ブックレビュー
今回紹介するのは、第10回小林秀雄賞を受賞した『ご先祖様はどちら様』をはじめ、ドラマ化もされた『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』(いずれも新潮社)などの傑作ルポで知られる髙橋秀実氏の最新刊である。 ヒデミネ氏の作品リストのなかには、自らの日常を題材にしたものも多い。カナヅチを克服すべく水泳教室に通う日々を綴った『はい、泳げません』、妻とともにダイエットに奮闘努力する『やせれば美人』(いずれも新潮社)など、自らの体験をユーモラスに語った抱腹絶倒の「自分ルポ」は、どれも傑作だ。 『おやじはニーチェ』も、認知症になった父と過ごした436日の日々を題材にしているという点でその系譜に入る作品だが、他の作品と比べてちょっと重苦しい雰囲気があるように感じた。認知症介護には、ユーモアだけで語れない、シリアスな面があるからなのかもしれない。 とはいえ、この作品がおもしろくないのかというと、そうではない。それどころか、認知症に新たな視点を得られる有意義な書だとも言える。ところどころで発揮されるヒデミネ節をたどりながら、本の内容をレビューしていこう。 『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』 著者:髙橋秀実 発行:新潮社 定価:1650円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ ある日突然始まった、認知症の父との同居生活 ヒデミネ氏が父の認知症を意識したのは、母が急逝したことがきっかけだった。引用しよう。 以前から父は同じ話を何度も繰り返していた。最近の出来事も丸ごと忘れており、忘れたことも忘れているようで私は「大丈夫なのか?」と心配していたのだが、母は「大丈夫よ」の一点張りだった。つまり不都合のないように都合をつけて生活していた。私たち息子夫婦の生活を阻害せず、不都合をかけまいと頑張っていたのだ。ところが母は急性大動脈解離で突然この世を去った。87歳だった父は取り残され、すべてが不都合になった。母の不在で露わになった認知症というべきか。 介護は、ある日突然、必要が生じて、それがゆえに家族は何ひとつ準備をしていない状況から介護を実行しなければならない。 ただ、ヒデミネ氏の場合、父親は身体的には健康なので、食事や排泄、衣類の着脱といった「生活介助」の必要性は薄い。実際に彼は地域のケアマネジャーの小暮さん(仮名)から、「受けられる介護サービスって、あんまりないんですよね」と告げられる。 ケアマネジャーの小暮さんも残念そうにそう言った。父はすでに区役所から「要介護3」の認定を受けており、私は小暮さんと「居宅介護支援」の契約を済ませていた。彼を通じて様々な介護サービスを受ける予定だったのだが、「お父さんの場合はちょっと……」とのことなのである。例えば、認知症の介護でよく利用される「デイサービス」。車で迎えに来てくれて父をしばらく預かってくれるというサービスなのだが、おそらく父はひとりでは車に乗らないだろう。無理やり乗せようとすれば「なんでだ!」と怒号をあげるので私が同行しなければならず、途中で「帰る!」と言い出さないようにデイサービスの施設でも付き添うことになる。ずっと付き添うのではデイサービスの意味がないのだ。 同じような困難は「特別養護老人ホーム」への入居にも言えて、満杯で数百人が待機しているという施設において、要介護の緊急性が高いヒデミネ氏の父の入居はすぐに認められるというが、入所すれば「なんでだ!」「帰る!」などと言い出して勝手に施設から出ていってしまう人は再入所がむずかしくなるというのだ。 そこでケアマネジャーから提案されたのは、月に2万円ほどの自己負担で、家に緊急通報用の電話が設置され、ヘルパーが1日に何度も家に来てくれる「定期巡回・臨時対応型訪問介護看護」だった。 とはいえ、身のまわりの世話の一切を引き受けていた母の家で父ひとりを置いていくわけにはいかない。ヒデミネ氏は妻とともに、実家で父との同居生活を始めることになる。 「哲学」をツールにして認知症を理解するということ ヒデミネ氏は、認知症の父がどのような世界に生きているのかを知ろうとして、さまざまな会話を試みる。 例えば、自分はなぜいまここにいるのか、ここはいったいどこで、いまはいったいいつなのか?という、医療介護用語で見当識と呼ばれる能力をテストするつもりで「ところでさ、俺たちが今いるところはどこ?」と質問する。そこで以下のような会話が交わされる。棒線以下のセリフがヒデミネ氏の発言で、カッコ内が父のセリフである。 「どこが?」父はそう問い返した。――どこがって、ここが。私は床を指差した。「ここがどこかって?」そう、ここはどこ?「どこが?」――ここが。「どこ?」――いや、だからここ。「だからここってどこだ?」――だからここじゃなくて、ここ。「どこ?」――ここ。「ここってどこだ?」 このように会話は堂々めぐりをしてヒデミネ氏を混乱させる。 記憶力をテストしようとして、「今日は何をしてたの?」と質問したり、自分が認知症であるという病識があるかどうかを知ろうとして、「認知症って知ってる?」と聞いても同じような結果になる。 頭を抱えたヒデミネ氏が助けを求めたのが、古今東西の哲学思想である。 例えば、「万物は永久に回帰し、われわれ自身もそれとともに回帰する」というフリードリッヒ・ニーチェの「永遠回帰」の考えと照らし合わせて、記憶力を失うということをこう解釈する。 私たちは忘れるから幸福になれる。失敗を忘れるから夢や希望も抱けるし、忘れるから現在を感じられるという。すべてのことをそのまますべて記憶していたら、それこそ自縄自縛の境遇に陥って前に進めない。経験が記憶によって生まれるのであれば、記憶を消去することで初めて新しい現実と出会えるのだ。ありがたき忘却力ということか。 このように、哲学思想が認知症理解に新たな視点を当てるのである。ヒデミネ氏は学生時代から「哲学」というものに馴染めず、嫌悪感すら抱いていたそうだが、認知症理解のツールと考えた途端、すらすらと理解できるようになったという。 そこで介護のかたわら、プラトンやアリストテレス、デカルト、ニーチェ、サルトル、ベルクソン、西田幾多郎、九鬼周造などの哲学書を読みふけったというが、それが認知症理解の助けになったにせよ、介護の大変さ、つらさから逃れられるわけではなかった。 ある日、「『存在』とか言ってる場合じゃないでしょ」と妻に指摘され、うろたえるヒデミネ氏。父と24時間休みなく向き合うなか、仕事もできずに経済的にも追いつめられた彼は、父との別居を決意せざるを得なくなるのである。 認知症介護はある日突然始まって、ある日突然終わる 別居したとはいえ、介護から完全に解放されるわけではない。クルマで40分の場所にある実家と自宅を往復しながらの介護は続いていく。 自分のことを「息子」として認識せず、「社長」とか「お兄ちゃん」とか、「旦那」などと呼ぶ父との対話を続けていく。そして、哲学の視点からの認知症理解に取り組む。「あとがき」で自身が告白しているように、それが「日常生活の逃避行」であると自覚しながらも。 こうした終わりの見えない介護生活は、父が「末期の胃がん」におかされていたことが発覚して急展開を見せる。 病院は介護施設ではないので、治療が終了すれば退院を迫られるが、医療ソーシャルワーカーと相談しながら父の処遇を決めなければならない。終末期医療専門のホスピス病院や有料老人ホームもあるが、どこも待機人数が多く、いつ入所できるかわからない。 幸いなことに「認知症があると転院はむずかしい」と言われていた緩和ケア病棟に移ることができたのだが、それ以前に入所を打診した小規模介護施設からは「早く決めないとすぐに埋まっちゃうわよ。行くとこなくて困ってるんでしょ」と姥捨山のような対応をされて閉口したという。 それでもヒデミネ氏は、最後まで父との対話を繰り返し、それをメモして記録していく。 そして、自分のことを28歳だと思っていて、緩和ケア病棟の部屋に同室している自分を女性だと勘違いして口説いてくる父と、ビデミネ氏は実に感動的な会話をするのである。 この場面は、是非とも本書を手にとって読んで欲しい。ことさら感動を演出するかのようにして書かれてはいないが、私は大いに心を動かされた。 本書は「認知症とは何か?」ということについて、ヒデミネ氏が真摯に向き合った記録として読めるが、そこに明確な解答があるわけではない。というか、明確な解答などないというのが、ある意味での結論なのかもしれない。 少なくとも、認知症を知る上で、本書は新たな視点を与えてくれる書であることに間違いはないだろう。
2023/05/12
鈴木大介氏は、『最貧困女子』(幻冬舎新書)などの著書を通じて、社会的に発言の機会を与えられていない弱者を取材し、そうした人々の声なき声を代弁してきたルポライター。 そんな彼が41歳のときに脳梗塞を発症し、言語や記憶、感情のコントロールなどをつかさどる「高次脳機能」に障害を持つことになった。 取材対象者の話を聞いて、記事を作るという職業的ライターにとっては致命的な障害だが、彼は取材対象を自分自身に移し変え、『脳が壊れた』『脳は回復する』(ともに新潮新書)などの著書を通じて、高次脳機能障害の不自由さと苦しみに満ちた世界を脳内ルポしている。 本書はその鈴木大介氏が、1994年に日本で初めて高次脳機能障害専門の診療科を設けた東北大学病院に勤務し、同大学教授をつとめる鈴木匡子氏との対談を通じて、この障害の「理解」と「支援」の方法を模索する様子が語られている。 高次脳機能障害は、身体の麻痺などのように外見ですぐに分かるものではないため、「見えない障害」とも呼ばれ、医療従事者や家族などの支援者たちの「死角」になってきた。本書は、それを見事に可視化してくれる本だと思う。未知なるその世界を覗いてみることにしよう。 『壊れた脳と生きる――高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援 』 著者:鈴木大介/鈴木匡子 発行:ちくまプリマー新書 定価:920円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 目の前で話している人の言葉が、脳内から消えていってしまう状態とは? 冒頭の「はじめに」で大介氏が指摘するのは、高次脳機能障害を「分かりやすく言語化すること」のむずかしさだ。引用しよう。 身体の不調であれば「こっちに曲げると痛い」「ここを押すと痛い」のように容易に言語化できますが、高次脳機能障害はこの「痛い」に相当するような言葉がない苦しさや不自由があまりに多いのです。例えば病後の僕は、かなりの期間「他人(ひと)の話を上手に聞く」ことに不自由を感じ続けました。とはいえ、耳が聞こえないのではありません。相手の話は、決して難しくない日常会話です。日本語の意味だって分かる。文字を書くことも読むこともできます。ただ、相手の話に自分の理解が追いつかなかったのです。 このような不自由は、今聞いたばかり、見たばかりのことを脳にとどめておくことができないという「作業(作動)記憶」の低下から生じるもので、目の前で話している人の言葉が、リアルタイムで脳内から消えていってしまうのだという。 脳梗塞や脳出血などの脳卒中の治療は、発症から2週間までを急性期、6カ月までを回復期、それ以降を生活期(あるいは維持期)と呼ぶのだそうだが、生活期は退院して生活の場でリハビリテーションをおこなう。だが、大介氏は退院当日に行ったスーパーマーケットで手痛い洗礼を受ける。 照明はまぶしいし、商品が棚一面に陳列されているのを見るだけで心が一杯になって何もできなくなるし、音響もBGMから安売りの録音からずっと流れているし。おまけに駆け回っている子どもがいたりして。生まれたてのシカが内股をふるふるしながに立ってるような状態で、もうどうにもならなくなりました。 脳のスペックが極端に落ちてしまったことが原因だろうが、不思議なことに、自分にとって一番聞きたくない不快な音をピックアップして聞き取ってしまうという。 この現象について、聞き手の鈴木匡子氏(きょう子先生)はこう解説する。 注意の機能から説明できるかもしれません。注意には自分が必要とする情報を取れるように、目的とするものに向かって働く指向性があり、それ意外の情報は抑制する働きがあります。それがうまく働かなくなると、色々な刺激がどれも同じ強さで入ってしまう。さらに情動的な負荷の高いもの、大介さんの場合は自分にとって不快な声や音が聞こえると、自分の意図とは無関係にそちらに注意が向いてしまうという状況だったのかもしれませんね。 そんな状況において、大介氏は倒れてから10日後くらいに闘病記の企画書を版元に提出し、病院内で起こるさまざまな困りごとをメモしていったというからすごい。 読み返すと、最初は病棟内で、表情が作れない、うまく言葉が出てこない、話せない。あと視線がロックしてしまう、思考がロックしてしまう、早口で相手に一方的にしゃべってしまう。一方的にわーって話して、途中で何言ってるか分からなくなったり、話し終わって、その後もう何も続かないみたいなことがあって、コミュニケーションがおかしいとか。そういうことを逐一書き出してありますね。 支援者には、高次脳機能障害を見分けるプロの「山菜採り」になってほしい ところで、身体に麻痺が残らなかった大介氏の場合、リハビリはPT(理学療法士/Physical Therapist)ではなく、OT(作業療法士/Occupational Therapist)かST(言語聴覚士/Speech-Language-Hearing Therapist)が担当することになる。 ところが驚いたことに、そうした支援のプロたちのなかにも高次脳機能障害がどんなものかについて、くわしい知識を持っていない人がいたというのだ。 病後の僕が何より苦しかったのは、できないことを理解してもらえない、不自由を無いことにされてしまうことでしたから。STの先生に「話せない」と訴えているのに、「上手に話せていますよ」の一点張り。ユーチューブにある僕の病前の対談の音声を聞いてもらっても、「今と変わりませんよ」って言われたことすらあった。そういう相手には、心を閉ざすしかない。 STは、主に言語障害、音声障害、嚥下(えんげ)障害に対しての専門家で、合格率50~60%と言われる国家試験に合格しなければなれない専門職だ。しかも、このケースは大介氏がたまたま無能なSTに出会ってしまったわけでもないことが次の発言でわかる。 例えば、先ほど例を出した「鈴木さんお上手に話せていますよ」の残念なSTさんは、家庭内の環境とか夫婦関係の調整については、すごく短時間で問題を見抜いて、誰よりも具体的で実効性のあるアドバイスをしてくださった方でもあるんです。でも一方で、超元気で声が大きくて早口で、そうした点も心を閉ざした理由だったんです。 一方、大介氏の不自由さに配慮して、ゆっくり対応してくれる人からも、「麻痺が軽くてよかったですね」というキラーワードを言われてしまったという。「つらいです」と訴えているのに、「でも良かったですね」と返されてしまうと、絶望的な気分に追いやられてしまう。「無理解」は「攻撃」だ、と大介氏は訴える。 これに対して、きょう子先生はこう説明する。 高次脳機能障害の認知リハビリには、一般的なマニュアルはないのです。麻痺などの症状に対しては、おおよそ決まったリハビリの方法があって、こういう順番でこれをやるということがほぼ確立されていますが、認知リハビリにそういうものはありません。(中略)たとえマニュアルがあったとしても、その通りにやってもうまくいかないのではないかと思います。一人ひとりにどこかしら合わない部分が必ず出てくる。大量生産の既製服ではなくて、仕立てるように、個々の症状に向き合ってきちんと合わせていかなければ、体に合ったものはできない気がします。 こうした課題を解決する糸口は、ふたりの次の会話から示唆される。 きょう子先生 観察することの前提として、症状に関する知識が必要です。基礎的な知識を持ったうえで見ないと見えないことが山ほどありますので。たとえて言うと、山菜採りに山へ行って、山菜採りの名人は、あ、そこにワラビかずある、とすぐに見える。私たちは同じ風景を見ていても、え? どこにワラビがあるの? と分からない。高次脳機能障害の症状もそれに似ています。こういう症状が出るだろう、こういうことが起こり得るだろうと知識や経験から予測してみると、見えてくるところがあるのです。大介 その喩え、すごくよく分かります。現場の人は全員、山菜採りのプロになってほしい。とりあえずその山にある山菜は全種類知っておいてほしいと、切に願います。 高次脳機能障害は、医療の進歩が作り出した「副作用」なのか? 本書は高次脳機能障害になった大介氏の不自由さと苦しさについての記述がこれでもかという量で語り尽くされているが、それでも読んで不快にならないのは、ふたりの会話が高次脳機能障害の「理解」と「支援」に向けて、建設的に議論を進めているからだろう。 何より、大介氏の症状が年月を経て、少しずつ回復している点には大きな希望を感じさせられる。 僕もいろんなことができなくなって、それこそ死んでしまいたいと思うような日も数え切れぬほどありました。けれど、実は元に戻って一番うれしかったのは、すごく些細なことだったんです。それは、人の話を聞きながら相づちを打ったり、にやっとしたり、ツッコミを入りたりすること。3年近くかかりました。生活や仕事の上ではもっと深刻なことでいっぱい困っているし、いまも困り続けていることがあるけれど、自分の回復目標に「ツッコミが入れられること」は普通設定しませんよね。なので当事者によって、何を目標にするのかについては、実は本人にも誰にも正確に定められないもののように感じなくもないです。 脳血管疾患は、1位のがん、2位の心疾患に次いで3番目に多い日本人の死因だが、昭和40年代まではダントツの1位だった。 これは医療の進歩による成果と言えるだろう。現在の医療は、基本的に「過去には救えなかった命が救えるようになる」という方向で道を歩んでいる。CTやMRIなどの検査技術をはじめ、手術にロボット技術が採用されるようなイノベーションが起こり、その進歩は加速度的に早くなっている。 だが、それによってある種の「副作用」というものが生じてきているのも事実である。それは、「高度な医療によって救われた命の予後のケア」が新たに必要になったことだ。 高次脳機能障害の現状を知るにあたり、その副作用の解消は喫緊の課題だろう。同じようなことは、産まれながらに人工呼吸器や心肺装置を必要とする障害児童が増えているケースにも言えることだし、医療の進歩と長寿化によって生じた認知症についても言える。 本書は、そうした現代の課題を見事に「可視化」してくれる、ためになる本だった。
2023/01/25
1937年生まれ、御年85歳になっても旺盛な執筆活動を行っている養老孟司先生。新型コロナウイルスの感染拡大で、世の中の動きが停滞ぎみになっても、その勢いは止まらない。 2020年の自身の大病、そして愛猫の死という出来事を経験して、ますます舌鋒するどくなっているのだ。そこで今回は、先生の3冊の著書を材料にして、今という時代を生きるヒントを探ってみよう。 あと一歩というところで命拾いをしました ──中川恵一先生との共著『養老先生、病院へ行く』(X-Knowledge)には2020年の6月、大の病院嫌いだった先生が古巣の東大病院に入院した顛末が書かれています。どんな前兆があったのですか? 1年間で体重が15キロ減ったんです。あとはなんだか調子が悪い、元気が出ないといった不定愁訴です。そこで過去に対談をした経験のある、大学の後輩の中川さんに頼んで検査を受けることにしました。受診日の3日前はやたらと眠くて、猫のようにほとんど寝てばかりいました。私が病院を嫌いな理由は、現代の医療システムに巻き込まれたくないからです。このシステムに巻き込まれたら最後、タバコをやめなさいとか、甘いものは控えなさいとか、自分の行動が制限されてしまう。 ──にもかかわらず、病院に行くことにしたわけですね? このときは家内が心配するので、診てもらうことにしました。自分だけで生きているわけではないので、家族に無用な心配をかけるわけにはいきません。私は以前から、「死は二人称の死でしかない」と言ってきました。一人称の死は「私」の死です。死んだときには私はいないのだから、現実にはないのと同じです。三人称の死は「誰か」の死。コロナで連日「本日の死者数は何人です」と報道されていますが、そういう類いのもの。有名人の死も同じですね。二人称の死は「あなた」、つまり知っている人の死です。これだけは無視することができない。身内だろうが、嫌いなヤツだろうが、どうしたって人に影響を与えます。病気も死と同じで、心配をかけたり、迷惑になったりすることがある。だから家内の言葉に従って、病院に行くことにしたんです。 ──そこで、大変な病気が発見されたわけですね? そうです。中川さんは体重減少の原因を糖尿病かがんだと思っていたそうだけど、機転を利かせてくれて心電図をとったんです。そこで心筋梗塞が見つかりました。待合室で家内と秘書たちと「このあとは天ぷらを食べて帰ろうか」なんて呑気な相談をしていると、中川さんが血相を変えて「心筋梗塞です。ここを動かないでください」と言いました。それでそのまま集中治療室(ICU)に2日ほど入って、手術、そして入院と、計2週間も病院のなかで過ごしました。心筋梗塞は、動脈が詰まって心臓に血液が届かなくなる病気です。私の場合、左右の冠動脈2本のうち、左冠動脈の枝の末梢が閉塞していた。処置が数日遅れていたら、冠動脈の主要部分が詰まっていた可能性もあるそうで、紙一重で命拾いをしたわけです。 写真提供/まるすたぐらむ 自分が心筋梗塞になるなんて実に意外だった ──患者の視点で見た「現代の医療システム」は、どんな印象でしたか? 思ったよりも楽でした。あまり、苦痛を感じるようなことがなかった。タバコを吸えなかったのは辛かったけど、飛行機に乗っているようなものだと思えば我慢できました。ただ、病院食については、思った通りでおいしくなかったですね。でも、そのおかげで自分の食生活を見直すきっかけになりました。青木厚さんという医師が1日のうち16時間は何も食べない、あとは自由に飲み食いしていいという 「16時間断食」を提唱しています。内臓を働かせ過ぎないで休ませなさい、ということ。実験的にやってみると、体調が良くなりました。戦中、戦後の食糧難のとき、「お腹がすく」という体験を嫌というほどやってきましたが、実に久しぶりの空腹体験でした。 ──起床時間、食事の時間、消灯時間を病院側の都合で決められてしまうのは、ストレスではなかったですか? 病院にいること自体がストレスですから、順応してしまえば何てことはないです。私はそういうところが意外に素直にできてまして、刑務所に入っても順応してしまうと思いますよ(笑)。 ──心筋梗塞は発症すると胸に激痛が走るそうですが、先生の場合、糖尿病の神経障害で痛みを感じなかったそうですね。 自分が心筋梗塞になったのは意外でした。というのも、「心筋梗塞にかかるのは、上昇志向のある人に多い」と若いころに習ったことがあるからです。オーストラリアのメルボルン大学に留学したときのことです。政治家がその典型ですね。私はこれまで、政治に関心を持ったことは一度もありません。それから、タクシーの運転手さんと学校の教師も心筋梗塞になりやすいという話もありましたが、それは欧米のアングロサクソン系の人種の人たちに言えることで、日本のタクシー運転手と学校の教師は胃潰瘍になりやすいんです。社会の違いによって、ストレスのかかり方が違うんですね。 『養老先生、病院へ行く』 著者:養老孟司、中川恵一(共著) 発行:X-Knowledge 定価:1400円(税別) 在宅死は大変。病院死も悪くない ──『ヒトの壁』(新潮新書)によると、ICUに入っているとき、目の前に5体のお地蔵さんが現れたそうですね。 部屋の中央にモニターが置いてあって、磨崖仏のような砂色のお地蔵さんが5人ほど並んでいました。後で思ったことですが、「お迎え」が来たんだなと思いました。つまり、それはお地蔵さんではなくて、阿弥陀様だというわけです。阿弥陀様は、来迎図などを見ると極彩色に描かれているけれども、今の時代に合わせて「お迎え」も質素なリモート式になったのかなと。 ──それは、一種の神秘体験のようなものですか? いや、違いますね。単なる幻覚です。ICUのベッドに寝かされているんだから、そういう連想をするのは無理もない話です。脳が実際には存在しないものを表出させるというのは、よくあることです。 ──『ヒトの壁』には、「私は在宅死が望ましいと思っていたが、家族と医療スタッフのみの世界で他界するのも悪くないと感じるようになった」とも書いていますね。どうしてですか? 在宅死は、いろいろ大変ですよ。家族がね。さっきも言ったけど、死んだときには私はもういないんだから、二人称の死の影響はできるだけ小さいほうがいい。こういうことは、なかなか具体的に実感する機会がないことですが、今回、命の縁に立ってみて、「このまま死んだら面倒はないだろう」とシミュレーションしたわけです。 写真提供/まるすたぐらむ 患者には治療法を選ぶ権利があります ──入院中、大腸の内視鏡検査をしたら、ポリープが見つかったそうですね。 そうです。血液検査では、胃がんの原因であるピロリ菌が陽性でしたが、ポリープもピロリ菌も放置することにしました。ポリープはがん化する可能性がありますから、中川さんが「できる限りとりましょう」と言ってくる医者だったら、困ったことになっていたかもしれませんね。がん化したとして、家族に説得されれば放射線治療くらいはやるかもしれませんが、手術や抗がん剤治療はストレスが大きいので選ばないでしょう。患者には治療法を選ぶ権利があります。中川さんが、もう治療はここまでという私に対して、「じゃあ、このくらいにして、あとは様子を見ましょう」と言ってくれる医者で助かりました。医者との相性は、非常に重要だと思いますね。 ──退院後、タバコは辞められたのですか? いえ、吸ってます。ただ、糖尿病の薬は、言われるがままに飲んでます。医者には逆らわないほうがいいと思ってね。白内障の手術を薦められたときも、素直にお願いすることにしました。おかげでメガネなしで本を読めるようになって助かっています。病院嫌いの私が再び入院して、白内障の手術を受けたことで、中川さんは私の医療に対する考えが変わったのではないかと言ってましたが、実は何も変わっていません。今後は「身体の声」に耳を傾けて、具合が悪ければ医療に関わるでしょうし、そうでないときは医療と距離をとりながら生きていくことになるでしょう。 『ヒトの壁』 著者:養老孟司 発行:新潮新書 ...
2022/12/12
介護施設への入居について、地域に特化した専門相談員が電話・WEB・対面などさまざまな方法でアドバイス。東証プライム上場の鎌倉新書の100%子会社である株式会社エイジプラスが運営する信頼のサービスです。