ブックレビュー
『父を焼く』というショッキングな題名の漫画を読んだ。 だが、冷静になって考えてみれば、親を亡くした者はすべて、「父(母)を焼く」という経験を有しているものだ。かく言う私もそうだった。 作画を手掛けた山本おさむ氏は、ろう学校を舞台に描いた名作漫画『どんぐりの家』で知られる人間ドラマの名手である。ずっしりと重い読後感を受けとめつつ、この作品をレビューしていこう。 『父を焼く』 著者:山本おさむ/画 宮部喜光/原作 発行:小学館 定価:1170円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 孤独死した父を野辺送りする息子の話 まずは、この漫画のストーリーの背景を紹介しよう。 主人公の三上義明は、55歳。家電量販店で働きながら、夫婦共稼ぎでひとり娘を大学に行かせ、就職してひとり立ちをさせたばかり。それを機に、彼は自らの老後を意識するとともに23年前、突然孤独死した父・義雄のことを回想する。 父の義雄は不運の人だった。高校をいちばんの成績で卒業して馬の獣医師資格を得るも、戦争が終わって軍馬の必要がなくなり、職を得ることができなかった。この最初のつまづきが尾を引くかのようにして「恋人の自殺」「左目の失明」「結婚後、最初の子を1カ月で亡くす」という不幸にみまわれる。 その結果、義雄はアルコールに逃げるようになり、第2子の義明が産まれて以後、まともな定職につかずに妻に暴力をふるうDV男になってしまった。そうした事情から義明は、高校を卒業してすぐに故郷の岩手県を逃げるように去って上京したのだ。 だが、それで親子の縁が完全に断ち切れたわけではない。 例えば家電量販店の契約社員となって1年目、義明が住む風呂なしの四畳半アパートに岩手県F市の生活福祉課の女性が訪ねてくる場面がある。 両親が生活保護を受けることになり、彼に金銭的な援助ができるかどうかの確認をする必要があるという。民法では直系血族および兄弟姉妹は、お互いに扶養をする義務がある旨が定められていて、義明は毎月10キロの米を実家に送ることを約束させられる。 そんな義明が父の孤独死の報せを受けたのは、33歳のとき。すでに母親は糖尿病を悪くして2年前に亡くなっており、ひとり暮らしをしていた父の義雄は、自宅の寝床で死後数日経って腐乱した状態で発見された。 その布団にはおびただしい数のハエがたかり、ミイラのように包帯が巻かれた遺体にはウジが湧いていた。そのグロテスクな描写は、「漫画」という形でしか表現できないリアルさで誌面に迫ってくる。 そして物語は、三上親子の壮絶な出来事を回想しながら、55歳になった義明が23年間、自宅アパートの天袋に保管していた両親の骨壺を樹木葬で合祀するところで終わる。 シニア読者を意識した新レーベルの誕生 読後感は、決してスッキリするものではない。特に、主人公の義明と「30代前半で父と死別」「現在、50代なかば」「大学を卒業した我が子がひとり立ちしたばかり」という共通の経験を持つ私にとって、身につまされる話だった。 だが、老後のとば口に入って、自らの「死」について思いを巡らす心境については、共感させられた。そして、最後の最後で語られる「今が血反吐を吐くような厳しい時代だという事は分かっている。でも俺達は悲観せず生き抜こうと思う」という義明の決意には大いに励まされた。 ちなみにこの『父を焼く』は、小学館の「ビッグコミックス」の新レーベル「ビッグコミックス フロントライン」から発表された第1段の作品で、今後も老い、介護、看取り、終活、終の棲家といった題材を扱った作品をコミックス化していくという。 すでに第2弾となる齋藤なずな『ぼっち死の館』と、第3弾の山本おさむによる『もものこと 愛犬と老人の最期の日々』が出版されている。 「ビッグコミックス」は30代以上の男性をターゲットにした「青年誌」だが、そのような呼称ではシニア層に届けきらない時代になってきたことを受けて、70代以上の読者に向けて創設したレーベルだという。 「ビッグコミックス」というと、30代に熱心な読者だった私は、弘兼憲史の『黄昏流星群』の連載が始まったときに「あれ?」と思った記憶がある。「青年誌なのに、なぜシニア向けの漫画を始めるのか」と。 調べてみると、『黄昏流星群』が最初に掲載されたのは1995年の11月。今から28年前の話である。だが、今思えば「ビッグコミックス」は、そんな昔から「シニア」の読者を想定していたということになる。 1995年というと、総人口に対する65歳以上の人口割合(高齢化率)が14%を超えて14.6%になった年である。昨年2022年には、これがほぼ2倍の29.1%になった。 当時、「日本ではやがて、全人口の3人に1人が65歳以上になる」という新聞記事を読んで、「その3人に1人の老人って、オレら世代のことじゃねぇか!」と驚いたことをよく覚えている。 「ビッグコミックス フロントライン」のようなシニアレーベルの登場は、必然の流れだったのだ。 貧しく孤独な日々をおくる老人のリアル というわけで、シリーズ第3段にあたる『もものこと 愛犬と老人の最期の日々』のほうも気になって読んでみた。 主人公の刈田有三は81歳。かつかつの年金で生活をするなか、「肺がんで余命1年」と医師に告げられる。そのとき彼の脳裏を貫いたのは、それまで心のやすらぎを与えてくれた愛犬もものこと。 すでに妻を亡くし、天涯孤独の身になっていた刈田には、里親になってくれそうな人脈もない。NPO法人を訪ねて里親募集をしてもらうが、12歳の高齢犬はもらい手が少なく、「あまり過剰な期待はなさらないように」とクギを刺されてしまう。 いよいよ病状が悪化し、救急車で病院に運ばれた刈田は、病院を抜けだして置去りにされた愛犬を探しに行くのだが……。 という具合に、こちらも『父を焼く』と同様、貧しく孤独な日々をおくる老人のリアルな日常が描かれる。だが、物語は病院のエピソードをきっかけにして、思わぬ人物との出会いが彼を窮状から救う形で展開していく。 そうなのだ。この作品もまた、「老い」の悲惨さを描くだけでなく、その悲惨さに向き合い、懸命に生きようとする主人公の奮闘ぶりとその希望を描くことに主眼が置かれているのである。 今回、この2冊の漫画を読んだことで、「ビッグコミックス フロントライン」という異色の新レーベルから、シニア市場を賑わすヒット作がいつしか生まれるのではないかという予感を確かにした。 『もものこと 愛犬と老人の最期の日々』 著者:山本おさむ/画 宮部喜光/原作 発行:小学館 ...
2023/04/07
住まいのことについて話をする際、必ず出てくるのが「賃貸が得か? 持ち家が得か?」という議論である。 前回紹介した『ほんとうの定年後』(講談社新書)では、老後の住居費負担が軽減するという理由で「持ち家は賃貸より良い選択」と断言していたが、その一方で、賃貸のほうが壮年期から老年期に移行するライフスタイルの変化に柔軟に対応できるというメリットを重く見る人もいる。 要するにこれは、決着のつかない議論なわけだが、今回紹介する日下部理絵氏の『60歳からのマンション学』(講談社α新書)を読めば、新たな視点で住まいというものを考えることができそうだ。 60歳を過ぎて、「終の棲家」をマンションにしようとする人が増えているというが、その選択はどれだけ有効なのか? ちょっと覗いてみることにしよう。 『60歳からのマンション学 』 著者:日下部理絵 発行:講談社α新書 定価:900円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 分譲マンションは果たして「終の棲家」にふさわしいのか? かつて日本には、賃貸アパートから始まって、分譲マンションを購入し、戸建てに買い換えてアガリとなる「住宅すごろく」と呼ばれるものが存在していた。 だが、著者の日下部氏は、その住宅すごろくが今の時代になって、常識と呼べるものではなくなったと指摘する。 それは、地価は必ず上昇し、転売するたびに資産を増やせるという「土地神話」が崩壊したからなのだが、その結果として、住宅すごろくの途中の分譲マンションをアガリとしたり、戸建てを売って分譲マンションに乗り換えようとする60代以降のシニア層が増えているというのだ。 子育て世代の人たちにとっては、子どもに部屋を提供できるような広い住まいが望ましいが、子どもが独立して家を出ていけば、広さはメリットにならない。掃除も楽にできてコンパクトに暮らせるマンションを「終の棲家にしたい」と考えるのは、確かに自然な選択のように思われる。 だが、本書を読んでみると、マンション住まいが60歳以降の人たちすべてに理想的かというと、そうでもないことがよくわかる。 安全・安心・快適な暮らしは、黙っていれば誰もが手に入れられるものではなく、マンション暮らしを選択した住民自身の努力でそれを勝ちとっていかねばならないのだ。 本書は8つの事例をもとに、理想的な暮らしを獲得する方法を探っていく。以下、その内容の一部を見ていくことにしよう。 マンションは、すべてが多数決で決まる民主主義の世界 まず、「事例1」で紹介されるのは、夫に先立たれ、終の棲家のつもりで購入した分譲マンションから賃貸マンションに住み替えようとしている73歳の和田信子さん(仮名)の事例だ。 住み替えの動機は、その分譲マンションが「ペット飼育不可」の物件だったからだ。 マンションは戸建てと違って、自分の都合でペットを飼える場所ではない。それでも住み替えをせずにペットを飼おうと思うなら、「ペット飼育不可」というルールを変更するしかないのだ。 それでも信子さんのマンションでは、「ペットを飼いたい」という意見は多く、都合のいいことに管理組合の理事会で検討中とのことで、信子さんは日ごろ参加していなかった総会に出席してみた。そこではこんな意見が交わされていた。引用しよう。 組合員1「いままで通り、ペット飼育不可がいいです。私の家族で重度のペットアレルギーを持つものがいるんです。わざわざ、ペット禁止だというから築古だけどこのマンションを購入したのに。お願いします。このままペット禁止がいいです」 組合員2「私はペット飼育に大賛成です。子供が飼いたいと言っており、子供の教育のためにも飼いたいです」 組合員3「私は外部に居住しており、賃貸に出しているのでどちらでもいいですが、正直なところ、ペット飼育可のほうが賃料が高くなり資産価値が上がると思います」 お互い、顔を合わせての意見のぶつかり合いとなると、かなりヒリヒリとする議論が交わされたことが想像される。 ペット飼育可にするには、管理規約の改正が必要で、組合員総数と議決権総数のそれぞれ4分の3以上の承認が必要なのだが、結果としてはペット飼育について「どちらでもいい」と思っていた組合員が家族にペットアレルギーを持つ人に対する同情票を投じて決議案は否決されてしまった。 そうなのだ。分譲マンションは、自分のものでありながら、すべてに自分の意見が通るわけではない。信子さんのようなひとり暮らしの高齢者だけでなく、子育て世帯や投資目的で物件を所有している人など、年齢や目的も異なる住民の合意形成が成立しなければ、何もできないのだ。 信子さんが「賃貸マンションに住み替える」という道を選ばざるを得なかったのは、そういうことが背景にあった。 60歳を過ぎるとますます借りにくくなる「年齢の壁」 本書を読んで初めて知ったが、ペット飼育可のマンションが主流になったのは2000年代以降で、それ以前に建てられたマンションのなかにはペット禁止のところも多いという。 現在ではほとんどの分譲マンションがペット飼育可だが、その背景には、1997年に国土交通省が中高層共同住宅標準管理規制の改正で、ペット飼育を「規約で定めるべき事項」と定めたことがある。 「ペット飼育」は、「生活音(騒音)」、「違法駐車・違法駐輪」に続いて「マンション三大トラブル」のひとつと言われているのだ。 ペット問題だけではない。住み替え先の賃貸マンションを探す際にも、信子さんの前に「年齢の壁」が立ちはだかった。 その問題は、気に入った物件の契約申込書を提出した際に露見した。その申込書を見た途端、不動産屋の担当者の顔色が変わるのが伝わってくる。 「お若く見えるので気が付きませんでしだが、正直申し上げますと65歳を超えますと賃貸マンションを探すのは一般的に困難を極めます。ただし、本物件は分譲賃貸ですのでオーナー様のご意向次第かと存じます」と言われ、オーナーの判断を待つことになった。 そして、「今回は見送りさせてください」という回答を受けとるのである。 国交省のデータによると、大家(オーナー)の約6割が60歳以上の高齢者に拒否感を持っていて、賃貸借契約の約97%において、何らかの保証を求めているという。 近年では連帯保証人を立てる代わりに、保証料を払って保証会社のサービスを利用するケースが増えているというが、賃貸保証料の相場は1カ月の家賃の50%だとされる。入居後も1~2年ごとに更新保証料が必要になるのでバカにならないコストである。 ただし、この本の美点は、ほとんどの事例を「悲劇の主人公」にしていたずらに不安をあおるのではなく、「自ら努力して困難を克服する人」として描き、トラブルを乗り越える方法を具体的に示している点にある。 信子さんの場合、UR賃貸という抜け道を見つけて「年齢の壁」を克服している。 事例を通じて、さまざまなトラブル克服法を解説してくれるのもこの本の特色だが、UR賃貸については、「民間の賃貸住宅に比べて物件数が少ないので選択肢が限られている」というデメリットも含めて次のように解説している。 その点、UR賃貸であれば、まず年齢だけで貸してくれないということはなく、本人確認のみで保証人や保証料は不要。礼金・仲介手数料なし、更新料も不要と、費用面での負担が少なく高齢者にとってありがたい物件である。また、特別募集住宅(住んでいた人が物件内で亡くなった住宅)なら入居から1年または2年間、家賃が半額に割り引かれることがある。 「成功者の証」タワマンの意外と気づかれていないデメリット ここで話はちょっと寄り道にそれるが、出版業界では本作りのテクニックとして、「本の冒頭にはもっとも引きの強いネタを置く」という手法がある。これは、「書店で立ち読みをして品定めをする人の多くは、最初の数ページを読んで購入するかどうかを判断する」という、迷信のような説によるものだが、本書について言えば、「事例1」の信子さん以外にも、読み応えのあるエピソードと解説が書かれていることは保証できる。 本書を読むことで、目から何枚もウロコがとれ、「マンション住まい」についての知識を改めさせられることも多かった。 例えば、一般的には「成功者の証」とした語られるタワーマンション(タワマン)だが、眺望のよさや資産価値の高さなどのメリットをはるかに上回るデメリットがあることを改めて知らされた。 確かにタワマンの眺望のよさは誰にも文句のつけられないものだが、早い人では「3日で飽きる」というし、全面ガラス張りの部屋は日射しが強烈で温室状態になるという(逆に階数が高くなるにつれて害虫がいない環境になり、窓を開けてすごせるというが、部屋によっては携帯電話の電波が届くにくくなるケースも)。 オール電化の物件だと、料理好きの人にはガスでの加熱ができずにレパートリーが少なくなるし、宅配ボックスが1階にしかなかったりすると5~10分待ちのエレベータの登り降りはかなりのストレスになる。 また、分譲マンションについてまわるのは、10~15年に1度の周期で行う大規模修繕があるが、タワマンの大規模修繕の事例はまだ少なく、建設を担当したゼネコンや、その子会社などの一部の業者しか選ぶことができず、安く施工してくれる業者を選ぶ余地もない。 大規模修繕は1回目より2回目、2回目より3回のほうが費用がかかるというが(3回目は2回目の約1.5倍かかるとか)、タワマンの場合、その負担は普通のマンションよりかなりの高コストとなるのだ。 日下部氏は、購入を薦めない金食いタワマンとして、次の特徴を挙げている。 ■細長いなど戸数が少ないタワマン →戸数が少ない分、管理費や大規模修繕費の積立金がかさむため ■デザイン性が高いなど歪な形状をしている →低層、中層、高層の異なるメンテナンス計画を用意する必要があり、費用がかさむ ■戸数の割に維持費がかかるスパやプール、カラオケ施設などがある →「食べ放題」サービス同様、元をとるのは意外に大変 ■タワー式などの機械式駐車場があり、しかも空きが多い →機械式駐車場はメンテが困難で、空きリスクの高い「金食い虫」 ■24時間有人管理でスタッフ数が多い →スタッフの人件費ほどバカにならないものはない とにかく、8つの事例紹介と「事例からわかること」の解説を通じてわかるのは、マンションを理想的な終の棲家にするには、待ち構えているトラブルの種をひとつ一つ除いていく胆力と正しい知識が必要だということだ。 本書は、さまざまなトラブルを未然に防ぎ、それを克服する方法を知る上での道しるべになってくれるだろう。
2023/02/10
団地でひとり暮らしをしている90歳手前の高齢女性を扱った本が、異なる出版社からほぼ同時期に出版された。本の装丁も、その内容もそっくりである。 『89歳、ひとり暮らし。お金がなくても幸せな日々の作りかた』と『87歳、古い団地で愉しむひとりの暮らし』。 日常の何気ない風景をプロのカメラマンが撮影したクオリティのカラー写真とともに、エッセイ風の文章が綴られる。いずれも無名の、ごく普通のお婆ちゃんなのに、まるでアイドルのエッセイ本のような作りである。 文章量もそれほど多くなく、サラッと読めるというのもアイドル本と同じだが、活字が大きく、老眼対応もしているというのが唯一、アイドル本と一線を画す要素だろうか。 偶然なのか、それとも申し合わせたものなのか、と勘ぐりたくなるほど両書は見た目の共通点が多いのだが、この2冊を通しで読んでみると微妙な差異があって、そこに興味深いテーマが浮かんでくる。 結論として、この2冊が共通に語っているのは、「高齢女性の団地でのひとり暮らしは幸せ」ということだが、本当に、そうなんだろうか。 「高齢者の独居問題」について、この2冊の本を通読して考えたことをまとめてみよう。 それにしてもこの2冊、あまりにも似すぎてないか? いきなり余談だが、ライターの私(内藤)にとって、書籍やネット記事などの資料をもとにして記事を書くというのは通常業務である。 「ブッダの生涯について解説してください」とか、「新型コロナウィルスについて書いてください」といった編集者たちの注文に毎回、「ヘイ、わかりやした!」と応えられるのは、自分が仏教や感染症学について専門的な知識を持っているからではなく、資料を読めば何とかなると思っているからだ。 もちろん、記事を書くにあたって、どの資料を選ぶかということは極めて重要で、これを間違うと、何冊読んでも記事のイメージが湧かずに資料の山にうずもれることになる。そうならないために気をつけているのは、選ぶ資料に幅をつけること。 例えば、仏教についての本なら、第一人者と言われる研究者の本を読み、その次には現役の僧侶が書いた本を読む。それでも足りなければ、一次資料であるお経の書き下し文を読んでみる。 新型コロナウィルだったら、専門機関につとめる研究者が書いた最新刊を読んだあとに、コロナ渦がやってくる前に書かれた感染症についての解説本を読む。 これがうまくいけば、3~4冊、あるいは2冊の資料を読んだだけで記事を書ける知識を得られるという寸法だ。 そういう観点から言えば、今回の2冊はあまりに似かよっていて、「ホントにこの2冊でよかったのか?」と不安になってしまう。 本の見た目だけでなく、両書に登場する主人公には、これだけの共通点がある。 ネットを通じて多くのフォロワーを獲得した 団地でひとり暮らしをしている 90歳手前の高齢女性 だが、2冊を読み終えた今、当初の不安は完全に払拭された。確かに両書には共通点が多いが、実際に読んでみると微妙な差異があって、それなりに楽しめるのである。 『89歳、ひとり暮らし。お金がなくても幸せな日々の作りかた』 著者:大崎博子 発行:宝島社 定価:1300円(税別) ボブ的オススメ度:★★★☆☆ 『87歳、古い団地で愉しむひとりの暮らし』 著者:多良美智子 発行:すばる舎 ...
2022/11/18
最近、多くの人が「死」について語り始めている。書店の棚を眺めてみれば、一目瞭然。その手の本がいくつも見つかるはずだ。日本の高齢化と、それにともなう「多死社会」の到来が顕在化したことの証しだろう。 死はどうあるべきなのか? 自らの死をどう迎えるべきか?それを深く考えさせる2冊を紹介しよう。 『うらやましい孤独死』が明かした意外な真実は、「目からウロコ」が畳みかける体験 “孤独死”に対する固定観念がガバッと剥がされる おっ、なんだ!? と目を惹かれる題名である。『うらやましい孤独死』──。一般的にネガティブな意味で使われる「孤独死」の3文字に「うらやましい」という形容詞を冠したところにインパクトがある。すごい。 著者の森田氏は、1971年横浜市生まれ。一橋大学経済学部卒業後、なぜか宮崎医科大学医学部に入学し直したという異色の経歴を持つ医師。宮崎県内で研修した後には財政破綻した北海道の夕張市の診療所に勤務。現在は鹿児島県で「ひらやまのクリニック」を開業しているという、何から何まで異色な道を歩んできた人だ。 そんな森田氏が初めて「うらやましい孤独死」という言葉を聞いたのは、夕張市にいたときのこと。ある高齢女性が自宅のソファーで亡くなっているのが死後数日経って見つかったとき、その妹の女性がこうつぶやいたのだという。以下に引用する。 「本当にうらやましいよ。コロッと逝けたんだもの。あの歳までずっと元気に畑もやっててね。夕張のみんなに囲まれてさ。やっぱりここがいいんだよ、住みやすい。都会には行けない。都会行ってアパートだの、施設に入りなさいって言われてもね。夕張で最期までみんなと元気にしててコロッと逝けたらいいよね。本当にうらやましい。都会に行ったら早死にしちゃうよ」 姉の死に直面したその女性の言葉には、新聞の見出しに「孤独死した高齢女性の部屋に見た痛ましい現実」と煽られるような悲痛な響きはいっさいなかったという。 読者はこの冒頭の記述で、「孤独死」という言葉に抱いていた固定観念のようなものをガバッと剥がされたような気持ちになるはずだ。 おしっこが出にくくなった90代女性の話 そして、そのまま読み進んでいけば行くほど、そんな「目からウロコ」体験が次々と畳みかけてくるのだ。 例えば、「『認知症になったら何もわからなくなる』というのは誤解である」という一文がある。 鹿児島県の山間部で高齢独居の生活をしていた90代の女性は、重度の認知症になったにもかかわらず、「病院にも施設にも行かない。この集落から出ない」と言って、周囲の在宅介護サービスなどの支援を受けながら、自宅で亡くなるまで独居生活を続けたという。 あるいは、腎臓が弱っておしっこが出にくくなって、医師から人工透析治療を薦められてもこれを拒否し、亡くなるまでその意思を通した90代の女性の話も出てくる。 おしっこが出にくくなったなら、そのかわりに水分や老廃物を血液から抜き取るのが「人工透析」の目的だが、医療業界内では、これをしないと「苦しみながら溺れるような最期を迎える」という噂があるというが、その女性は一切苦しむことなく、眠るように人生の幕を閉じたそうだ。 こうした「うらやましい孤独死」の事例を紹介しながら、森田氏は「医療の市場化」こそが「悲惨な孤独死」を生んだ現況なのである、と断罪する。 飲み込みが悪くなれば、腹部に胃ろうを入れ、栄養を直接送ればいい。呼吸が困難になれば、人工呼吸器をつないで肺に空気を送ればいい。腎臓が機能しなくなりおしっこが出なくなったら、人工透析で血液を濾過すればいい。寝たきりでトイレに行けなくなったら、おむつに排泄してもらえばいい。 “孤独”とはけっして、状況を指すものではない そうした医療的、介護的には正解な判断が、実は高齢である当事者の意思とは関係なく行われていることが高齢者の悲惨で不幸な死を生み出しているというのだ。 そこで森田氏は、「孤独死」であるにもかかわらず、「うらやましい」と言えるための2要件を提唱している。 「死」までに至る生活が孤独でないこと 誰にも訪れる死への覚悟があること 「孤独死」という言葉は学術的に定義されているわけではなく、「一人暮らしの人が誰にも看取られることなく亡くなり、死後に発見されること」を一般的に指すという。 だが、この本を読めば問題の本質は「孤独死」そのものではなく、「死んだことを気づかれないほど、生活が孤立していること」のほうにあることがよくわかる。 “うらやましい孤独死”は望んでも手に入りにくい!? 読書には、その本によってそれまで抱いていた固定観念や常識を揺るがされ、「目からウロコ」体験をすることに醍醐味があると思うが、その意味において本書は自信をもってお薦めすることができる。 ただ一点、「『死』の直前に至る生活が孤独でないこと」を実現するのはむずかしいことだと感じたことも事実である。特に、故郷から離れ、すでに都会に移り住んでしまった人には。 国連の「世界の都市人口の展望」によれば、東京の都市人口は2025年まで世界第1位の予測となっていて、なかでも埼玉、千葉、神奈川を含む東京圏には日本の総人口の約3割が居住しているという。 そのような、住み慣れた故郷を失った人たちにとって、「うらやましい孤独死」は望んでも望みきれない現実があるようにも感じるのである。 『うらやましい孤独死』 著者:森田洋之 発行:三五館シンシャ 発売:フォレスト出版 定価:1300円(税別) ボブ的オススメ度:★★★★☆ 『年寄りは集まって住め』は、正しい主張だが、しかし… 過去に手に入れた夢のマイホームが不便になっている!? こちらの本の著者の川口氏は、1964年生まれ。 京都大学教育学部卒業後、バブル経済まっただ中のリクルートコスモス(現コスモスイニシア)に入社し、想像するに、世間を揺るがす「リクルート事件」の渦中で組織人事および広報を担当。同社を退社後、組織人事コンサルタントを経て、2010年より高齢社会に関する研究活動を開始。約1600人にのぼるモニター会員を持つ「老いの工学研究所」にてアンケート調査やインタビューなどのフィールドワークを通じて高齢期の暮らしの実態を追求しているコンサルタントである。 この本も、題名が印象的である。『年寄りは集まって住め』──。本の主張がそのまま題名になっているのである。過不足なく。 「いきなり結論から申しますと~」との決まり文句から始まる、プレゼン上手なコンサルのセミナーに出席したかのような緊張感が走る。 「年寄りは集まって住め」と言いながらも、この本は高齢になって身心ともに衰えた高齢者を姥捨て山のような施設に送り込むことを推奨しているわけではない。 実際、2020年9月、兵庫県明石市のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で起きた、職員による入居者への虐待事件を例に挙げて、その原因を次のように述べている。 サ高住とはいえども、実態はほとんどの入居者が要介護状態となり、入居者同士の会話や交流もなくなって、自室にこもって介護サービスを受けているような人が多い施設だったからこそ起きたことだと思います。 川口氏は、主宰する「老いの工学研究所」の約1600人のモニター会員たちの共通項をこう分析している。 今では想像できないようなムラ社会、強いストレスを含んだ共同体から逃れ、高度経済成長期に都会に大量に流れ込んできた世代。彼らは会社という新たなムラ社会に所属して幸福な家庭を築いたが、定年退職し、子どもたちが独立したあとは、高齢により人生のゴールであるはずだったマイホームでの生活に不便を感じるようになっている、と。 要するに「団塊の世代」に属する人たちである。 団塊の世代の高齢者はリロケーション・ダメージを受けにくい、のか 住み慣れた住居を移ることよる悪影響を「リロケーション・ダメージ」と言うそうだが、高齢者ほど、そのダメージを受けやすいという。確かに身心の衰えを心配した子どもが、住み慣れた場所から離れた場所で新生活を送り、これまで築いた地縁を失って身心ともに衰えてしまうという話はよく聞く。 だが、川口氏は「団塊の世代」の高齢者は、リロケーション・ダメージを受けにくいのではないかと主張する。その根拠は3つ。 ひとつは、高齢者にリロケーション・ダメージが多く確認されたのは、「生まれ育った地元で一生暮らす」ことが普通だった時代の話で、今の高齢者は環境変化への適応力を持っていること。 もうひとつは、今の高齢者は身体的に年々若返っていて、それが気持ちの若さにつながっていること。3つ目は、リロケーション・ダメージをケアする体制が高齢者住宅などで整ってきていること。そのような説明を経て、高齢者が集まって暮らす、理想的なケースが紹介される。 例えば、兵庫県神戸市長田区の多世代型介護つきシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」。例えば、石川県金沢市若松町の社会福祉法人「佛子園」が運営する「Share(シェア)金沢」(この事例は『うらやましい孤独死』でも紹介されていた)。例えば、兵庫県神戸市東灘区の「東灘こどもカフェ」。 そして、もっとも多くの紙数を割いて紹介されるのが、大阪市に本社を持つハイネスコーポレーション株式会社が運営する高齢者向け分譲マンション「中楽坊」である。 これらの事例を眺めてみると、人間関係が希薄になった都会というより、まだドロドロとしたしがらみが残っているムラ社会に近いような気もするのだが…。 年寄りは集まって住む、のが最適解だとしても… 川口氏は本書で、幸福度が世界トップクラスとして知られるデンマークで提唱された「高齢者福祉の三原則」を紹介している。それは、次のようなものだ。 生活の継続性/できる限り在宅で、それまでと変わらない暮らしができるように配慮する 自己決定の尊重/高齢者自身が生き方や暮らし方を自分で決定し、周囲はその選択を尊重する 残存能力の活用/本人ができることまで手助けするのは能力を低下するのでやってはいけない 気になるのは、この三原則をふまえているのが先の例のなかでは「中楽坊」のみで、あとの事例は「リーダーシップ(主宰者)への依存が大きく、その点で持続性に乏しい」という問題が指摘されていることだ。 結局のところ、「年寄りは集まって住め」というのは、確かに最適解なのかもしれないけれども、この本が最終的に語っているのは、現時点で年寄りが集まって住める社会インフラが整っているのはごく一部の地域のみに限られる、という身も蓋もない事実なのである。 さて、困った。まさに「ハシゴを外される」というヤツである。だが、ハシゴを外された先に見える、高所からの景色を眺め、「自らの死はどうあるべきか?」を考えるには最適な本かもしれない。 そのことを考えるには、何歳からでも早すぎることはないはずだ。 『年寄りは集まって住め~幸福長寿の新・方程式~』 著者:川口雅裕 ...
2022/11/11
介護施設への入居について、地域に特化した専門相談員が電話・WEB・対面などさまざまな方法でアドバイス。東証プライム上場の鎌倉新書の100%子会社である株式会社エイジプラスが運営する信頼のサービスです。