1937年生まれ、御年85歳になっても旺盛な執筆活動を行っている養老孟司先生。新型コロナウイルスの感染拡大で、世の中の動きが停滞ぎみになっても、その勢いは止まらない。
2020年の自身の大病、そして愛猫の死という出来事を経験して、ますます舌鋒するどくなっているのだ。そこで今回は、先生の3冊の著書を材料にして、今という時代を生きるヒントを探ってみよう。
──中川恵一先生との共著『養老先生、病院へ行く』(X-Knowledge)には2020年の6月、大の病院嫌いだった先生が古巣の東大病院に入院した顛末が書かれています。どんな前兆があったのですか?
1年間で体重が15キロ減ったんです。あとはなんだか調子が悪い、元気が出ないといった不定愁訴です。
そこで過去に対談をした経験のある、大学の後輩の中川さんに頼んで検査を受けることにしました。受診日の3日前はやたらと眠くて、猫のようにほとんど寝てばかりいました。
私が病院を嫌いな理由は、現代の医療システムに巻き込まれたくないからです。このシステムに巻き込まれたら最後、タバコをやめなさいとか、甘いものは控えなさいとか、自分の行動が制限されてしまう。
──にもかかわらず、病院に行くことにしたわけですね?
このときは家内が心配するので、診てもらうことにしました。自分だけで生きているわけではないので、家族に無用な心配をかけるわけにはいきません。
私は以前から、「死は二人称の死でしかない」と言ってきました。
一人称の死は「私」の死です。死んだときには私はいないのだから、現実にはないのと同じです。
三人称の死は「誰か」の死。コロナで連日「本日の死者数は何人です」と報道されていますが、そういう類いのもの。有名人の死も同じですね。
二人称の死は「あなた」、つまり知っている人の死です。これだけは無視することができない。身内だろうが、嫌いなヤツだろうが、どうしたって人に影響を与えます。
病気も死と同じで、心配をかけたり、迷惑になったりすることがある。だから家内の言葉に従って、病院に行くことにしたんです。
──そこで、大変な病気が発見されたわけですね?
そうです。中川さんは体重減少の原因を糖尿病かがんだと思っていたそうだけど、機転を利かせてくれて心電図をとったんです。そこで心筋梗塞が見つかりました。
待合室で家内と秘書たちと「このあとは天ぷらを食べて帰ろうか」なんて呑気な相談をしていると、中川さんが血相を変えて「心筋梗塞です。ここを動かないでください」と言いました。
それでそのまま集中治療室(ICU)に2日ほど入って、手術、そして入院と、計2週間も病院のなかで過ごしました。
心筋梗塞は、動脈が詰まって心臓に血液が届かなくなる病気です。私の場合、左右の冠動脈2本のうち、左冠動脈の枝の末梢が閉塞していた。処置が数日遅れていたら、冠動脈の主要部分が詰まっていた可能性もあるそうで、紙一重で命拾いをしたわけです。
──患者の視点で見た「現代の医療システム」は、どんな印象でしたか?
思ったよりも楽でした。あまり、苦痛を感じるようなことがなかった。タバコを吸えなかったのは辛かったけど、飛行機に乗っているようなものだと思えば我慢できました。
ただ、病院食については、思った通りでおいしくなかったですね。でも、そのおかげで自分の食生活を見直すきっかけになりました。
青木厚さんという医師が1日のうち16時間は何も食べない、あとは自由に飲み食いしていいという 「16時間断食」を提唱しています。内臓を働かせ過ぎないで休ませなさい、ということ。実験的にやってみると、体調が良くなりました。
戦中、戦後の食糧難のとき、「お腹がすく」という体験を嫌というほどやってきましたが、実に久しぶりの空腹体験でした。
──起床時間、食事の時間、消灯時間を病院側の都合で決められてしまうのは、ストレスではなかったですか?
病院にいること自体がストレスですから、順応してしまえば何てことはないです。
私はそういうところが意外に素直にできてまして、刑務所に入っても順応してしまうと思いますよ(笑)。
──心筋梗塞は発症すると胸に激痛が走るそうですが、先生の場合、糖尿病の神経障害で痛みを感じなかったそうですね。
自分が心筋梗塞になったのは意外でした。というのも、「心筋梗塞にかかるのは、上昇志向のある人に多い」と若いころに習ったことがあるからです。オーストラリアのメルボルン大学に留学したときのことです。
政治家がその典型ですね。私はこれまで、政治に関心を持ったことは一度もありません。
それから、タクシーの運転手さんと学校の教師も心筋梗塞になりやすいという話もありましたが、それは欧米のアングロサクソン系の人種の人たちに言えることで、日本のタクシー運転手と学校の教師は胃潰瘍になりやすいんです。
社会の違いによって、ストレスのかかり方が違うんですね。
──『ヒトの壁』(新潮新書)によると、ICUに入っているとき、目の前に5体のお地蔵さんが現れたそうですね。
部屋の中央にモニターが置いてあって、磨崖仏のような砂色のお地蔵さんが5人ほど並んでいました。
後で思ったことですが、「お迎え」が来たんだなと思いました。つまり、それはお地蔵さんではなくて、阿弥陀様だというわけです。
阿弥陀様は、来迎図などを見ると極彩色に描かれているけれども、今の時代に合わせて「お迎え」も質素なリモート式になったのかなと。
──それは、一種の神秘体験のようなものですか?
いや、違いますね。単なる幻覚です。
ICUのベッドに寝かされているんだから、そういう連想をするのは無理もない話です。脳が実際には存在しないものを表出させるというのは、よくあることです。
──『ヒトの壁』には、「私は在宅死が望ましいと思っていたが、家族と医療スタッフのみの世界で他界するのも悪くないと感じるようになった」とも書いていますね。どうしてですか?
在宅死は、いろいろ大変ですよ。家族がね。
さっきも言ったけど、死んだときには私はもういないんだから、二人称の死の影響はできるだけ小さいほうがいい。
こういうことは、なかなか具体的に実感する機会がないことですが、今回、命の縁に立ってみて、「このまま死んだら面倒はないだろう」とシミュレーションしたわけです。
──入院中、大腸の内視鏡検査をしたら、ポリープが見つかったそうですね。
そうです。血液検査では、胃がんの原因であるピロリ菌が陽性でしたが、ポリープもピロリ菌も放置することにしました。
ポリープはがん化する可能性がありますから、中川さんが「できる限りとりましょう」と言ってくる医者だったら、困ったことになっていたかもしれませんね。がん化したとして、家族に説得されれば放射線治療くらいはやるかもしれませんが、手術や抗がん剤治療はストレスが大きいので選ばないでしょう。
患者には治療法を選ぶ権利があります。中川さんが、もう治療はここまでという私に対して、「じゃあ、このくらいにして、あとは様子を見ましょう」と言ってくれる医者で助かりました。医者との相性は、非常に重要だと思いますね。
──退院後、タバコは辞められたのですか?
いえ、吸ってます。ただ、糖尿病の薬は、言われるがままに飲んでます。医者には逆らわないほうがいいと思ってね。
白内障の手術を薦められたときも、素直にお願いすることにしました。おかげでメガネなしで本を読めるようになって助かっています。
病院嫌いの私が再び入院して、白内障の手術を受けたことで、中川さんは私の医療に対する考えが変わったのではないかと言ってましたが、実は何も変わっていません。今後は「身体の声」に耳を傾けて、具合が悪ければ医療に関わるでしょうし、そうでないときは医療と距離をとりながら生きていくことになるでしょう。
──『まる ありがとう』(西日本出版社)はNHKの「まいにち 養老先生、ときどき まる」でお馴染みの愛猫まるとの別れについて、書かれた本です。まるの調子が悪くなったのは、いつごろですか?
心筋梗塞の手術をして、退院した年の11月ごろ、腹水がたまって、よく鳴くようになったんです。
まるは18歳。人間の年齢で言えば90歳ですから、近いうちに来るとは思っていました。まるは生まれつき心臓の弱いタイプだったようで、年中ごろごろと横になったりして調節していましたから、具合が悪くなるのに気づくのは遅かったかもしれません。
そうこうするうち、姿が見えなくなりました。猫は、飼い主に死んだ姿を見せないため、死期を悟ると自ら姿を消すといいます。
前に飼っていた雌猫のチロもそうでした。元旦の雪の日に、どうしても庭に出るという素振りを見せるので、仕方がないので段ボール箱を庭に置いて、そのなかに入れてあげました。そうして、家族の見守るなかで死にました。
遺伝子に「自然に還れ」という情報が記録されているのか、本当のところはよくわかりませんけど、まるも本能に従って自ら選んだ死に場所に行こうとしたのかもしれません。
それでも、必死になってまるの行きそうなところを探したのは、こっちの勝手です。安心して「見つかって良かった」と思ったけれども、まるにしてみれば「余計なことしやがって」と思ったかもしれません。何しろ、まるは家に連れ帰られたおかげで、それから1ヵ月もの間、病院通いになってしまいましたから。
──でも、心配して探したくなるのは、家族として当然ですよね。
でも、まるは抱かれるのが嫌いで、私たち人間と距離を置いてつきあうような猫でしたから、この1ヵ月の間、私に抱きかかえられて病院を往復しながら、密な時間を過ごすことができたのはよかったのかなとも思います。
まるが死んだのは、12月21日。その日は、箱根でNHKの番組の取材の約束をしていました。朝、家内から「もう駄目みたい」という電話がかかり、慌てて車に乗りこみました。その様子をテレビでご覧になった方もいるでしょう。
──まるの死は先生にとって「二人称の死」ですよね。どれほどの悲しみだったのでしょう?
いや、悲しいとか、辛いとか、言葉では説明できないことです。よく、「心にポッカリ穴があいた」なんて言いますが、そういうのとも違います。何とも言えない感覚です。ペットロスというのとも違う。
米国の心理学者のリサ・フェルドマン・バレットという人が書いた『情動はこうしてつくられる』(紀伊國屋書店)という本を読むと、「喜怒哀楽といった情動は、社会的合意によってつくられる」というくだりがあります。
喜怒哀楽を分析する手法として、嬉しいときの顔、怒ったときの顔、哀しいときの顔などをいろいろな人に演じさせて、顔のどの部分の筋肉が動いているか、測定するという方法があります。
だけど、実際にやってみると、顔の筋肉の動かし方は人によってバラバラで、特定の生理反応は認められなかった。
fMRI(磁気共鳴機能画像法)によって情動を特定する試みも行われましたが、結果は同様です。「人は怒ると、脳のこの部分が働く」ということは特定できないということがわかった。
──fMRIは、脳を傷つけることなく、その活動を調べる方法です。その科学的な画像診断でも、人間の感情のモノサシにはならないということですか?
そうです。そこでリサ・バレットは、「情動は社会的合意である」ということを言ったんです。
例えば、無表情の人物の映像があったとして、殺人の映像のあとにその顔を見せます。すると、無表情のはずなのにその顔が恐怖を感じた表情のように見える。次に宝くじの当選映像のあとにその顔を見せれば、喜びの表情に見える。
そんなふうに、情動というのは社会的な要因があって初めて理解されるもので、本当のところはよくわからないということです。
実際のところ、亡くなったとわかっていても、まるが生きていたころの感覚はすぐには抜けません。うちの玄関は引き戸で、まるが出入りできるように少し開けておく習慣がありましたが、今もそうしています。ついさっきも、原稿の校正に没頭している途中、いつもまるが寝ていたソファのほうに視線を向けているのに気づきました。
その感覚は、今後もそう簡単に消えることはないでしょう。
──2020年の6月の心筋梗塞による入院、同年12月の愛猫まるの死、このふたつは新型コロナウイルスの感染拡大という最中での出来事です。それについての見解をうかがう前に、先生が小学校1年生のときに赤痢に罹患したときの話をしていただけませんか?
1945(昭和20)年8月5日の終戦の日、私は神奈川県津久井郡中野町(現在の相模原市緑区)にある母の実家に疎開していました。
その家に祖父母と叔母と一緒に暮らしていたんです。山の斜面にあって、水道がなく、山から水を引いていたため終戦直後に赤痢が流行して、みんなが罹患しました。
その結果、祖父母と叔母が亡くなって、私だけが生き延びました。
その理由は、よくわかりません。子どものほうが大人より抵抗力が働いたのか、あるいは私だけ症状が軽かったのか、それともほかの理由があるのか。
これは、新型コロナウイルスもまったく一緒です。誰が感染しやすいか、感染したとして誰が重症化しやすいのか、誰が死にやすいのかといったことは特定できません。
──赤痢の治療は、どのようにおこなわれたのでしょう。
鎌倉で開業医をしていた母の知り合いの医者の診療所に、隔離されて治療を受けました。
子どもの赤痢を「疫痢」と言いましたが、死亡の原因は下痢や嘔吐などの脱水です。そこで、太もものところにリンゲル液という一種の生理食塩水を注射して、脱水を防ぐ治療をしていました。
今ならどこの小児科でも、子どもの静脈に点滴することは当たり前ですが、当時はむずかしい技術だったようです。抗生物質があれば、赤痢菌を直接攻撃して症状を押さえ込むことができますが、まだ普及するかしないかという時期だったのです。
途上国の子どもの死亡率が下がったのは、スポーツ飲料の開発が寄与したという話があります。粉末にすれば輸送も簡単なので、赤痢やチフス、コレラといった感染症に罹った子どもをたくさん救ったんです。
とにかく、私はこの赤痢体験と82歳の心筋梗塞を含めて2度、命の崖っぷちに立ったことになります。
──赤痢は細菌性の感染症なので、今では抗生物質で根治できますが、新型コロナウイルスには効き目がありません。世界中を巻き込んだコロナ騒動について、先生はどんな見解を抱いていますか?
ウイルスがあたかも人類を攻撃しているかのようにとらえて、敵視する人がしっぺ返しをくらっているように見えています。
米国のドナルド・トランプ、英国のボリス・ジョンソン、ブラジルのボルソナロといった政治家たちも、コロナを押さえ込もうという姿勢を見せて、自身が感染しました。中国の習近平のゼロコロナ政策も国民の批判を浴びていますよね。
コロナは人間にとって、敵ではないし、そもそも味方でもありません。中立なんです。
ヒトゲノムの解析が進んでわかってきたことですが、ヒトゲノムのうち、タンパク質を遺伝暗号で指定しているのは2%足らずで、残りの98%は何をしているのかわかっていません。最近の研究では、ヒトゲノムの40%がウイルス由来であるという報告を読んだことがあります。
つまり、ウイルスは自分なんです。
人間の細胞のなかにあるミトコンドリアは、酸素を吸い、糖を分解してエネルギーを生むという重要な仕事をしていますが、米国のリン・マーギュリスという生物学者は、ミトコンドリアは細胞内にすみついた細菌などの原核生物に由来するという細胞内共生説を唱えました。
ですから、ウイルスと自分との違いを説明するのはむずかしい。なかなか線引きができないのです。最終的には、共存していくしかないのだと思っています。
──新型コロナウイルスの対応策として、メッセンジャーRNAというワクチン接種が採用されましたが、それについてはどう思いますか?
筋肉注射をして、新型コロナウイルスの特徴を覚えさせ、本物のウイルスに対抗する免疫をつけるというのがメッセンジャーRNAの仕組みです。
遺伝物質を体に入れることには抵抗感を示す人は多いはずなんですが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、膨大な人数に注射をする機会が発出しました。
今回の新型コロナウイルスの主成分となるメッセンジャーRNAは、細胞の核に入ることができないので、ヒトの遺伝子の情報に変化を加えることはないと説明されています。
とはいえ、少なくとも何十億人というヒトに注射したという既成事実はつくられてしまった。今後、バイオテクノロジー産業に関わる研究者などの間で、遺伝子操作によって人間そのものを変えようとする議論が水面下で進みはしないかと懸念しています。
こういう話をすると、「じゃあ、先生はワクチンを否定するのですか?」と聞かれるんだけど、いちおう3回目まで接種しました。私は高齢者で、糖尿病という基礎疾患もありますから、進んで実験動物になったわけです。
「4回目は?」と聞かれたら、今のところは「仏の顔も三度まで、という言葉があるでしょう?」と答えておきましょう(笑)。
──先生は、白内障手術の入院中に『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』(東洋経済新報社)を読まれたそうですね。
この本によれば、老化は病気のようなもので、だから治療して若返らせることは可能だという理屈です。著者のひとりのデビッド・A・シンクレアはオーストラリア生まれで、アメリカ在住の科学者、起業家です。
日本人なら、「人間が老いて死ぬのは自然であり、それを止めようとするのは神をも畏れぬ仕業だ」と発想する人が多いと思いますが、古い歴史のない社会では、不老不死の研究を科学者が大真面目に取り組むようなことが起こるんですね。
臓器移植が南アフリカで始まったのも、古い歴史のない社会だったからです。
日本でもこれから高齢者がどんどん増えて、認知症や要介護人口も増えていくことを考えると、老化を止めようとする技術は、経済面から見ても、画期的な技術になる可能性はあると思っています。
ただ、間違ってはいけないのは、人間そのものは自然物であり、完全にコントロールすることは不可能だということです。
当たり前のことなんだけど、都市に住んでいる人はそのことがよく理解できなくなっている。なぜなら、都市というのは自然をなるべく見ないようにして作られた人工物だからです。オフィスビルの部屋は、風が吹かない、雨も降らない、エアコンで夏でも冬でも室温はつねに一定に保たれています。
ところが自然は、これとは正反対。雨が降ったら地面はぬかるんで歩きにくくなりますし、日が傾いたらあたりがまっ暗になって視界も狭くなる。
自然はつねに変化しますが、人間の脳がつくりだした都市は不変です。
だから私は、たまには自然に触れて、人間にとって不可解なものに対する判断力、耐性を養っておけ、ということをずいぶん前から提唱しています。
──先生が提唱する「現代の参勤交代」に共鳴した人たちが、山梨県道志村に「養老の森」を都会人に向けて公開しています。こうした場所を訪れて、自然に触れる機会を持つべきなのですね?
そうです。都市をつくった脳は、自然を避けようとする。その最たるものが「死」です。でも、人間そのものが自然なんだから、死を忌避しても仕方ありません。
自然を見ていれば、病気だって、自分が死ぬということだって、「そんなのしょうがねぇだろ」ってあきらめがつきますよ。
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