 芸人の理想ですよね。 まぁ、オファーがなくなった時が引退かな、というのはありますね。もしかしたら今後、本を出版したりして「もう一度頑張りたい!」って思うこともあるかもしれませんが……。でも、これから麻里が頑張ってくれたら、バーターとしてテレビに出られますし(笑)。 ― 麻里さんのバーター(笑)。ちなみに、趣味のゴルフはいつまで? ゴルフはずーっとやり続けたいですね。今後、車は自動運転になるだろうし、それに乗れば自分で運転しなくてもゴルフ場に行けます。80歳を過ぎたら、そういったテクノロジーに頼りながらゴルフやりたいですね。 ― マイペースに仕事と趣味を楽しむ。いい老後ですね。 21歳でこの仕事をはじめて、ゆっくり山を登っていって、51歳で30年。本当はね、ここからゆっくり30年かけて下っていって、81歳のゴールデンウィーク明けにぽっくり逝くのが夢なんです(笑)。最後は隔週のラジオ番組が残っていたらうれしいですね。 ― かなり具体的に考えていらっしゃるんですね。 だけど、孫娘の成人式を見たいっていうのもあるんだよね。下の子の成人式となると、僕は86歳。それまでは死ねないですね(笑)。 ― きっと86歳は、芸能界の中でも長生きされた方になるんですよね? そうですね。でもね、意外と80歳を超えても現役で続けている方ってたくさんいらっしゃるんですよ。伊東四朗さんに欽ちゃん、大村崑さんは90歳を超えています。 ― 本当ですね! 欽ちゃんは80歳になってからYouTubeを始めてますし! あとデヴィ夫人ですね。夫人は本当にすごいですよ。いまでも現役で輝いていますし、我が道を行っている。 ― たしかに!デヴィ夫人はお年を聞いて驚いてしまうほど、精力的ですよね。 僕も、80歳を過ぎたら「あーたねぇ」って言おうかな(笑)。それは冗談だけど、芸能界には尊敬すべき先輩方がいらっしゃるんで、みなさんを目標に、力の続く限りやっていきたいですね。 関根勤1953年生まれ、東京都出身。大学3年生の夏休みに、TBS『ぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」で5週連続勝ち抜き、初代チャンピオンに輝き芸能界デビュー。「ラビット関根」という芸名でピン芸人として活動するかたわら、同じ浅井企画所属の小堺一機と組んだ「コサキン」で注目を浴びるように。代表作は『カックラキン大放送!!』『欽ちゃんのどこまでやるの!』『コサキンDEワァオ!』『笑っていいとも!』など多数。現在でも、バラエティー番組の第一線で活躍している。 約4年ぶりに開催が決定しました!「徹底してバカなことをやる!」とはじめて、今年で34回目。コロナ禍の影響で3年連続公演中止となっていましたが、4年ぶりに開催が決定しました。「みんな年を取ってきて、真夏の舞台が厳しくなってしまったからね」ということで、今年から4月に変更となりました。『カンコンキンシアター34 クドい!~飯尾和樹スターに成りました~』 会場:銀座 博品館劇場 日程:2023年4月21日(金)~30日(日) 11回公演
2023/02/28
誰しも年は取りたくないと思いつつ、いつも元気なあの人を思い浮かべては、自分との違いに気をもむことはありませんか?そんな時こそ、第一線で活躍している方たちが大事にしていること、老いについて…などその人自身の「美学」から、日々の暮らしを楽しくするヒントが見つかるかもしれません。 第一回目は、いつも朗らかな笑顔の関根勤さんにお話を伺いました。 小堺くんといると、28歳の“バカバカしい” 自分に戻れる ― 昔からテレビ等で拝見していますが、関根さんは全く印象が変わっていないな、と。何か、年を感じさせない秘訣はあるんですか? 今でも時々、小堺くんと会っているからかな? 2人でやっていたラジオは、「中2男子の放課後の雑談」って言われるくらいバカバカしい放送だったんですよ。僕が28歳の時に始めて、そこから27年半続けました。今でも年に1~2回、特番として放送していますよ。 ― 28歳の自分に戻れる場所なんですね。 そうですね。あとは、小堺くん、欽ちゃん、さんまさん、タモリさんとかに出会えたのも大きいですね。運がよかったのもあるとは思いますが、自分の仕事を邁進していたから、同じ志の人と合流できたんだと思います。 ― みなさん、それぞれ自分の道を歩いていらっしゃいますが、そうか……その道を一生懸命生きていく事が大切なんですね。 そうだと思います。自分の道を一生懸命歩いているから、みなさん今でも元気で楽しくやっているんじゃないでしょうか。 ― “楽しくやっている”、と言えば、昨年は『お笑いの日2022』で、久しぶりにコントをされていましたね。 最初は、若手の中に僕らが入って浮くんじゃないかって、ちょっと心配していました。だから、小堺くんに相談して、一番ベテランっぽくない、一番バカバカしいコントにしようって。 ― こう言っては失礼ですが、くだらないことを心から楽しんでいるな、と思ってしまいました。 ベテランのくせにイキっちゃって……と思われたくなかったのと、やっぱり小堺くんと出られるのが単純にうれしかったね。 デビューからの10年間は、思えば公開修行だった ― 今年でデビュー49年目。1974年の『ぎんざNOW!』で、いきなりテレビデビューされましたが、その時はどんなお気持ちでしたか? 当時は普通の大学生だったので、今思えば乱暴ですよね(笑)。 ― 確かに、いきなりレギュラーですもんね。(笑)。 僕は、もともと芸人さんたちを尊敬していたので、浅井企画の社長にスカウトされた時も「僕じゃ通用しません」ってお答えしたんですよ。でも「いや、コント55号を育てたこの浅井が保証する」って言われて、浮かれちゃってね(笑)。 ― その『ぎんざNOW!』から今まで、レギュラーが切れたことがないとか? 実はそうなんですよ! ― そこまでレギュラーが途切れない方って、あんまりいないですよね。 うーん、どうだろうね…。でも、はじめの10年くらいはうちの社長の力だね。『ぎんざNOW!』は自力で「しろうとコメディアン道場」を5週勝ち抜いてレギュラーになったんだけど、『カックラキン大放送!!』も『欽ちゃんのどこまでやるの!』も社長がきっかけ。 ― 小堺一機さんとのコサキンコンビの「クロ子とグレ子」ですね。 最高視聴率40%を超える人気番組でね、僕たちは一番下っ端で出させてもらっていて「5分やるから2人で何かやれ」と。で、面白ければオンエア、つまらなければカットっていう、毎週オーディションみたいなことをしていました。 ― そこから欽ちゃんファミリーに入られたんですよね。 運が良かったですね。その後が『笑っていいとも!』。これは29年間、出ていました。ここぐらいからですね、自分の力でやっていけるようになったのは。32歳の時だから、10年以上はかかりました。 ― 意外です。関根さんには、苦労されているイメージがなかったので……。 僕の場合は、本番中に修行していたような感じで、番組のカラーがうまく隠してくれてたんでしょうね(笑)。 その場に適応していくために、自分のお笑いを変えなければいけないと思った ― 『笑っていいとも!』に出演されたきっかけは何だったのでしょう? 小堺くんの『小堺クンのおすましでSHOW』っていう舞台のコントに出ていたんだけど、それを見たテレビ局の人が「関根くん、けっこうやるじゃん」って。だから、これは自分の実力ですね。まぁ、本当のところは小堺くんのおかげかもしれないですけど(笑)。 ― やはり小堺さんの存在は大きいんですね。 小堺くんは、僕の2年後に『ぎんざNOW!』を勝ち抜いて浅井企画に入ったんで、その頃からの付き合いですね。28歳の時に、2人で『夜はともだち コサラビ絶好調!』っていうラジオ番組をはじめて、これが僕のお笑いのベースになっています。 ― ベースがラジオというのも、また意外ですね。 当時、TBSラジオで松宮一彦アナウンサーが月曜から金曜まで帯番組をやっていたんですが、ひょんなことから木曜日だけ僕らが担当することになって。その時間帯のリスナーは松宮さんのファンばかりだから、完全にアウェイ。はじめは、ハガキが2枚しか来ませんでした(笑)。 ― えっ!? それは大問題じゃないですか? 番組が成り立たない(苦笑)。 だから、1~2ヵ月経った時に、小堺くんに「ラジオに行くのが嫌だ」と言ったんです。芸能生活の中で、初めて逃げたいと思いました。 ― 追い詰められてしまったんですね……。 ですね。でも、新人の僕らが辞めたいと言っても、事務所が許さないと思ったんで、好き勝手やってクビになろうと決めたんです。 ― そうすれば、「頑張ったけど、実力が足りませんでした」ってことになりますね。 そう。だから、普段から小堺くんとやっているような、ふざけたことばっかりしていたのに、全然クビにならないんですよ。ラジオで「ハガキが2枚しか来ない」と、グチってたら、ハガキの枚数もどんどん増えていって。 ― すごい! そのうち、リスナーの方が僕らの上をいく、くだらない妄想話を送ってくれるようになってね。そこで「ナンセンス」っていう僕のお笑いのベースが出来上がりましたね。 ― それ以前から、関根さん自身がシュールとかナンセンスっぽさを持っていたんでしょうね。 そうだと思います。1989年に、ナンセンスとクドさを詰め込んだ舞台『カンコンキンシアター』をスタートしました。 ― 今年の4月にも新しい公演をされる、毎年恒例の舞台ですね。 そうです。でも、同時期にスタートした『ギャグ満点』っていう深夜番組でも、舞台と似たようなことをしていたら、それは3ヵ月で終わりました。 ― ドラマみたいに1クールで……。 結局、僕のお笑いはテレビには向かないんだ、テレビ用に変えなきゃいけないんだっていうのを学びましたね。 ― 失礼ながら……、自分の笑いはテレビ向きじゃないって自覚した時は、やっぱりショックでしたか? 「あ、やっぱりな!」って感じ。すぐに切り替えましたね。芸能界は適応しないといけませんから。それで言ったら、モノマネもそうかもしれませんね。 ― 関根さんのモノマネにも、独特なエッセンスが入っていますよね。 声やしぐさを完全に真似するプロと比べると、やっぱり僕のクオリティーは低いんですよ。それで、何か足さなきゃと思って「情報」を入れることにしました。 ― ひとつお願いしてもいいですか(笑)? (千葉真一さんのモノマネで)私の妻の野際陽子は、日本で初めてミニスカートを履いた女優です。 ― 注目する点をズラしちゃうんですね(笑)。 そう! 似ているかどうかは、二の次になるんです(笑)。もちろん、嘘は言ってないですよ、嘘は。 関根勤1953年生まれ、東京都出身。大学3年生の夏休みに、TBS『ぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」で5週連続勝ち抜き、初代チャンピオンに輝き芸能界デビュー。「ラビット関根」という芸名でピン芸人として活動するかたわら、同じ浅井企画所属の小堺一機と組んだ「コサキン」で注目を浴びるように。代表作は『カックラキン大放送!!』『欽ちゃんのどこまでやるの!』『コサキンDEワァオ!』『笑っていいとも!』など多数。現在でも、バラエティー番組の第一線で活躍している。 『カンコンキンシアター』が約4年ぶりに開催決定!「徹底してバカなことをやる!」とはじめて、今年で34回目。コロナ禍の影響で3年連続公演中止となっていましたが、4年ぶりに開催が決定しました。「みんな年を取ってきて、真夏の舞台が厳しくなってしまったからね」ということで、今年から4月に変更となりました。『カンコンキンシアター34 クドい!~飯尾和樹スターに成りました~』 会場:銀座 博品館劇場 日程:2023年4月21日(金)~30日(日) 11回公演
2023/02/27
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