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特集

ブックレビュー

本屋さんで、高齢者や家族に向けて書かれた本がずらりと並んでいる光景を目の当たりにした、という方も多いのではないでしょうか。でも…「どの本が面白そうかわからない」「買ってみて面白くなかったら損だな」という方もまた多いでしょう。そこで、本当に面白い本はどれなのか?をご紹介。読書ジャンキーで執筆ジャンキーのライター・ボブ内藤氏による“オススメ度”つきの書評コーナーです!
インタビュー ウィズコロナ 闘病記

【養老孟司】病院で死ぬこと、愛猫と別れるということ、コロナのこと

1937年生まれ、御年85歳になっても旺盛な執筆活動を行っている養老孟司先生。新型コロナウイルスの感染拡大で、世の中の動きが停滞ぎみになっても、その勢いは止まらない。 2020年の自身の大病、そして愛猫の死という出来事を経験して、ますます舌鋒するどくなっているのだ。そこで今回は、先生の3冊の著書を材料にして、今という時代を生きるヒントを探ってみよう。 あと一歩というところで命拾いをしました ──中川恵一先生との共著『養老先生、病院へ行く』(X-Knowledge)には2020年の6月、大の病院嫌いだった先生が古巣の東大病院に入院した顛末が書かれています。どんな前兆があったのですか? 1年間で体重が15キロ減ったんです。あとはなんだか調子が悪い、元気が出ないといった不定愁訴です。そこで過去に対談をした経験のある、大学の後輩の中川さんに頼んで検査を受けることにしました。受診日の3日前はやたらと眠くて、猫のようにほとんど寝てばかりいました。私が病院を嫌いな理由は、現代の医療システムに巻き込まれたくないからです。このシステムに巻き込まれたら最後、タバコをやめなさいとか、甘いものは控えなさいとか、自分の行動が制限されてしまう。 ──にもかかわらず、病院に行くことにしたわけですね? このときは家内が心配するので、診てもらうことにしました。自分だけで生きているわけではないので、家族に無用な心配をかけるわけにはいきません。私は以前から、「死は二人称の死でしかない」と言ってきました。一人称の死は「私」の死です。死んだときには私はいないのだから、現実にはないのと同じです。三人称の死は「誰か」の死。コロナで連日「本日の死者数は何人です」と報道されていますが、そういう類いのもの。有名人の死も同じですね。二人称の死は「あなた」、つまり知っている人の死です。これだけは無視することができない。身内だろうが、嫌いなヤツだろうが、どうしたって人に影響を与えます。病気も死と同じで、心配をかけたり、迷惑になったりすることがある。だから家内の言葉に従って、病院に行くことにしたんです。 ──そこで、大変な病気が発見されたわけですね? そうです。中川さんは体重減少の原因を糖尿病かがんだと思っていたそうだけど、機転を利かせてくれて心電図をとったんです。そこで心筋梗塞が見つかりました。待合室で家内と秘書たちと「このあとは天ぷらを食べて帰ろうか」なんて呑気な相談をしていると、中川さんが血相を変えて「心筋梗塞です。ここを動かないでください」と言いました。それでそのまま集中治療室(ICU)に2日ほど入って、手術、そして入院と、計2週間も病院のなかで過ごしました。心筋梗塞は、動脈が詰まって心臓に血液が届かなくなる病気です。私の場合、左右の冠動脈2本のうち、左冠動脈の枝の末梢が閉塞していた。処置が数日遅れていたら、冠動脈の主要部分が詰まっていた可能性もあるそうで、紙一重で命拾いをしたわけです。 写真提供/まるすたぐらむ 自分が心筋梗塞になるなんて実に意外だった ──患者の視点で見た「現代の医療システム」は、どんな印象でしたか? 思ったよりも楽でした。あまり、苦痛を感じるようなことがなかった。タバコを吸えなかったのは辛かったけど、飛行機に乗っているようなものだと思えば我慢できました。ただ、病院食については、思った通りでおいしくなかったですね。でも、そのおかげで自分の食生活を見直すきっかけになりました。青木厚さんという医師が1日のうち16時間は何も食べない、あとは自由に飲み食いしていいという 「16時間断食」を提唱しています。内臓を働かせ過ぎないで休ませなさい、ということ。実験的にやってみると、体調が良くなりました。戦中、戦後の食糧難のとき、「お腹がすく」という体験を嫌というほどやってきましたが、実に久しぶりの空腹体験でした。 ──起床時間、食事の時間、消灯時間を病院側の都合で決められてしまうのは、ストレスではなかったですか? 病院にいること自体がストレスですから、順応してしまえば何てことはないです。私はそういうところが意外に素直にできてまして、刑務所に入っても順応してしまうと思いますよ(笑)。 ──心筋梗塞は発症すると胸に激痛が走るそうですが、先生の場合、糖尿病の神経障害で痛みを感じなかったそうですね。 自分が心筋梗塞になったのは意外でした。というのも、「心筋梗塞にかかるのは、上昇志向のある人に多い」と若いころに習ったことがあるからです。オーストラリアのメルボルン大学に留学したときのことです。政治家がその典型ですね。私はこれまで、政治に関心を持ったことは一度もありません。それから、タクシーの運転手さんと学校の教師も心筋梗塞になりやすいという話もありましたが、それは欧米のアングロサクソン系の人種の人たちに言えることで、日本のタクシー運転手と学校の教師は胃潰瘍になりやすいんです。社会の違いによって、ストレスのかかり方が違うんですね。 『養老先生、病院へ行く』 著者:養老孟司、中川恵一(共著) 発行:X-Knowledge 定価:1400円(税別) 在宅死は大変。病院死も悪くない ──『ヒトの壁』(新潮新書)によると、ICUに入っているとき、目の前に5体のお地蔵さんが現れたそうですね。 部屋の中央にモニターが置いてあって、磨崖仏のような砂色のお地蔵さんが5人ほど並んでいました。後で思ったことですが、「お迎え」が来たんだなと思いました。つまり、それはお地蔵さんではなくて、阿弥陀様だというわけです。阿弥陀様は、来迎図などを見ると極彩色に描かれているけれども、今の時代に合わせて「お迎え」も質素なリモート式になったのかなと。 ──それは、一種の神秘体験のようなものですか? いや、違いますね。単なる幻覚です。ICUのベッドに寝かされているんだから、そういう連想をするのは無理もない話です。脳が実際には存在しないものを表出させるというのは、よくあることです。 ──『ヒトの壁』には、「私は在宅死が望ましいと思っていたが、家族と医療スタッフのみの世界で他界するのも悪くないと感じるようになった」とも書いていますね。どうしてですか? 在宅死は、いろいろ大変ですよ。家族がね。さっきも言ったけど、死んだときには私はもういないんだから、二人称の死の影響はできるだけ小さいほうがいい。こういうことは、なかなか具体的に実感する機会がないことですが、今回、命の縁に立ってみて、「このまま死んだら面倒はないだろう」とシミュレーションしたわけです。 写真提供/まるすたぐらむ 患者には治療法を選ぶ権利があります ──入院中、大腸の内視鏡検査をしたら、ポリープが見つかったそうですね。 そうです。血液検査では、胃がんの原因であるピロリ菌が陽性でしたが、ポリープもピロリ菌も放置することにしました。ポリープはがん化する可能性がありますから、中川さんが「できる限りとりましょう」と言ってくる医者だったら、困ったことになっていたかもしれませんね。がん化したとして、家族に説得されれば放射線治療くらいはやるかもしれませんが、手術や抗がん剤治療はストレスが大きいので選ばないでしょう。患者には治療法を選ぶ権利があります。中川さんが、もう治療はここまでという私に対して、「じゃあ、このくらいにして、あとは様子を見ましょう」と言ってくれる医者で助かりました。医者との相性は、非常に重要だと思いますね。 ──退院後、タバコは辞められたのですか? いえ、吸ってます。ただ、糖尿病の薬は、言われるがままに飲んでます。医者には逆らわないほうがいいと思ってね。白内障の手術を薦められたときも、素直にお願いすることにしました。おかげでメガネなしで本を読めるようになって助かっています。病院嫌いの私が再び入院して、白内障の手術を受けたことで、中川さんは私の医療に対する考えが変わったのではないかと言ってましたが、実は何も変わっていません。今後は「身体の声」に耳を傾けて、具合が悪ければ医療に関わるでしょうし、そうでないときは医療と距離をとりながら生きていくことになるでしょう。 『ヒトの壁』 著者:養老孟司 発行:新潮新書 ...

2022/12/12

人体の秘密 日本社会の変容 認知症

認知症でも安心して暮らせる社会とは?─“認知症の当事者の視点”に効く2冊

認知症とは、認知機能が衰える症状のことで、認知症という病気があるわけではない、という話をかつて老年行動学の先生から聞いたことがある。 体の寿命は延びたのに、脳の機能がそれに追いついていない状態というわけだ。だから、「認知症患者」という言葉は、厳密に言えばあり得ないということになる。 高齢化が進み、高齢者の5人に1人が認知症になるという時代、認知症になっても希望を持って日常生活を過ごせる社会を作っていかなくてはならない。 今回は、2冊の本から、その処方箋となるヒントを探ってみよう。 当事者の世界を疑似体験できる『認知症世界の歩き方』 「アルキタイヒルズ」…など、絶妙なネーミングで語られる認知症の症状 表紙からして目立つ本である。 書店の棚に平積みされた本の帯には「はやくも15万部突破!!!」の文字が躍っている。奥付を見ると、第15刷とある。サイクルの早い書店の流通システムで生き残っていくには、それだけ売れ続けなければならないというわけか(2022年12月時点では16刷16万部に達しているようだ)。 この本の特色は、冒頭の一文によく現れている。引用しよう。 これまでに出版された本やインターネットで見つかる情報は、どれも症状を医療従事者や介護者視点の難しい言葉で説明したものばかり。肝心の「ご本人」の視点から、その気持ちや困りごとがまとめられた情報が、ほとんど見つからないのです。そこでわたしたちは、ご本人にインタビューを重ね、「語り」を蓄積することから始めました。それをもとに、認知症のある方が経験する出来事を「旅のスケッチ」と「旅行記」の形式にまとめ、だれもがわかりやすく身近に感じ、楽しみながら学べるストーリーをつくることにしました。 ここで言う「わたしたち」とは、この本を制作したNPO法人イシュープラスデザイン、および代表の筧氏、それから監修者である認知症未来共生ハブの人たちで、「インタビュー」した認知症の人は、約100人にのぼるという。 というわけで、認知症の症状である「BPSD」などという専門用語はこの本ではいっさい使われていないし、その内容となる「せん妄」とか「失行」とか「仮性作業」とか「弄便」といった言葉も出てこない。かわりに使われているのが、次のような言葉だ。 乗るとだんだん記憶をなくす「ミステリーバス」 だれもがタイムスリップしてしまう住宅街「アルキタイヒルズ」 イケメンも美女も、見た目が関係ない社会「顔無し族の村」 熱湯、ヌルッ、冷水、ビリリ。入浴するたび変わるお湯「七変化温泉」 時計の針が一定のリズムでは刻まれない「トキシラズ宮殿」 一本道なのになかなか出口にたどり着かない「服ノ袖トンネル」 ヒソヒソ話が全部聞こえて疲れてしまう「カクテルバーDANBO」 こんな調子で認知症の症状が、ダジャレや絶妙な比喩で表現されている。そのネーミングセンスに舌を巻く。 あくまで認知症の本人が感じている世界が示されている 本を開いて、その「認知症世界」を旅してみよう。例えば、「アルキタイヒルズ」。ここで紹介されている「旅人の声」では、自分の家を他人の家だと思って帰ろうとしてしまうケースが紹介されている。 おもしろいのは、そうした行動の理由は、一つではないということ。「過去に住んでいた自宅の記憶が強く想起されて、現在の自宅の記憶にオーバーラップしてしまうため」という理由もあれば、「空間や人の顔などを認識する機能に障害が起き、その場所を自宅だとわからなくなるから」かもしれず、はたまた「ストレスが『落ちつくことのできる自宅に帰りたい』という気持ちを誘発している」こともあり得るという。 とはいえこの本では、「だから認知症の介護をする人はこうしてください」というアドバイスはいっさいない。ただ、認知症の人が見たり、聞いたり、感じたりしている世界を示すのみである。 だが、かえってそのことがこの本の美点であると私は思う。単なる介護マニュアルになっては、おもしろさが半減、いや、全減しかねないのではないか。認知症世界のガイドブックであることがこの本の神髄なのだ。 本の後半は、認知症になった人に向けて「認知症とともに生きるための知恵を学ぶ旅のガイド」になっている。 ガイドの仕方も懇切丁寧だ。「今の自分の心身の状態を知る」、「専門職に相談する」、「だれかに打ち明ける」、「頼れる仲間をつくる」、「当事者とつながる」、「混乱を生むモノ・コトを生活空間から取り除く」、「スマートフォンを使って生活を楽にする」など、具体的なステップを示して認知症になっても楽に暮らせる道に誘導していく。 新時代のQRコードの使い方を提示 驚いたのは、要所要所にQRコードがあって、スマートフォンでそれを読み込むと、認知症未来共創ハブの特設サイトに飛んで、さらにくわしい情報に触れることができる点である。 例えば「スマートフォンの活用術」のQRコードを読み込むと、鍵を使わずに玄関などのドアの施錠を管理できるアプリ(認知症の人はたびたび自分が自宅の家の鍵を閉めたことを忘れる)や、しゃべりかけた音声を認識して文字化してくれる機能などの情報にアクセスできる。 むむむ。その手があったか、と感心させられた。 この手法を小説などのエンターテインメント分野などに転用するなら、「この部分はこのBGMを聴きながら読んでください」と指定する、QRコード小説が登場するのではないか? といった夢想も想起させられた。田中康夫が1980年に発表した小説『なんとなく、クリスタル』が「注釈小説」として脚光を浴びた昭和からの読書好きとしては、令和のデジタル時代ならではの「QRコード小説」も読みたいものだ。長生きするのは損ばかりではなく、得もあるのである。 医療や介護従事者向けに、高齢者の擬似体験ができるツールが開発されていて、私も30代だったころ、雑誌の取材を通じて体験させてもらったことがある。ヘッドフォンや特殊眼鏡をかけたり、手足に重りを巻いて、筋力、視力、聴力などの低下を擬似的に体験するのだ。階段を登ったり、風呂の浴槽に入ったりといった何気ない日常行為が、とんでもない重労働に変わった(56歳現在、その違和感には多少慣れてはいるが)。 この本を読めば、それに近い体験ができるのではないか。あなたも、認知症世界を旅してみませんか? 『認知症世界の歩き方』 著者:筧裕介 監修:認知症未来共創ハブほか 発行:ライツ社 定価:1900円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 専門医が当事者として語る『ボクはやっと認知症のことがわかった』 「長谷川式スケール」の開発者が認知症に 続いて読んだのは、認知症介護研究の第一人者で、認知症診断の物差しである「長谷川式簡易知能評価スケール」(長谷川式スケール)を開発した長谷川和夫先生のこの本だ。 先生は2021年11月13日、92歳で老衰で亡くなったが、その5年前から認知症になったことを公表した。この本は、読売新聞社の猪熊律子氏の協力のもと、先生が当事者の目で認知症を語った興味深い本である。 冒頭は、次のようなショッキングな文章で始まる。引用しよう。 どうもおかしい。前に行ったことがある場所だから当然たどり着けるはずなのに、行き着かない。今日が何月何日で、どんな予定があったのかがわからない。どうやら自分は認知症になったのではないかと思いはじめたのは、2016年ごろだったと思います。 認知症の人が自宅を出てどこかへ出かけるとき、鍵をかけたかどうかわからなくなって何度も家に戻ってしまうことはよく知られている。先生にも、そうした症状があらわれたのだ。 記憶というのは「記銘→保持→想起」というプロセスを経ておこなうが、どれか一つに障害が起こると、自分のやった行動を思い出すことができなくなる。「自宅の鍵をかけた」という経験を記憶しておく機能がうまく働かなくなるのだ。 長谷川式スケールは、「お歳はおいくつですか?」、「私たちが今いるところはどこですか?」、「100から順に7を引いてください」といった質問項目があるが、1974年に公表された初期バージョンの最初の質問は「今日は何月何日ですか?(または)何曜日ですか?」というものだった。先生はそのことを、テーブルの上の新聞に印刷された日付を見ないと答えられなくなってしまったのだ。 このときの心境を、先生は次のように語っている。 ボク自身で言えば、認知症になったのはしょうがない。年をとったんだから。長生きすれば誰でもなるのだから、それは当たり前のこと。ショックじゃなかったといえば嘘になるけれど、なったものは仕方ない。これが正直な感想でした。 そのように自分の認知症を受け入れることができた背景には、キリスト教の信仰があったことも大きいと先生は言う。「神様が信仰を与えてくださり、守ってくださっているという感覚があるから、割り切って、ありのままを受け入れるという感じになったのかもしれません」と。 痴呆から認知症へと変わった経緯が興味深い この本では、「長谷川式スケール」の開発秘話も語られる。きっかけは、恩師の新福尚武先生に「長谷川君、見立てが昨日と今日とで違ってはいけない。診断の物差しをつくりなさい」と言われたことだという。 精神科医にヒアリングをし、彼らが診断のために行っていた質問項目を書き出すところから始めたそうだが、そのなかから「できるだけ短時間で行えること(最大限でも20分以内)」、「数値化できるもの」を絞り込んだのだという。 最初の公表から17年後の1991年には、改訂版が公表され、11項目あった質問を削ったり、入れ替えたりして9項目になった。その理由は、質問が時代にそぐわないところが出てきたのと(「大東亜戦争が終わったのはいつですか?」、「日本の総理大臣の名前は?」という質問は削除された)、海外の診断法との比較研究に整合性を持たせるためだったとか。 それから、長谷川先生は2004年、それまでの「痴呆」から「認知症」に用語を変更した際の厚生労働省の委員をつとめたことでも有名だ。このネーミングは先生自身のものではなく、公募により6000件もの提案を受けたなかで選んだものだったそうだ。 もっとも多かった応募は「認知障害」。次いで「認知症」、「記憶障害」、「アルツハイマー(病)」、「もの忘れ症」、「記憶症」の6つが候補にあがった。先生は「3文字が覚えやすくていい」と思っていたというが、最終的にはさまざまな専門医、研究者の意見を取り入れて「認知症」となった。 死ぬまで研究者だった長谷川博士 さて、第三章「認知症になってわかったこと」は、認知症の臨床や研究を半世紀にわたって続けてきた先生が、認知症の当事者になって初めてわかったことが語られる。この本の核心部分だ。 先生はそこで、認知症が「連続している」ことと、「固定されたものではない」ということを指摘する。 普通のときとの連続性があります。ボクの場合、朝起きたときが、いちばん調子がよい。それがだいたい、午後1時ごろまで続きます。午後1時を過ぎると、自分がどこにいるのか、何をしているのか、わからなくなってくる。だんだん疲れてきて、負荷がかかってくるわけです。それで、とんでもないことが起こったりします。 そして、「何かを決めるときに、ボクたち抜きに物事を決めないでほしい」、「認知症の人の言うことをよく聴いてほしい」、「すべての役割を奪わないでほしい」と当事者の立場から健常者に対して望みを伝えている。 ちなみに、先生は当初、自身の認知症をアルツハイマー型認知症と考えていたそうだが、専門病院でMRIなどの画像検査や心理士による神経心理検査を受けた結果、「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」と診断された。80代など高齢期になってから現れやすい、進行が緩やかなタイプの認知症である。 そんな先生が、1年後に2回目の検査を受け、2年後に3回目の検査を受けたのは、「年をとれば認知症が悪くなっていく一方ではなく、多少はよくなっている部分もあるのではないか」と考えたからだという。自ら実験台になったわけだ。そして、「海馬の萎縮や記憶力、判断力の低下などは見られるにせよ、全体として、進行は非常に緩やか」という診断を受けている。 まさに先生は、人生の最後の最後まで認知症の研究者であり続けた人であり、生涯をその研究に捧げた人だったのではないか。 今回、この2冊の本を読むことで、「認知症とともに生きる社会」の輪郭が、少しは見えてきたような気がする。 『ボクはやっと認知症のことがわかった』 著者:長谷川和夫 ...

2022/12/02

ウィズコロナ

パンデミックからはや3年─“ウィズコロナの知識武装”に効く2冊

新型コロナウイルス感染症が2020年1月にパンデミックをおこして、間もなく3年が経とうとしている。 この3年を通じて、コロナはすっかり身近なものになったが、我々にとってあいかわらず未知で不気味なものであるということに変わりはない。 コロナを正しく知り、正しく怖がるための処方箋を、『感染症―広がり方と防ぎ方』『新型コロナの不安に答える』の2冊に探ってみよう。 『感染症―広がり方と防ぎ方』に探る、日本人が感染症に強い理由 ウイルスを正しく知ることは重要である まず最初にこの本を読もうと思ったのは、コロナ渦前に書かれた本だからである。 コロナウイルスの襲来によって、今というときを生きている我々は、感染症についての考え方がガラリと変わった。だが、人類と感染症との付きあいは、有史以前からのものである。コロナはいつ収束するのか、ワクチンは有効なのか、といった直近の状況に対応する答えを探る前に、これまで人類が積み重ねてきた感染症についての基本的な知識を知りたいと思ったのだ。 2022年4月25日に刊行されたこの本の『増補版』では、新章にあたる「新型コロナウイルスが広がりにくい社会」が加えられていて、コロナ前に書かれた記述と今の概念とに矛盾がなさそうなのも望ましい。例えばこれが、原子力発電について書かれた書物で、3.11の福島原発事故以前と以後に書かれた本とでは、こうはいかないだろう。 国立感染症研究所の感染症情報センター長をつとめた経歴のある井上氏は、ウイルスの基本的な性格について、こう説明している。引用しよう。 ウイルスは、遺伝子核酸(RNAかまたはDNAのどちらか)と、それを囲む蛋白質からなる単純な構造体で、細胞でない生物である。細胞である細菌の10分の1以下の大きさであり、培地では増殖せず、自己を複製するときには特定の細胞に肺って、その代謝系を利用して殖える。 ということで、細胞の外にいるウイルスは、生物とは呼べない無生物として挙動する。従って、ウイルスが生物と同じように子孫をたくさん残して地球上に生存し続けるためには、感染先の宿主といい関係を築かねばならない。 強烈な毒を発して宿主を殺せば、ウイルスは宿主とともに死ぬことになる。おそらく、過去には宿主がすぐに死ぬような強毒性のウイルスも地球上の歴史のなかで多く登場したと思うが、そうしたウイルスは宿主と共倒れになって、ダーウィンの自然淘汰の説の通り、絶滅していったと思われる。 一方、宿主をすぐに死なせず、重症にさせ、寝込ませる程度に毒性を抑えたウイルスは、人間に感染した場合、はげしい咳による飛沫や、乾燥して空気中をただようエアロゾルに乗って、次の感染先の宿主への移動手段を持つことになる。 それ以上に有利な生存戦略をとったのが、宿主を寝込ませない、さらに弱毒化したウイルスだ。潜伏性があるので宿主は感染したことに気づかず、感染後も動きまわって他の宿主に住む場所を提供してくれるのである。新型コロナウイルスは、その典型例だ。 人間とウイルスとの関係で言えば、人間の文明が未発達で、ひとつの場所に多数の人が寄り添って居住する環境が多かった時代は、宿主を重症にさせるウイルスも幅をきかせていた。ところが、グローバル化による人やモノの大移動が可能になった現代においては、弱毒化という戦略をとったウイルスが地球上にはびこることになる。 おもしろかったのは本書の冒頭の、2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)についての考察である。 この年の2月21日、香港のMホテル9階に泊まって感染した客が、ベトナム、カナダ、アイルランド、米国、シンガポールへ移動して、8000人余の患者が報告されるほどの世界的な流行を招いた。そのとき、宿泊客のなかに日本人もいたが、日本人の患者はゼロだった。なぜ日本人旅行者だけが、ウイルスに感染しなかったのか? 本書の旧版が出版されたのは2006年12月だが、その疑問に触発されての出版だったそうだ。 新型コロナウイルスでも、海外に比べて日本では感染者や死者が少なく、「ファクターX」なる要因がありそうだと指摘されたが、大いに参考になりそうな考察だ。 “ファクターX”なる要因は、日本人の生活様式や発音からも考え得る!? SARSは、人間の肺や腸管で増殖するため、咳などによる飛沫感染だけでなく、糞便にふくまれるウイルスによる伝播がおこった可能性があるという。 トイレのドアノブについたウイルスが別の人の手に移り、握手やお札、硬貨を数えることで、また別の人の手に移る。それから靴に糞便がついて、ウイルスが運ばれ、ホテルの部屋で乾いてホコリとなって舞い上がり、それを吸い込んで感染する。そうした可能性を挙げつつ、井上氏は日本人が感染しなかった理由を次のように考える。 いっぽう日本人旅行者は、握手のかわりにお辞儀をすることが多いので、手の接触が少ない。ホテルの部屋に入ったら土足をぬぐ。外国のホテルにはスリッパはないのだが、日本人ではそれを持参する人もいる。手を洗い、風呂にも入る。日本人は食事に箸を使う。寿司、おむすびを除けば、手づかみで食べることは少ない。たとえウイルスが手についていても、箸を使えば口に入りにくいことになる。さらに日本食レストランではお手ふきが出て、それを使っただろう。 というのが、日本人旅行者がウイルスを自国に持ち帰らなかった理由だというが、非常に説得力がある。 「感染症のさまざまな伝播経路において、病原体がうつりにくい条件が生活のなかに組み込まれて存在している国は日本だけである」と語る井上氏は、日本語の発音にも着目して、これを分析している。 英語と中国語には有気音がある。有気音とは、p・t・k(中国語ではさらにq・ch・c)の破裂音のあとに母音が来ると、息がはげしく吐き出されることをいう。口の前にハンカチをたらしておくと、それがめくれ上がることでわかる。息を出すときウイルスをふくむ飛沫もとびだすだろう。いっぽう日本語では、p・t・kは息を出さない無気音として発音される。しかも日本語ではp音はあまり使われていない。ハ行音は、奈良時代p音だったのがのちf音に変わり、いまはh音になっている。現在、パ行音は外来語か擬声語・擬態語に使われるだけである。 そのため、日本語で会話する日本人は飛沫感染をおこしにくいというのだが、井上氏はこの仮説を実証するため、風圧実験を行っている。 村上春樹の『ノルウェイの森』のなかの文章を日本語原文と英語、中国語の翻訳とをそれぞれネイティブ話者に音読させ、口から飛び出す風圧を測定するのである。215ページに掲載された、英語話者と日本語話者の風圧グラフを見ると、確かに英語のほうが日本語より高い風圧で言葉を発していることがわかる。 157ページには、マスクによる咳風速の減弱度の測定結果も示されている。このとき、マスクは70円の16層ガーゼのマスクと、20円の3層の不織布マスク、5円の2層紙マスクの3種類を比較しているが、どのマスクでも咳による風速は10分の1に減弱したという(ゆえに「同じ効果ならば、いちばん安くて、かつ患者の呼吸に負担がかからない5円のマスクがよい」ということになる)。 まるで推理によって犯人を当て、その犯行のトリックを暴く名探偵のような手さばきである。 本書では、近代免疫学の創始者であるジョン・スノウ(1813~1858)がコレラ菌が発見される40年近く前から推理力のみを使ってロンドンでのコレラ感染を収束させた名探偵ぶりも紹介されるが、読み物として非常におもしろい。かつ、感染症についての基礎的な知識を得るのにうってつけの良書だった。 『増補版 感染症 広がり方と防ぎ方』 著者:井上栄 発行:中公新書 定価:820円(税別) ボブ的オススメ度:★★★★☆ 『新型コロナの不安に答える』では、最新の科学データで「フェイク」を論破! コロナワクチン開発の歴史をひもとくと50年以上も遡る!? 続いて読んだのが本書、『新型コロナの不安に答える』。著者の宮坂氏は、免疫学者として50年以上にわたって基礎ならびに臨床研究を続けてきた権威である。本書は、そんな宮坂氏の『新型コロナ 7つの謎』(講談社ブルーバックス)、『新型コロナワクチン 本当の「真実」』(講談社現代新書)に続く3冊目の著書で、免疫学や感染症学の最新の知見をもとに新型コロナウイルスやワクチンについて正しい知識を指南している。 当然、デマや陰謀説、フェイクニュースなどが主張する根拠のない説に対する、宮坂氏の批判は手厳しいものになる。 私はいわゆる「嫌ワクチン本」「反ワクチン本」といわれる著作や記事にもできるだけ目を通すようにしていますが、残念ですが、説得力を持つ根拠を提示しているものはほとんどないように思います。その多くは科学的に誤った理解に基づく恣意的な解釈、思い込み、感情的な批判に終始していました。 というわけで、本書では折にふれてそうしたトンデモ説をやり玉に挙げて論破していく。 例えば、「オミクロンは病原性が低いので、自然感染にまかせて集団免疫を獲得すればパンデミックは収束する。オミクロンはかえって社会にとって『福音』となるかもしれない」という説に対する宮坂氏の反論はこうだ。 自然感染によって獲得できる免疫の質は高くないうえに持続時間も短いため、次から次に変異株が登場する状況では集団免疫はいっこうに成立しないからです。一方で制御できない感染爆発によって多くの方が命を落とすでしょう。わずか2年で、全世界で約6000万人が命を落としたという事実を忘れてはいけません。 それから、メッセンジャーRNAワクチン(mRNAワクチン)についても「このワクチンは開発されて1年ぐらいの新しいもの。人への投与はまだ2年ぐらいだ。何年か経ったらとんでもない副反応が出てくるかもしれない。だから怖くて接種を受けられない」との主張には、このワクチンの開発の歴史を丁寧にひもときながら解説している。 宮坂氏によれば、mRNAの操作技術の開発は、1961年にmRNAが発見されて以来、50年以上にわたって続けられてきたのだという。 意外だったのは、当初は感染症のワクチンではなく、がん治療の目的で研究開発が行われていたということ。マウスにmRNAを投与して、生体内でmRNAの産物、すなわちタンパク質を作ることに成功したのが1990年のこと。2001年にはmRNA取り込みによって免疫系の番人である樹状細胞に腫瘍抗原を発現させ、その樹状細胞を投与することによってがん治療を行うという実験的な試みが始まった。 ところが、その間、mRNAを投与すると自然免疫が活性化されて炎症が起きることがわかってきた。これによって暗礁に乗りあげたかに見えたmRNAワクチン技術だが、2008年にこれを解決したのが、故国ハンガリーを追われて米国に亡命して研究を続けていたペンシルベニア大学のカタリン・カリコ博士である(娘のテディベアに所持金を隠して渡米したという逸話は有名)。 カリコ博士は、RNAの構成成分のひとつであるウリジンをシュードウリジンに変えることで自然免疫反応を軽減し、mRNAの生体内翻訳の効率を改善したのである。この業績はmRNAワクチン開発に必須となり、ノーベル賞級の技術として賞賛された。 宮坂氏はこれらの歴史を説明したうえで「新型コロナワクチン自体は、確かに1年ぐらいの開発期間でできています。しかし、その基礎技術の開発は前述のごとく20年にもおよび、mRNAワクチンとしても10年以上の開発の歴史があります」と論を展開する。まことに信用するに値する、説得力のある説明である。 めまぐるしく変わる世の中の動きの中では、最新データの分析が不可欠 ただし、宮坂氏自身、「執筆にあたってはその時点の最新データをもとにしましたが、書籍の性質上、刊行後は情報が徐々に古くなっていきます」と告白している通り、すでに情報が古くなってしまった部分があることは否めない。 例えば、オミクロンに対応する改良型ワクチンの追加接種について「オミクロンは免疫回避方の変異株であるため、開発するのが難しい」という理由で、市場に出回るには時間がかかるとの記述があるが、ファイザー社とモデルナ社のオミクロン対応ワクチンはすでに市場に投入されている。 従来型とBA.1との2価ワクチンが薬事承認されたのは、2022年9月12日のこと。次いで同年10月5日には従来型とBA.4-5との2価ワクチンが薬事承認されている。 本書が刊行されたのが同年の3月30日だから、刊行後半年で情報が古くなってしまっている。新型コロナをめぐる世の中の動きが、それだけめまぐるしく動いているということだろう。 というわけで、本書は刊行した時点で最新のデータをもとに執筆されていることは事実に違いないが、その取り扱いには多少の注意が必要のようだ。 私(内藤)は、コロナがアルファからベータ、ガンマ、そしてデルタへと変異した直後に罹患した。2021年8月10日のことで、日本の感染者数が100万人を超えたピークのころである(2022年11月時点での感染者は342万人)。 3日間続く高熱と味覚障害(口にするものすべてが正露丸風味になる)を経験し、もう2度とこんな目には遭いたくないと思っている。 だが、コロナはオミクロンに姿を変え、いまだ私たちの日常に居座り続けている以上、ヤツらのことをもっとよく知り、知識武装しておくことが必要だ。この2冊はその重要なヒントを与えてくれたと思う。 『新型コロナの不安に答える』 著者:宮坂昌之 発行:講談社現代新書 ...

2022/11/25

孤独死 高齢者の一人暮らし

団地住まい、90歳を前にした高齢女性のHAPPYな生き方──「高齢者のひとり暮らし」に効く2冊

団地でひとり暮らしをしている90歳手前の高齢女性を扱った本が、異なる出版社からほぼ同時期に出版された。本の装丁も、その内容もそっくりである。 『89歳、ひとり暮らし。お金がなくても幸せな日々の作りかた』と『87歳、古い団地で愉しむひとりの暮らし』。 日常の何気ない風景をプロのカメラマンが撮影したクオリティのカラー写真とともに、エッセイ風の文章が綴られる。いずれも無名の、ごく普通のお婆ちゃんなのに、まるでアイドルのエッセイ本のような作りである。 文章量もそれほど多くなく、サラッと読めるというのもアイドル本と同じだが、活字が大きく、老眼対応もしているというのが唯一、アイドル本と一線を画す要素だろうか。 偶然なのか、それとも申し合わせたものなのか、と勘ぐりたくなるほど両書は見た目の共通点が多いのだが、この2冊を通しで読んでみると微妙な差異があって、そこに興味深いテーマが浮かんでくる。 結論として、この2冊が共通に語っているのは、「高齢女性の団地でのひとり暮らしは幸せ」ということだが、本当に、そうなんだろうか。 「高齢者の独居問題」について、この2冊の本を通読して考えたことをまとめてみよう。 それにしてもこの2冊、あまりにも似すぎてないか? いきなり余談だが、ライターの私(内藤)にとって、書籍やネット記事などの資料をもとにして記事を書くというのは通常業務である。 「ブッダの生涯について解説してください」とか、「新型コロナウィルスについて書いてください」といった編集者たちの注文に毎回、「ヘイ、わかりやした!」と応えられるのは、自分が仏教や感染症学について専門的な知識を持っているからではなく、資料を読めば何とかなると思っているからだ。 もちろん、記事を書くにあたって、どの資料を選ぶかということは極めて重要で、これを間違うと、何冊読んでも記事のイメージが湧かずに資料の山にうずもれることになる。そうならないために気をつけているのは、選ぶ資料に幅をつけること。 例えば、仏教についての本なら、第一人者と言われる研究者の本を読み、その次には現役の僧侶が書いた本を読む。それでも足りなければ、一次資料であるお経の書き下し文を読んでみる。 新型コロナウィルだったら、専門機関につとめる研究者が書いた最新刊を読んだあとに、コロナ渦がやってくる前に書かれた感染症についての解説本を読む。 これがうまくいけば、3~4冊、あるいは2冊の資料を読んだだけで記事を書ける知識を得られるという寸法だ。 そういう観点から言えば、今回の2冊はあまりに似かよっていて、「ホントにこの2冊でよかったのか?」と不安になってしまう。 本の見た目だけでなく、両書に登場する主人公には、これだけの共通点がある。 ネットを通じて多くのフォロワーを獲得した 団地でひとり暮らしをしている 90歳手前の高齢女性 だが、2冊を読み終えた今、当初の不安は完全に払拭された。確かに両書には共通点が多いが、実際に読んでみると微妙な差異があって、それなりに楽しめるのである。 『89歳、ひとり暮らし。お金がなくても幸せな日々の作りかた』 著者:大崎博子 発行:宝島社 定価:1300円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 『87歳、古い団地で愉しむひとりの暮らし』 著者:多良美智子 発行:すばる舎 ...

2022/11/18

孤独死

誰しもにとっての最期のイベント「死」を考えてみる──「人生のゴール」に効く2冊

最近、多くの人が「死」について語り始めている。書店の棚を眺めてみれば、一目瞭然。その手の本がいくつも見つかるはずだ。日本の高齢化と、それにともなう「多死社会」の到来が顕在化したことの証しだろう。 死はどうあるべきなのか? 自らの死をどう迎えるべきか?それを深く考えさせる2冊を紹介しよう。 『うらやましい孤独死』が明かした意外な真実は、「目からウロコ」が畳みかける体験 “孤独死”に対する固定観念がガバッと剥がされる おっ、なんだ!? と目を惹かれる題名である。『うらやましい孤独死』──。一般的にネガティブな意味で使われる「孤独死」の3文字に「うらやましい」という形容詞を冠したところにインパクトがある。すごい。 著者の森田氏は、1971年横浜市生まれ。一橋大学経済学部卒業後、なぜか宮崎医科大学医学部に入学し直したという異色の経歴を持つ医師。宮崎県内で研修した後には財政破綻した北海道の夕張市の診療所に勤務。現在は鹿児島県で「ひらやまのクリニック」を開業しているという、何から何まで異色な道を歩んできた人だ。 そんな森田氏が初めて「うらやましい孤独死」という言葉を聞いたのは、夕張市にいたときのこと。ある高齢女性が自宅のソファーで亡くなっているのが死後数日経って見つかったとき、その妹の女性がこうつぶやいたのだという。以下に引用する。 「本当にうらやましいよ。コロッと逝けたんだもの。あの歳までずっと元気に畑もやっててね。夕張のみんなに囲まれてさ。やっぱりここがいいんだよ、住みやすい。都会には行けない。都会行ってアパートだの、施設に入りなさいって言われてもね。夕張で最期までみんなと元気にしててコロッと逝けたらいいよね。本当にうらやましい。都会に行ったら早死にしちゃうよ」 姉の死に直面したその女性の言葉には、新聞の見出しに「孤独死した高齢女性の部屋に見た痛ましい現実」と煽られるような悲痛な響きはいっさいなかったという。 読者はこの冒頭の記述で、「孤独死」という言葉に抱いていた固定観念のようなものをガバッと剥がされたような気持ちになるはずだ。 おしっこが出にくくなった90代女性の話 そして、そのまま読み進んでいけば行くほど、そんな「目からウロコ」体験が次々と畳みかけてくるのだ。 例えば、「『認知症になったら何もわからなくなる』というのは誤解である」という一文がある。 鹿児島県の山間部で高齢独居の生活をしていた90代の女性は、重度の認知症になったにもかかわらず、「病院にも施設にも行かない。この集落から出ない」と言って、周囲の在宅介護サービスなどの支援を受けながら、自宅で亡くなるまで独居生活を続けたという。 あるいは、腎臓が弱っておしっこが出にくくなって、医師から人工透析治療を薦められてもこれを拒否し、亡くなるまでその意思を通した90代の女性の話も出てくる。 おしっこが出にくくなったなら、そのかわりに水分や老廃物を血液から抜き取るのが「人工透析」の目的だが、医療業界内では、これをしないと「苦しみながら溺れるような最期を迎える」という噂があるというが、その女性は一切苦しむことなく、眠るように人生の幕を閉じたそうだ。 こうした「うらやましい孤独死」の事例を紹介しながら、森田氏は「医療の市場化」こそが「悲惨な孤独死」を生んだ現況なのである、と断罪する。 飲み込みが悪くなれば、腹部に胃ろうを入れ、栄養を直接送ればいい。呼吸が困難になれば、人工呼吸器をつないで肺に空気を送ればいい。腎臓が機能しなくなりおしっこが出なくなったら、人工透析で血液を濾過すればいい。寝たきりでトイレに行けなくなったら、おむつに排泄してもらえばいい。 “孤独”とはけっして、状況を指すものではない そうした医療的、介護的には正解な判断が、実は高齢である当事者の意思とは関係なく行われていることが高齢者の悲惨で不幸な死を生み出しているというのだ。 そこで森田氏は、「孤独死」であるにもかかわらず、「うらやましい」と言えるための2要件を提唱している。 「死」までに至る生活が孤独でないこと 誰にも訪れる死への覚悟があること 「孤独死」という言葉は学術的に定義されているわけではなく、「一人暮らしの人が誰にも看取られることなく亡くなり、死後に発見されること」を一般的に指すという。 だが、この本を読めば問題の本質は「孤独死」そのものではなく、「死んだことを気づかれないほど、生活が孤立していること」のほうにあることがよくわかる。 “うらやましい孤独死”は望んでも手に入りにくい!? 読書には、その本によってそれまで抱いていた固定観念や常識を揺るがされ、「目からウロコ」体験をすることに醍醐味があると思うが、その意味において本書は自信をもってお薦めすることができる。 ただ一点、「『死』の直前に至る生活が孤独でないこと」を実現するのはむずかしいことだと感じたことも事実である。特に、故郷から離れ、すでに都会に移り住んでしまった人には。 国連の「世界の都市人口の展望」によれば、東京の都市人口は2025年まで世界第1位の予測となっていて、なかでも埼玉、千葉、神奈川を含む東京圏には日本の総人口の約3割が居住しているという。 そのような、住み慣れた故郷を失った人たちにとって、「うらやましい孤独死」は望んでも望みきれない現実があるようにも感じるのである。 『うらやましい孤独死』 著者:森田洋之 発行:三五館シンシャ 発売:フォレスト出版 定価:1300円(税別) ボブ的オススメ度:★★★★☆ 『年寄りは集まって住め』は、正しい主張だが、しかし… 過去に手に入れた夢のマイホームが不便になっている!? こちらの本の著者の川口氏は、1964年生まれ。 京都大学教育学部卒業後、バブル経済まっただ中のリクルートコスモス(現コスモスイニシア)に入社し、想像するに、世間を揺るがす「リクルート事件」の渦中で組織人事および広報を担当。同社を退社後、組織人事コンサルタントを経て、2010年より高齢社会に関する研究活動を開始。約1600人にのぼるモニター会員を持つ「老いの工学研究所」にてアンケート調査やインタビューなどのフィールドワークを通じて高齢期の暮らしの実態を追求しているコンサルタントである。 この本も、題名が印象的である。『年寄りは集まって住め』──。本の主張がそのまま題名になっているのである。過不足なく。 「いきなり結論から申しますと~」との決まり文句から始まる、プレゼン上手なコンサルのセミナーに出席したかのような緊張感が走る。 「年寄りは集まって住め」と言いながらも、この本は高齢になって身心ともに衰えた高齢者を姥捨て山のような施設に送り込むことを推奨しているわけではない。 実際、2020年9月、兵庫県明石市のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で起きた、職員による入居者への虐待事件を例に挙げて、その原因を次のように述べている。 サ高住とはいえども、実態はほとんどの入居者が要介護状態となり、入居者同士の会話や交流もなくなって、自室にこもって介護サービスを受けているような人が多い施設だったからこそ起きたことだと思います。 川口氏は、主宰する「老いの工学研究所」の約1600人のモニター会員たちの共通項をこう分析している。 今では想像できないようなムラ社会、強いストレスを含んだ共同体から逃れ、高度経済成長期に都会に大量に流れ込んできた世代。彼らは会社という新たなムラ社会に所属して幸福な家庭を築いたが、定年退職し、子どもたちが独立したあとは、高齢により人生のゴールであるはずだったマイホームでの生活に不便を感じるようになっている、と。 要するに「団塊の世代」に属する人たちである。 団塊の世代の高齢者はリロケーション・ダメージを受けにくい、のか 住み慣れた住居を移ることよる悪影響を「リロケーション・ダメージ」と言うそうだが、高齢者ほど、そのダメージを受けやすいという。確かに身心の衰えを心配した子どもが、住み慣れた場所から離れた場所で新生活を送り、これまで築いた地縁を失って身心ともに衰えてしまうという話はよく聞く。 だが、川口氏は「団塊の世代」の高齢者は、リロケーション・ダメージを受けにくいのではないかと主張する。その根拠は3つ。 ひとつは、高齢者にリロケーション・ダメージが多く確認されたのは、「生まれ育った地元で一生暮らす」ことが普通だった時代の話で、今の高齢者は環境変化への適応力を持っていること。 もうひとつは、今の高齢者は身体的に年々若返っていて、それが気持ちの若さにつながっていること。3つ目は、リロケーション・ダメージをケアする体制が高齢者住宅などで整ってきていること。そのような説明を経て、高齢者が集まって暮らす、理想的なケースが紹介される。 例えば、兵庫県神戸市長田区の多世代型介護つきシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」。例えば、石川県金沢市若松町の社会福祉法人「佛子園」が運営する「Share(シェア)金沢」(この事例は『うらやましい孤独死』でも紹介されていた)。例えば、兵庫県神戸市東灘区の「東灘こどもカフェ」。 そして、もっとも多くの紙数を割いて紹介されるのが、大阪市に本社を持つハイネスコーポレーション株式会社が運営する高齢者向け分譲マンション「中楽坊」である。 これらの事例を眺めてみると、人間関係が希薄になった都会というより、まだドロドロとしたしがらみが残っているムラ社会に近いような気もするのだが…。 年寄りは集まって住む、のが最適解だとしても… 川口氏は本書で、幸福度が世界トップクラスとして知られるデンマークで提唱された「高齢者福祉の三原則」を紹介している。それは、次のようなものだ。 生活の継続性/できる限り在宅で、それまでと変わらない暮らしができるように配慮する 自己決定の尊重/高齢者自身が生き方や暮らし方を自分で決定し、周囲はその選択を尊重する 残存能力の活用/本人ができることまで手助けするのは能力を低下するのでやってはいけない 気になるのは、この三原則をふまえているのが先の例のなかでは「中楽坊」のみで、あとの事例は「リーダーシップ(主宰者)への依存が大きく、その点で持続性に乏しい」という問題が指摘されていることだ。 結局のところ、「年寄りは集まって住め」というのは、確かに最適解なのかもしれないけれども、この本が最終的に語っているのは、現時点で年寄りが集まって住める社会インフラが整っているのはごく一部の地域のみに限られる、という身も蓋もない事実なのである。 さて、困った。まさに「ハシゴを外される」というヤツである。だが、ハシゴを外された先に見える、高所からの景色を眺め、「自らの死はどうあるべきか?」を考えるには最適な本かもしれない。 そのことを考えるには、何歳からでも早すぎることはないはずだ。 『年寄りは集まって住め~幸福長寿の新・方程式~』 著者:川口雅裕 ...

2022/11/11

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介護付き有料老人ホームとは│提供されるサービス・費用・入居条件などを解説

介護付き有料老人ホームは、介護スタッフが24時間常駐している介護施設。介護サービスや身の回りの世話を受けられます。 この記事では、介護付き有料老人ホームの種類及び入居のための条件や必要な費用、サービス内容などを詳しく説明しています。 https://youtu.be/oK_me_rA0MY 介護付き有料老人ホームの特徴 介護付き有料老人ホームとは、有料老人ホームのうち、都道府県または市町村から「特定施設入居者生活介護」の指定を受けた施設です。24時間介護スタッフが常駐し、介護や生活支援などは施設の職員により提供されます。 主に民間企業が運営しているため、サービスの内容や料金は施設ごとに異なります。また、入居基準も施設により異なり、自立している方から介護が必要な方まで幅広く受け入れている施設も。選択肢が幅広いため、自分に合った施設を選ぶことができます。 看取りまで対応している施設も多数あり、「終の棲家(ついのすみか)」を選ぶうえでも選択肢のひとつとなります。 全体の概要をまとめるとこのようになります。 費用相場 入居時費用 0~数千万円 月額利用料 15~30万円 入居条件 要介護度 自立~要介護5※1 認知症 対応可 看取り 対応可 入居のしやすさ ◯ ※施設の種類によって異なります。 特定施設入居者生活介護とは 特定施設入居者生活介護は、厚生労働省の定めた基準を満たす施設で受けられる介護保険サービスです。ケアマネジャーが作成したケアプランに基づき提供される食事や入浴・排泄など介助のほか、生活支援、機能回復のためのリハビリなどもおこなわれます。指定を受けてこのサービスを提供する施設は、一般的に「特定施設」の略称で呼ばれています。 介護付き有料老人ホームの種類と入居基準 介護付き有料老人ホームには「介護専用型」「混合型」「健康型」の3種類があり、それぞれ入居条件が異なります。 介護度 ...

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グループホームとは|入居条件や費用、入居時に気をつけたいポイントを解説

認知症の方の介護は大変です。「そろそろ施設への入居を検討しよう」と思っても、認知症の症状があると、入居を断られてしまうのではと心配もあるでしょう。 グループホームは認知症高齢者のための介護施設です。住み慣れた地域で暮らし続けられる地域密着型サービスであり、正式な名称を「認知症対応型共同生活介護」といいます。 こちらの記事では、グループホームについて解説します。また、グループホームで受けられるサービスや費用、施設選びのポイントも紹介しますので、ぜひ参考にしてください。 https://youtu.be/EofVO7MRRDM この記事を読めばこれがわかる! グループホームの詳細がわかる! グループホームを選ぶ際のポイントがわかる! グループホームへ入居する際の注意点がわかる! グループホームとは グループホームとは、認知症高齢者のための介護施設です。専門知識と技術をもったスタッフの援助を受けて、要支援以上の認知症高齢者が少人数で共同生活をおくります。 「ユニット」といわれる少人数のグループで生活し、入居者はそれぞれ家事などの役割分担をします。 調理や食事の支度、掃除や洗濯など入居者の能力に合った家事をして自分らしく共同生活を過ごすところが、ほかの介護施設や老人ホームとは異なるポイントです。 グループホームの目的は、認知症高齢者が安定した生活を現実化させること。そのために、ほかの利用者やスタッフと協力して生活に必要な家事を行うことで認知症症状の進行を防ぎ、できるだけ能力を維持するのです。 グループホームは少人数「ユニット」で生活 グループホームでは「ユニット」と呼ばれるグループごとに区切って共同生活を送るのが決まり。1ユニットにつき5人から9人、原則1施設につき原則2ユニットまでと制限されています。 少人数に制限する理由は、心穏やかに安定して過ごしやすい環境を整えるため。環境変化が少なく、同じグループメンバーで協力して共同生活することは、認知症の進行を防ぐことに繋がります。 認知症の方にとって新しく出会う人、新しく覚えることが難しいので、入居者やスタッフの入れ替わりが頻繁にある施設では認知症の高齢者は心が落ち着かず、ストレスを感じ生活しづらくなってしまいます。その結果、認知症症状を悪化させるだけでなく、共同生活を送る上でトラブルを起こすきっかけとなります。 慣れ親しんだ場所を離れて新しい生活をするのは認知症の方には特に心配が尽きないもの。その心配を軽減するため、より家庭にできるだけ近づけ、安心して暮らせるようにしています。 グループホームの入居条件 グループホームに入居できるのは医師から「認知症」と診断を受けている方で、一定の条件にあてはまる方に限ります。 原則65歳以上でかつ要支援2以上の認定を受けている方 医師から認知症の診断を受けている方 心身とも集団生活を送ることに支障のない方 グループホームと同一の市町村に住民票がある方 「心身とも集団生活を送ることに支障のない」という判断基準は施設によって異なります。入居を希望している施設がある場合には、施設のスタッフに相談しましょう。 また、生活保護を受けていてもグループホームに入ることは基本的には可能です。しかし、「生活保護法の指定を受けている施設に限られる」などの条件があるので、実際の入居に関しては、行政の生活支援担当窓口やケースワーカーに相談してみましょう。 グループホームから退去を迫られることもある!? グループホームを追い出される、つまり「強制退去」となることは可能性としてゼロではありません。一般的に、施設側は入居者がグループホームでの生活を続けられるように最大限の努力をします。それでも難しい場合は、本人やその家族へ退去を勧告します。「暴言や暴力などの迷惑行為が著しい場合」「継続的に医療が必要になった場合」「自傷行為が頻発する場合」etc。共同生活が難しくなった場合には追い出されてしまうこともあるのです グループホームで受けられるサービス グループホームで受けられるサービスは主に以下です。 生活支援 認知症ケア 医療体制 看取り それぞれ詳しく見てみましょう。 生活支援 グループホームでは以下の生活面でのサービスを受けられます。 食事提供 :◎ 生活相談 :◎ 食事介助 :◎ 排泄介助 :◎ 入浴介助 :◎ 掃除・洗濯:◯ リハビリ :△ レクリエーション:◎ 認知症を発症すると何もできなくなってしまうわけではなく、日常生活を送るだけなら問題がないことも多いです。 グループホームには認知症ケア専門スタッフが常駐しています。認知症進行を遅らせる目的で、入居者が専門スタッフの支援を受けながら入居者の能力(残存能力)に合った家事を役割分担して自分たち自身でおこないます。 食事の準備として買い出しから調理、配膳、後片付けまで、そして洗濯をして干すといった作業や掃除も、スタッフの介助を受けながら日常生活を送ります。 グループホームでは、入居者の能力(残存能力)に合った家事を役割分担して自分たち自身でおこなうことになります。 例えば、食事の準備として買い出しから調理、配膳、後片付けまで。また、そして洗濯をして、干すまで…など。そのために必要な支援を、認知症ケアに長けた専門スタッフから受けられるのが、グループホームの大きな特徴です。 グループホームは日中の時間帯は要介護入居者3人に対して1人以上のスタッフを配置する「3:1」基準が設けられています。施設規模によっては、付き添いやリハビリなどの個別対応が難しいので、入居を検討する際は施設に確認しましょう。 認知症ケア 施設内レクリエーションやリハビリのほかに、地域の方との交流を図るための活動の一環として地域のお祭りに参加や協力をしたり、地域の人と一緒に公園掃除などの活動を行う施設も増えてきました。 グループホームとして積み上げてきた認知症ケアの経験という強みを活かし、地域に向けた情報発信などのさまざまな活動が広がっています。 地域の方と交流する「認知症サロン」などを開催して施設外に居場所を作ったり、啓発活動として認知症サポーター養成講座を開いたりするなど、地域の人々との交流に重きを置くところが増えています。 顔の見える関係づくりをすることで地域の人に認知症について理解を深めてもらったり、在宅介護の認知症高齢者への相談支援につなげたり。 こうした活動は認知症ケアの拠点であるグループホームの社会的な価値の向上や、人とのつながりを通じて入所者の暮らしを豊かにする効果が期待できます。 医療体制 グループホームの入居条件として「身体症状が安定し集団生活を送ることに支障のない方」と定義しているように、施設に認知症高齢者専門スタッフは常駐していますが、看護師が常駐していたり、医療体制が整っているところはまだまだ少ないです。 しかし近年、高齢化が進む社会の中で、グループホームの入居者の状況も変わってきています。 現在は看護師の配置が義務付けられていないので、医療ケアが必要な人は入居が厳しい可能性があります。訪問看護ステーションと密に連携したり、提携した医療機関が施設が増えたりもしているので、医療体制について気になることがあれば、施設に直接問い合わせてみましょう。 看取り 超高齢社会でグループホームの入所者も高齢化が進み、「看取りサービス」の需要が増えてきました。 すべてのグループホームで看取りサービス対応しているわけではないので、体制が整っていないグループホームの多くは、医療ケアが必要な場合、提携医療施設や介護施設へ移ってもらう方針を採っています。 介護・医療体制の充実度は施設によってさまざまです。介護保険法の改正が2009年に行われ、看取りサービスに対応できるグループホームには「看取り介護加算」として介護サービスの追加料金を受け取れるようになりました。 看取りサービスに対応しているグループホームは昨今の状況を受け増加傾向にあります。パンフレットに「看取り介護加算」の金額が表記されているかがひとつの手がかりになります。 グループホームの設備 グループホームは一見、普通の民家のようで、家庭に近い雰囲気が特徴ですが、立地にも施設基準が設けられています。 施設内設備としては、ユニットごとに食堂、キッチン、共同リビング、トイレ、洗面設備、浴室、スプリンクラーなどの消防設備など入居者に必要な設備があり、異なるユニットとの共有は認められていません。 入居者の方がリラックスして生活できるように、一居室あたりの最低面積基準も設けられています。このようにグループホーム設立にあたっては一定の基準をクリアする必要があります。 立地 病院や入居型施設の敷地外に位置している利用者の家族や地域住民と交流ができる場所にある 定員 定員は5人以上9人以下1つの事業所に2つの共同生活住居を設けることもできる(ユニットは2つまで) 居室 1居室の定員は原則1人面積は収納設備等を除いて7.43㎡(約4.5帖)以上 共有設備 居室に近接して相互交流ができるリビングや食堂などの設備を設けること台所、トイレ、洗面、浴室は9名を上限とする生活単位(ユニット)毎に区分して配置 グループホームの費用 グループホーム入居を検討する際に必要なのが初期費用と月額費用です。 ここからは、グループホームの入居に必要な費用と、「初期費用」「月額費用」それぞれの内容について詳しく解説していきます。 ...

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【動画でわかる】有料老人ホームとは?費用やサービス内容、特養との違いは

介護施設を探している中で「老人ホームにはいろいろな種類があるんだ。何が違うんだろう?」と疑問を感じることがあるかもしれません。 そこで今回は、名前に「老人ホーム」とつく施設の中でも、「有料老人ホーム」を中心に紹介。よく似ている「特別養護老人ホーム」との違いも見ていきます。 「老人ホームの種類が多すぎて訳がわからない」と思ったら、ぜひ参考にしてみてくださいね。 https://youtu.be/eMgjSeJPT8c 有料老人ホームの種類 有料老人ホームには、以下の3種類があります。 介護付き有料老人ホーム 住宅型有料老人ホーム 健康型有料老人ホーム この3種類の違いを以下にまとめています。 種類 介護付き有料老人ホーム ...

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