最近、多くの人が「死」について語り始めている。書店の棚を眺めてみれば、一目瞭然。その手の本がいくつも見つかるはずだ。日本の高齢化と、それにともなう「多死社会」の到来が顕在化したことの証しだろう。
死はどうあるべきなのか? 自らの死をどう迎えるべきか?それを深く考えさせる2冊を紹介しよう。
おっ、なんだ!? と目を惹かれる題名である。『うらやましい孤独死』──。一般的にネガティブな意味で使われる「孤独死」の3文字に「うらやましい」という形容詞を冠したところにインパクトがある。すごい。
著者の森田氏は、1971年横浜市生まれ。一橋大学経済学部卒業後、なぜか宮崎医科大学医学部に入学し直したという異色の経歴を持つ医師。宮崎県内で研修した後には財政破綻した北海道の夕張市の診療所に勤務。現在は鹿児島県で「ひらやまのクリニック」を開業しているという、何から何まで異色な道を歩んできた人だ。
そんな森田氏が初めて「うらやましい孤独死」という言葉を聞いたのは、夕張市にいたときのこと。ある高齢女性が自宅のソファーで亡くなっているのが死後数日経って見つかったとき、その妹の女性がこうつぶやいたのだという。以下に引用する。
「本当にうらやましいよ。コロッと逝けたんだもの。あの歳までずっと元気に畑もやっててね。夕張のみんなに囲まれてさ。やっぱりここがいいんだよ、住みやすい。都会には行けない。都会行ってアパートだの、施設に入りなさいって言われてもね。夕張で最期までみんなと元気にしててコロッと逝けたらいいよね。本当にうらやましい。都会に行ったら早死にしちゃうよ」
姉の死に直面したその女性の言葉には、新聞の見出しに「孤独死した高齢女性の部屋に見た痛ましい現実」と煽られるような悲痛な響きはいっさいなかったという。
読者はこの冒頭の記述で、「孤独死」という言葉に抱いていた固定観念のようなものをガバッと剥がされたような気持ちになるはずだ。
そして、そのまま読み進んでいけば行くほど、そんな「目からウロコ」体験が次々と畳みかけてくるのだ。
例えば、「『認知症になったら何もわからなくなる』というのは誤解である」という一文がある。
鹿児島県の山間部で高齢独居の生活をしていた90代の女性は、重度の認知症になったにもかかわらず、「病院にも施設にも行かない。この集落から出ない」と言って、周囲の在宅介護サービスなどの支援を受けながら、自宅で亡くなるまで独居生活を続けたという。
あるいは、腎臓が弱っておしっこが出にくくなって、医師から人工透析治療を薦められてもこれを拒否し、亡くなるまでその意思を通した90代の女性の話も出てくる。
おしっこが出にくくなったなら、そのかわりに水分や老廃物を血液から抜き取るのが「人工透析」の目的だが、医療業界内では、これをしないと「苦しみながら溺れるような最期を迎える」という噂があるというが、その女性は一切苦しむことなく、眠るように人生の幕を閉じたそうだ。
こうした「うらやましい孤独死」の事例を紹介しながら、森田氏は「医療の市場化」こそが「悲惨な孤独死」を生んだ現況なのである、と断罪する。
飲み込みが悪くなれば、腹部に胃ろうを入れ、栄養を直接送ればいい。
呼吸が困難になれば、人工呼吸器をつないで肺に空気を送ればいい。
腎臓が機能しなくなりおしっこが出なくなったら、人工透析で血液を濾過すればいい。
寝たきりでトイレに行けなくなったら、おむつに排泄してもらえばいい。
そうした医療的、介護的には正解な判断が、実は高齢である当事者の意思とは関係なく行われていることが高齢者の悲惨で不幸な死を生み出しているというのだ。
そこで森田氏は、「孤独死」であるにもかかわらず、「うらやましい」と言えるための2要件を提唱している。
「孤独死」という言葉は学術的に定義されているわけではなく、「一人暮らしの人が誰にも看取られることなく亡くなり、死後に発見されること」を一般的に指すという。
だが、この本を読めば問題の本質は「孤独死」そのものではなく、「死んだことを気づかれないほど、生活が孤立していること」のほうにあることがよくわかる。
読書には、その本によってそれまで抱いていた固定観念や常識を揺るがされ、「目からウロコ」体験をすることに醍醐味があると思うが、その意味において本書は自信をもってお薦めすることができる。
ただ一点、「『死』の直前に至る生活が孤独でないこと」を実現するのはむずかしいことだと感じたことも事実である。特に、故郷から離れ、すでに都会に移り住んでしまった人には。
国連の「世界の都市人口の展望」によれば、東京の都市人口は2025年まで世界第1位の予測となっていて、なかでも埼玉、千葉、神奈川を含む東京圏には日本の総人口の約3割が居住しているという。
そのような、住み慣れた故郷を失った人たちにとって、「うらやましい孤独死」は望んでも望みきれない現実があるようにも感じるのである。
こちらの本の著者の川口氏は、1964年生まれ。
京都大学教育学部卒業後、バブル経済まっただ中のリクルートコスモス(現コスモスイニシア)に入社し、想像するに、世間を揺るがす「リクルート事件」の渦中で組織人事および広報を担当。同社を退社後、組織人事コンサルタントを経て、2010年より高齢社会に関する研究活動を開始。約1600人にのぼるモニター会員を持つ「老いの工学研究所」にてアンケート調査やインタビューなどのフィールドワークを通じて高齢期の暮らしの実態を追求しているコンサルタントである。
この本も、題名が印象的である。『年寄りは集まって住め』──。本の主張がそのまま題名になっているのである。過不足なく。
「いきなり結論から申しますと~」との決まり文句から始まる、プレゼン上手なコンサルのセミナーに出席したかのような緊張感が走る。
「年寄りは集まって住め」と言いながらも、この本は高齢になって身心ともに衰えた高齢者を姥捨て山のような施設に送り込むことを推奨しているわけではない。
実際、2020年9月、兵庫県明石市のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で起きた、職員による入居者への虐待事件を例に挙げて、その原因を次のように述べている。
サ高住とはいえども、実態はほとんどの入居者が要介護状態となり、入居者同士の会話や交流もなくなって、自室にこもって介護サービスを受けているような人が多い施設だったからこそ起きたことだと思います。
川口氏は、主宰する「老いの工学研究所」の約1600人のモニター会員たちの共通項をこう分析している。
今では想像できないようなムラ社会、強いストレスを含んだ共同体から逃れ、高度経済成長期に都会に大量に流れ込んできた世代。彼らは会社という新たなムラ社会に所属して幸福な家庭を築いたが、定年退職し、子どもたちが独立したあとは、高齢により人生のゴールであるはずだったマイホームでの生活に不便を感じるようになっている、と。
要するに「団塊の世代」に属する人たちである。
住み慣れた住居を移ることよる悪影響を「リロケーション・ダメージ」と言うそうだが、高齢者ほど、そのダメージを受けやすいという。確かに身心の衰えを心配した子どもが、住み慣れた場所から離れた場所で新生活を送り、これまで築いた地縁を失って身心ともに衰えてしまうという話はよく聞く。
だが、川口氏は「団塊の世代」の高齢者は、リロケーション・ダメージを受けにくいのではないかと主張する。その根拠は3つ。
ひとつは、高齢者にリロケーション・ダメージが多く確認されたのは、「生まれ育った地元で一生暮らす」ことが普通だった時代の話で、今の高齢者は環境変化への適応力を持っていること。
もうひとつは、今の高齢者は身体的に年々若返っていて、それが気持ちの若さにつながっていること。3つ目は、リロケーション・ダメージをケアする体制が高齢者住宅などで整ってきていること。そのような説明を経て、高齢者が集まって暮らす、理想的なケースが紹介される。
例えば、兵庫県神戸市長田区の多世代型介護つきシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」。例えば、石川県金沢市若松町の社会福祉法人「佛子園」が運営する「Share(シェア)金沢」(この事例は『うらやましい孤独死』でも紹介されていた)。例えば、兵庫県神戸市東灘区の「東灘こどもカフェ」。
そして、もっとも多くの紙数を割いて紹介されるのが、大阪市に本社を持つハイネスコーポレーション株式会社が運営する高齢者向け分譲マンション「中楽坊」である。
これらの事例を眺めてみると、人間関係が希薄になった都会というより、まだドロドロとしたしがらみが残っているムラ社会に近いような気もするのだが…。
川口氏は本書で、幸福度が世界トップクラスとして知られるデンマークで提唱された「高齢者福祉の三原則」を紹介している。それは、次のようなものだ。
気になるのは、この三原則をふまえているのが先の例のなかでは「中楽坊」のみで、あとの事例は「リーダーシップ(主宰者)への依存が大きく、その点で持続性に乏しい」という問題が指摘されていることだ。
結局のところ、「年寄りは集まって住め」というのは、確かに最適解なのかもしれないけれども、この本が最終的に語っているのは、現時点で年寄りが集まって住める社会インフラが整っているのはごく一部の地域のみに限られる、という身も蓋もない事実なのである。
さて、困った。まさに「ハシゴを外される」というヤツである。だが、ハシゴを外された先に見える、高所からの景色を眺め、「自らの死はどうあるべきか?」を考えるには最適な本かもしれない。
そのことを考えるには、何歳からでも早すぎることはないはずだ。
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