「定年」というのは、ルーツをさかのぼれば江戸時代の隠居制度(家督を次代に譲って社会生活から遠ざかる)までいってしまうらしいが、1933(昭和8)年の内務省調査によると、その年齢は、50歳とする企業が60%弱、55歳とする企業が35%だったという(336社のうち140社がそのような定年制を採用していた)。
戦後の日本人の一般家庭を舞台にした『サザエさん』の波平さんが54歳なのは有名だが、これは「定年年齢にさしかかった、枯れた昭和のサラリーマン」を体現するための設定年齢だったのだろう。
ひるがえって、定年年齢が50代から60代までに伸びたのはいつごろからなのか?
あらためて調べてみると、高年齢者雇用安定法(高齢法)の改正によって「60歳定年」が企業の努力義務になったのが1986(昭和61)年、「60歳未満の定年が禁止」されたのが1994(平成6)年。その流れの中で、一定の年齢に達した社員が、課長や部長などの役職から退く「役職定年制度」(一部では「やくてい」と呼ばれているらしい)が登場している。
そして、2013年の高齢法改正では「65歳までの雇用確保措置」が義務化した。雇用確保措置とは、「定年の65歳までの引上げ」「65歳までの継続雇用制度の導入」「定年制の廃止」のいずれかの措置を事業主に課すことをいう。
さらには、2020年の高齢法改正では、「70歳までの就業確保措置」が事業主の努力義務とされた。つい、3年前の出来事である。
つまり、「60代定年」の歴史はそれほど古くないのである。「70歳定年」の経験者については、まだ微々たる存在に過ぎない。その結果として、多くの人がその生活の実態をイメージできない、未知の存在になっているということになる。
最近、「定年」にまつわる本が多く出版されているのは、そんな定年後の生活の実態を可視化してほしいというニーズが高まっているからだろう。
そんななかで注目されている、坂本貴志氏の『ほんとうの定年後』をレビューしていこう。
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最初に断っておくが、この本の文章は非常に読みづらい。論文調で、砂を噛むような退屈な文体である。その理由は、はっきりしている。というのもこの本は、リクルートワークス研究所のアナリストである坂本氏が同所の研究プロジェクトを通じて書いた論文がもとになっているからだ。論文調なのは、もともとが論文だからなのだ。
にもかかわらず、私がこの本をお薦めしたいのは、多くの人にとって未知の存在である「定年」の実状を誰にもわかりやすい形で提示してくれているからである。
しかも、本が始まって4ページ目に、ズバリ結論から述べている。引用しよう。
定年後の仕事の実態を丹念に調べていくと浮かび上がってくるのは、定年後の「小さな仕事」を通じて豊かな暮らしを手に入れている人々の姿である。さらに明らかになるのは、このような定年後の「小さな仕事」が必要不可欠なものとして人々の日々の暮らしの中に埋め込まれており、かつそれが実際に日本経済を支えているという事実である
この本が語っている定年後の生活の「典型」は、これ以上でも以下でもない。
若いころからの投資の恩恵で働くことなく左手ウチワで暮らしている金持ち父さんでもなければ、年金だけでは食っていけず、低賃金労働に身を投じてぢっと手を見ている貧乏父さんでもない。
定年後の「典型」は案外、のんびりしていて、けっこう豊かであるという、夢のある話なのだ。素晴らしいではないか。
坂本氏は、定年者の「典型」をあぶり出す手段として、ふたつの方法を用いている。
ひとつは、コロナ前の2019年の統計データを用いて定年後の実態を検証する「第1部 定年後の仕事『15の事実』」と、7人の定年者のインタビューを通じて個別事例を紹介する「第2部 「『小さな仕事』に確かな意義を感じるまで」である。
そして、「第3部 『小さな仕事』の積み上げ経済」では、第1部と第2部で明らかになった定年後の実態を前提として、少子高齢化が進む日本社会がどのように変わっていかねばならないかを提言している。
第1部で示される「15の事実」をここで列挙してみよう。
「事実1」で国税庁の民間給与実態統計調査のデータをもとに明らかにされるのは、「60歳以降の就業者の年収の中央値は280万円(平均値では357万円)で、60代後半には180万円まで下がる(平均値だと256万円)」ということ。
このことは、次に続く「事実2」、および「事実3」にもつながっている。
実は、人生のうちでもっとも生活費を必要とするのは、30代後半から50代前半にかけての年代である。家族の食費に子どもの教育費、住宅費、税・社会保障費と、とにかくお金がかかる。そのあたりは、現在56歳で3人の子どもを養育中の私にも納得できる話だ。
だが、50代後半以降は、そうしたお金がかからなくなり、「生活費は月30万円まで低下する」し、「稼ぐべきは月60万円から月10万円に」なるのである。
なるほど、でも、3人目の長女が20歳になるのは、私が60歳のときだから、月10万では辛いなぁと個人的には思ったりして。でも、バブル崩壊を経験し、これから定年を迎えるサラリーマンにはおおむね、2つの事実は納得できるものなのではないか。
興味深いのは、「年をとって収入が下がっても、使うお金も少なくなるので大丈夫」という状態を維持できているのが、悪名高い「年功序列」を基本として組み立てられている日本の雇用慣行にあると坂本氏が指摘していることだ。
データからは、特定の時期に個人が受け取る収入は、その時期に必要になる家計支出額に応じて決まることわかる。人生で最も稼ぎが必要な時期があって、それに応じて高い報酬が支払われる日本型の雇用慣行は、こうしてみると実によくできた仕組みともいえる。
理屈上、給与は各従業員の能力やパフォーマンスによって決まるべきであるが、実際の従業員の給与はそのように決まってはいないのである。
「年功序列」の悪名の高さは多くの人にとって、周知のことだろう。とにかくここ最近、これを擁護する人の声をトンと聞かない。
もちろん、坂本氏も「少子高齢化による中高年社員の増加、転職の一般化などから、日本型雇用慣行は制度疲労を起こしており、時代にそぐわないものになった」ということは認めている。
現代人が『サザエさん』の波平さんの設定年齢が54歳であることに対して、「えっ!?」と驚いてしまうのは、「年寄り」の概念が昔と今とでは大きく違ってきたからだ。
医療技術の進歩や食糧事情、生活環境などが昔から比べて大きく改善されて現代においては、60歳を過ぎても20代後半から40代の壮年世代と張りあえるほどのバイタリティを持っている人は多い。そんな社会にあって、「年齢」を一律の基準として50代後半に役職の座から引きずりおろし、有無を言わせず収入減を押しつけ、60代後半で会社から追い払うというのは、いかにも理不尽だ。
だが、坂本氏はこう反論するのである。
定年制など現行制度の功罪を考える際には、この制度によって何が達成されているかを考える必要がある。まず、組織で健全な新陳代謝が行われているのは、まぎれもなく定年制のおかげである。こうした仕組みを通じて現在の役職者の任が解かれた結果として、仕事において大きな責任を負い、社会に大きな影響を及ぼしたいという意欲あふれる次世代の人たちが実権を握れるようになる。強制力をもった制度があったからこそ、現役の役職者もまた、こうしたプロセスのなかで組織内における地位を築けてきたはずである。
そうして考えてみると、日本型雇用慣行のカウンターとして導入されたジョブ型「職務給」や、職務の難易度や責任の度合いを等級に分けて報酬を決める「職能給」、仕事による結果のみを評価する「成果給」が脚光を浴びながら、そんなに馴染んでいかなかった理由も理解できるような気がするのだ。
では、月10万円の稼ぎによってもたらされる「豊かな暮らし」というのは、どんなものなのか?
第2部で紹介される、7人の実例の特徴について、坂本氏はこうまとめている。
定年後の人々の状況は実に多様であり、定年前と全く変わらずに仕事ができる人もいれば、病気を患うなどして仕事をすることすらままならない人もいる。
こうしたなか、あえて定年後のキャリアの平均的な姿を描けば、体力と気力を中心に仕事に関する能力が緩やかに低下し、これに合わせて仕事のサイズが小さくなる。しかし、そうしたなかでも、目の前にある小さな仕事に対して確かな意義を感じていく。このような姿がむしろ定年後のキャリアの典型なのである。
それでも「本当か?」と疑う人は、本を手にとってよく読んでほしい。少なくとも私は大いに納得した。
未知なる「定年」という未来に必要以上に怯えることはないし、かといって過大な期待も必要ない。そんな心構えを身につける書として、本書は格好の手引き書になるだろう。
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