Contents
― 榊原さんも、もう64歳になるんですね。そんなふうに、年齢を実感する瞬間なんかはありますか?
うーん、改めて年齢を意識して何かするっていうことはないです…けど、あ!この前ジェットコースターの仕事があったんですが、65歳が年齢制限となっていて、そのときは意識しましたね(笑)。
― 榊原さんにジェットコースターに乗るお仕事の依頼が来るんですね(笑)。
来ます、来ます。小さなお子さんから若夫婦、おばあちゃんまで幅広い年齢層で楽しめますよ、なんていう紹介をしたいときは、間違いなく私は“おばあちゃん枠”ですから。
― 見た目にはすごく若々しく感じられるんですが、例えば肉体的な“老い”なんかはあったりしますか?
年齢を意識して「老いたな」と感じることはないです。60歳の手前…例えば50代の頃に「疲れがなかなか取れないな」と感じることはあったかもしれません。だけど、もうそこは通り過ぎていて、生きてるのは“今”ですからね。特別に意識することは…
― そんなに意識することでもないですよね。
あ!でも。ありがたいことに、これまで継続的にお仕事をいただいているんですが、その中には舞台もあるんですね。この前も舞台をやらせていただいたんですが、そのときはちょっと年齢を感じたかもしれません。
舞台っていろんな世代の方々とともにひとつの作品を作り上げていくんですが、“みんなでひとつのカンパニー”というような意識でやっているので、足並みを揃えるためにも一緒にウォーミングアップをしたりするんですね。そんなとき、他の演者さんを見て「若いときは、あれくらいできてたなー」と思ったりはしましたね。
― 年をとるにつれて、そう思うタイミングは増えてきそうです。
でも一方では、若いときあれだけやっといてよかったな、だから今も少しは動けるな、とも思っています。“今”の体力はこれまで継続してきた財産ですね。
― では、“精神的な老い”みたいなものは、いかがですか?
そっちの方が感じるかもしれないですね。
バラエティー番組に出させてもらったりすると、アンテナの高さとか、アンテナの感度の鋭さっていうのはもう、ものすごく鈍った感覚はあります。
TikTokとか、やっぱり時代的なものすべてについていくのは難しいです(苦笑)。
― ただ一方で、バラエティー番組なんかでは“ついていく”ことが求められたりしませんか?そういうときはどうするんでしょう?
これでいいの、って受け入れることですかね~。あんまり無理して若い人たちのテンポに合わせようとしたって息苦しいだけですから。酸欠状態になってまでついていこうとは思っていないんです。
― すごい。自然体ですね。
自分がそこに到達できていないのは、それはもう自分の勉強不足だなと思っています。足りてないと思った部分に関しては皆さんに教えてもらって。
ファッションや言葉、それから、歌やリズムのようなのも。自分から率先して食いつくエネルギーが持てないものに対しては、「へー、そうなんだー」なんて言いながら柔軟に受け入れられるような気持ちでいたいなと思っています。
― そういう自然体なスタンスが人を惹きつける榊原さんならではの魅力なんでしょうね。
自分ではよくわからないです(笑)。
― 一般的には…ですよ?今の時代だったらスマホでもなんでも調べようと思えば簡単に調べられるところを、“教えてちゃん”になるとてうっとうしがられちゃうような面もあると思うんです。
私としては、知っている人が目の前にいたら聞いた方が早いと思っちゃいますし、あとは人が検索してくれたのを覗き見させてもらったり、そういう方法もありますから(笑)。
― それが許される人と、そうでない人もいるんですよね。榊原さんは間違いなく前者で、それは自然体かつ広い心をもって生きてきた蓄積なんだろうなぁと思います。
息子にはよく、「自分で調べろよ」って言われますけどね(笑)。
― 話は変わりますが、榊原さんといえば初代・ピーターパンとしても有名ですが、そのほかにも“初代”“第一回目”が多いそうですね。
そもそもデビューのきっかけがホリプロタレントスカウトキャラバンの第1回でしたし、あとは…『さんまのまんま』の第1回目のゲストとしても呼んでもらえましたね。そういう、「ゼロから作り出そう」っていう場によく呼んでいただけたのは、本当に運が良かったな~と思っています。
― 運…もあるでしょうし、あとは榊原さんの類まれなる“巻き込まれ力”もあるんだと思います。
“巻き込み”っていう話で言うと、渡辺は“巻き込み力”が強い人でしたね。自分から人を寄せつけて、その人たちと何かを始めよう!っていうエネルギーに満ちた人でした。
私はどちらかというと、何かに引っ張られて、巻き込まれて…自分から発信して巻き込んで…じゃないところはありますね。
― それでも決して“他人事”にはしないんですよね?
そりゃそうですよ~。巻き込まれた側なりに、すごい場にいるなってことには気づいているわけです。そんな現場で他人事ヅラはしてられないですし、自分ができる範囲のことはしっかりやるしかないです。
なんでもそうですけど、終わりって来るじゃないですか。そのときに「自分は精一杯やったんだ」「もし泣くとしても、嬉し涙や感動の涙にしたいな」という思いは持っています。
― 精一杯やりきるって簡単におっしゃいますが、実はかなりストイックな言葉ですよね。
しんどい…ですね、確かに。でも性格だから仕方ないです(笑)。
そうそう、ピーターパンをやっているときに、とある人に言われたんです。「長く続けたいんだったら、ある程度は余力を残しながら、やった方がいいよ」って。自分の力が100%あるとしたら70~80%でやりなさい…って、私にとってはその方がよっぽどしんどくて。
だって、自分にわかりやすく目盛りがついているんだったらわかりやすいですよ?でも、人間にはそんな目盛りはないじゃないですか。目盛りがあったら「今70%だな。ここらへんで止めとこう」なんてできますけど、それがないんだから、そういう調節を考えることの方が疲れちゃって。
― 確かに、それはそうですね。
それだったら、自分がその日、その1回、そのときで出し切れた方が気持ちがいいですよね。疲れるけど、同じ疲れるんだったら気持ちいい方がいいですよね。
― 私は個人的に、榊原さんの代表番組といえば『郁恵・井森のお料理BAN!BAN!』だと思っているんですが、出ていらした郁恵さん御本人がそんな気持ちで臨んでいたとは…。
あの番組は、本当に視聴者目線を大事にされるスタッフさんが作っていらして、その仲間に入れてもらって。そんな環境にいたら、やっぱりこっちも気持ちが入りますよね。
実は当時の私はまったく料理ができなかったので、そういう意味ではとても大変でしたけど。でも楽しかったな~。
― 井森美幸さんとお2人で、なんというかドタバタ喜劇を観ているような感じでした(笑)。
本編がNG集みたいなところもありましたからね(笑)。でも、あの感じこそが日常だったりするじゃないですか、家庭で料理するのって。
― そうですね。
そもそものスタートが“嘘をつかない料理番組”のような感じだったんです。料理のできない私たちが中華や和食を作るのですが、料理研究家の先生方に教えてもらって、段取りから調理の工程まで全てを見せちゃうのが基本スタンスだったんですよね。
お料理番組って、「はい、これとこれを5分間煮込みます。煮込んだものがこちらです」なんて出来上がりをパッと差し替えたりするのが普通なんですが、そんなのは一切なしで。
― 放送時間がきっちり決まっているテレビ番組だと、その方が効率的ですしね。
でもそれって、観てくださる方にとっては現実味がないというか、「私も作ってみよう」という気持ちにつながりづらいですよね。
例えば、近所のスーパーで売ってないような高級食材を使うレシピだと、「先生、こんなの手に入らないですよ~」なんて言って、代用できるものがないかみんなで考えたりしていましたね。
あとは、収録中にフライパンの油がうわぁ~!って跳ねたりしても、それはそれでOKで、「そういうときはこうしましょう」なんて言って対処法を考えたり。
― NGにはならないんですね(笑)。
そういう事態だって生活の一部だったりするわけですからね。「嘘のない料理番組」ではそれらも全然NGではなく、むしろ歓迎的なOK要素だったんですよね。
「家庭で簡単に再現できる料理を作ろう」って、制作に関わった全員が同じ方向を向いていたんです。皆が一丸となった現場をご一緒させていただいて幸せでしたね。
榊原郁恵
1959年5月8日生まれ、神奈川県出身。「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝して芸能界入り。歌手として『夏のお嬢さん』などヒット曲多数。一方で、7年間にわたって舞台『ピーター・パン』の座長を務めるなど女優としても活躍。1987年に渡辺徹さんと結婚してからはタレントとしてバラエティ番組にも活躍の場を広げ、『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)の総合司会を1987~2000年の13年間にわたって務めた他、数々の番組に出演。2023年11月からは、息子の渡辺裕太さんと2人で朗読劇『続・家庭内文通』を全国6ヵ所(東京、愛知、山形、宮城、茨城、岩手)にて公演予定。岡田惠和さん脚本、鵜山仁さん演出でお届けします。
介護施設への入居について、地域に特化した専門相談員が電話・WEB・対面などさまざまな方法でアドバイス。東証プライム上場の鎌倉新書の100%子会社である株式会社エイジプラスが運営する信頼のサービスです。